第127話 醜悪の怪物 一
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「ぐっ!」
魔法陣の発動と共に、全身を引っ張る強力な引力に襲われ、ヴィルは思わず膝を突いた。
引力とは表したものの、実際に重力の増加や地面に縫い付けるような効果はこの魔法陣には無い。
しかしヴィルが後ろを振り向いてみれば、イリアナやバレンシア達もまた同じように膝を突いていた。
全員が体勢を崩した原因は言わずもがなだが、その正体は魔力の吸収だ。
魔力、それは身体強化や魔術に用いるエネルギーだが、武術によっては気とも表される概念である。
総量は問題では無く、魔力が満ちていればいる程肉体の調子は優れ、逆に魔力が枯渇していれば肉体は十全に性能を発揮しない。
今回のように強制的に魔力を吸い出されれば、それは枯渇時以上の不調となって人間の肉体を蝕むのだ。
それはどのような事態にも対応出来るよう鍛錬を積んできたヴィルも例外では無く、魔力吸収という極めて限定的な状況に適応出来ない。
ヴィル達から吸収された魔力は魔法陣を通じ、記述通りにフェリドの下へと送られる。
――その際、この罠を仕掛けた筈のフェリドが同じ吃驚を共有しているのを見て、ヴィルは眉を顰めた。
驚くフェリドはその後、驚愕から遅れて会心の笑みを浮かべる
「ハ、ハハハハハ!どうだ、私特製の魔力吸収術式は!身動き一つ取れまい!」
「くっ、まさかこんな隠し玉を用意していたとは……迂闊だった……!」
自分の不手際を恥じるイリアナを見て、フェリドは愉悦の笑みを深める。
だがどれだけ形勢が傾き追い詰められても尚、拭えない違和感をヴィルは覚えていた。
息を入れて魔力を高め、魔術で魔力が吸い上げられないよう抵抗しつつ、反撃の一手を練りながら思考する。
「さあ、イリアナ先輩!既に勝負は決しました、あなたは負けたんですよ!どうです?この辺りで手打ちにしませんか。私とてあなたの後輩を殺してしまうのはあまりに忍びない。ですから!あなたが私のものになると宣言してくれさえすれば、私とあなたの逢瀬を邪魔をした件は水に流しましょう」
「……宣誓魔術か」
「ええ、ええ!双方合意の宣誓魔術であれば何人たりとも私達の仲は引き裂けない。周囲の塵芥共も認めざるを得ないでしょう!ですから、さあ!私の策に嵌り負けましたと、私に恭順しますと一言――」
「――それはあり得ないよ、フェリド・ケインソン」
突如二人の会話に割って入ったヴィルに、フェリドは怒りと嫌悪を隠そうともせず見下す視線を向ける。
水を差す形になったヴィルの発言は、タイミングを図って言い放たれたものだった。
「何だ君か。折角綺麗に事が収まりそうなんだ。君の事も先輩の返事次第で生かしておいてやるから、精々上手くいくように祈っているんだね」
ぞんざいに言葉を残し、それだけでフェリドは興味を無くしたようにイリアナに視線を戻す。
だが、
「随分と大きな口を叩くね。その割にはあれだけの人数、あれだけの数の精霊を呼び出しておいてこっちは無傷。状況を理解したくない現実逃避か、状況を理解出来ないお間抜け、君はどっちかな?」
ヴィルは尚もフェリドに対する挑発を止めようとはしない。
寧ろその口調は嘲りを増しており、フェリドの額に青筋が浮かぶ。
「状況を理解出来てないのは君の方だろ!こうして立ってる私!跪いてる君!今も魔力を吸い続けている私の勝ちは明らかだ!君に出来る事はもう無いんだよ!!」
「ああ、成程。君の優位を錯覚させているのはこの魔法陣だったか。分かった、少し待っていてくれ」
ヴィルは納得したように呟くと、膝を立てるようにして跪いていた体勢から両手を地面に突き、ぐっと四肢に力を込める。
するとどうだろうか、先程までの不調が嘘のように難なく立ち上がり、肉体は力の漲りを取り戻したばかりか一層の魔力に満ち溢れているではないか。
少なくとも傍目からは、魔力吸収による影響を受けているようには見えない。
「な、な、な……」
絶句するフェリド、しかし驚きはそれだけに留まらず、彼は更なる驚愕に目を見開く事となる。
両腕を掲げたヴィルの手の中に、尋常では無い量の魔力が集まっていく。
それは魔力吸収が始まってすぐヴィルが体内で圧縮し練り続けていた魔力の塊であり、とてもではないが魔力吸収下で溜められるような量ではない。
だが実際にヴィルはそれだけの魔力を抽出しており、あまりに現実離れした光景をしていた。
――その膨大な魔力の塊を、力任せに地面へと叩きつける。
「――――ッ!」
瞬間、空き地に凄まじい魔力の嵐が渦巻き、地面に描かれていた魔法陣ごと周囲の魔力を吹き飛ばしていった。
あまりに強引な解決法、魔力による暴力。
しかし、この場では間違い無く最適解であった。
「そんな、馬鹿な……あれだけの規模の術式を、ただの魔力がかき消すなど……あり得ない」
「……っはあ。流石にこれだけ出すと疲れるね。時間が掛かり過ぎるし効率も悪い。せめて法陣に直接触れられれば話は早かったんだけど」
愕然とするフェリドとは対照的に、平然とそんな反省を口にするヴィル。
莫大な魔力を放ったせいか額には汗が浮かんでいたが、それ以外の不調はまるで見られない。
ヴィルとフェリドとでは役者が違った。
「ふざ、けるなぁぁあ!!私の魔術を、君ごときが!!」
「君のじゃないだろう。あの魔法陣は」
間を空けず言い放たれたヴィルの追撃に、フェリドが言葉を失う。
ぱくぱくと開閉される口はしかし、何一つ意味のある単語を紡ぐ事が出来ない。
それはつまり、ヴィルの発言が核心を突いていたという事の証左だった。
「あの魔力吸収がフェリドのものではないというのは、一体どういう事だ?」
魔法陣が破壊された事で立ち上がったイリアナが、ヴィルへと問い掛ける。
実際に魔法陣が起動し、吸い上げられていた魔力がフェリドの下へ向かっていた事実からも彼の術式である事は明らかの筈だ。
にも拘らずヴィルは違うと言う、イリアナも他の面々もその理由が知りたかった。
「考えてもみて下さい。僕達が決戦に選んだこの土地は先輩が許可を得て選んだ場所で、彼は誘い出されてここに居るんですよ?それで逆に罠を張るような時間は与えていません」
「あ……」
「それに、魔力吸収の魔法陣はそう簡単に張れるものではありません。あれは術の対象、今回で言えば僕達の魔力を特定する為の触媒が必要になる魔術です。触媒の例を挙げれば血や肉、簡単な所で毛髪でしょうか。それを用意した上で術式に組み込まなければならないんです。加えて言えば、それだけの準備を事前に行える人物がこれだけの醜態を晒す筈が無い」
「なっ!なんだと!私は優れた人間だ!君達にいいようにやられていたのも、全てはこの時の為の演技で――」
「君にそれだけの能は無いよ、こうして相対した時点で既に底は知れてる。触媒の方は学園内の誰かを協力者にすれば済む事だから置いておくとして、問題は誰がどういう手段でこの魔法陣を用意したのかという事だ」
そう言って、ヴィルは再びしゃがんで地面に触れる。
ヴィルの手が触れた地表に魔法陣の痕跡は無い、加えて魔力吸収の発動には触媒と刻印が必要な点から、魔法陣は地中に直接描かれたものであるという事だ。
そしてぱっと見て分かるような地面に掘り返されたような跡は無い、つまり魔法陣が用意されてから一日二日ではない、相応の時間が経過しているという事。
つまる所、この魔法陣を描いた何者かはフェリドに知らせる事無く、事前にヴィルとイリアナの計画を知った上でそれをひっくり返す策を用意していたという事になる。
そんな事が可能なのだろうかと、ヴィルは自分で言いながらも疑問を浮かべる。
――自慢ではないが、ヴィルは他人の視線に敏感だ。
それは決して過敏では無く、向けられる視線の中身を正しく認識できるという意味での敏感を指す。
ヴィルは今回イリアナと計画を練る中で、他人から向けられる視線に細心の注意を払っていた。
声量や盗み聞こうとする視線は言わずもがな、場所によっては読唇術を警戒して口の動きと声をずらす事すらしていたのだ。
そこまでしたからこそフェローの盗聴やリリアの盗視にも気付けたし、他に聞かれた相手は居ないと断言出来た。
残る可能性は計画に巻き込んだ生徒だが、その線も薄い。
イリアナ本人は当然あり得ないとして、ヴェステリアはこの国の王女だ、犯罪に加担する訳が無い。
唯一クラスメイトのローラだけはそうしたしがらみの無い生徒だが、彼女は精霊を悪用する視線の主を嫌悪していた、手を貸す可能性は限りなく低いと見るべきだろう。
見逃した、そういう可能性もゼロではないだろう、ヴィルは自分の感覚に自信を持っているが過信している訳では無い。
だが考えづらい可能性であるのもまた事実だ。
偶然ヴィルとイリアナの会話を目撃した相手が数十人のならず者を一学生に提供出来るような大物で、フェリドに接触して用心するよう助言をし、フェリドに明かさないままにこの建設予定地に魔力吸収の陣を張っていたなど、現実離れが過ぎるというものだろう。
「――待て」
そこまで考えて、ヴィルは自分の思考に途方も無い違和感に襲われる。
違和感――そう、これは違和感だ、アンナとマーガレッタを取り巻く事件に遭遇した時に覚えたのと同じ違和感。
何かを決定的に掛け違えたような、決定的な何かが抜け落ちているような、そんな違和感。
やがてヴィルは気付く――フェリドの耳の後ろに、見覚えのある魔術具が装着されている事に。
「その魔道具をどこで……いや、誰と話してる」
「~~~~!!」
そう指摘された瞬間、フェリドの瞳に魔力吸収の魔法陣を破壊された時以上の抗い難い恐怖が過る。
それはヴィルに対してでは無く、この場の誰に対してのものでも無い。
恐らくはシルベスター家しか知らない筈の、まだ世に存在を知られていない筈だった通信具の先に居るであろう人物に対して、フェリドはあまりに露骨に恐怖していたのだ。
ヴィルは確信する、その人物こそアンナとマーガレッタを取り巻く事件の裏で糸を引いていた黒幕、ずっと拭い切れなかった違和感の正体であると。
今回の黒幕とこれまでの黒幕を結び付ける根拠は何一つとして存在せず、推理などという高尚なものではないこれはただの直感だ。
それでも得た絶好の機会だ、目の前にあるか細い糸を手繰り寄せなければ逃してしまう。
そう判断したヴィルはすぐさま立ち上がり、情報源たるフェリドに何もさせまいと無力化しようとして――
「『術式融解』ッッ!」
ヴィルの第一歩は代償魔術の極致たる『術式融解』、禁忌の切り札によって阻まれた。
極大の魔力暴走が指向性を与えられないまま現実に干渉し砂塵が舞い、ヴィルは後退を余儀なくされる。
『術式融解』を加味してもフェリドの魔力総量からかけ離れた魔力量、恐らくは魔力吸収によってヴィル達から吸い上げた魔力も利用しているのだろう。
魔力が渦巻く、魔力がのたうつ、魔術回路を捧げた代償たる痛みに悶えるフェリドの周りを、まるで目に見えない命を持ったかの如く暴れ回る。
荒れ狂う嵐のように無秩序じみた魔力はやがて、術者を中心に役割を与えられ、秩序立った渦巻き方へと変わっていく。
魔力の制御、それ即ち魔術発動の兆候だ。
「オイオイ、他はともかく精霊術師の『術式融解』はヤバいだろ!ヴィル、何とかならねえか!?」
「無理だね。あれだけの魔力を纏ってるんだ、下手に手出しすれば制御下にある魔力全部が暴走してしまいかねない。ある意味じゃ魔術を使われるよりも厄介な状況になるよ」
「クソッ!」
フェリドから視線は外さず、しかし思惑の外れたフェローが悪態を吐いた。
そうしている間にも練り上げられる魔力が意味となり、魔法陣を紡いでいく。
精霊魔術の魔法陣にはただでさえ膨大な量の記述が必要となり、適性の希少さも含め魔術の中でも指折りの構築難度を誇る。
そんな魔法陣が、先程見せた中級精霊召喚に使用したものの、ゆうに数倍に及ぶ記述量で描き出されていく。
陣自体の大きさにそれ程違いは無いが、文字数の桁が、密度があまりに違う。
これだけ長く濃い陣を見せられれば専門知識が無くとも嫌でも理解する、この魔法陣はそう。
「――守護精霊の召喚」
ヴィルの呟いた単語、守護精霊。
それは王国の国教でもあるゼレス教で言えば主神、月女神ゼレスに相当する、フェリドにまで代を繋いできたケインソンの血が信仰する精霊。
そも精霊術師というのは、フェリドやローラを含めその殆どが精霊信仰の家系の血を継いだ者達だ。
彼らの正確な起源は不明、恐らくは遠い神代、隣人であった神々を失い同時に心の寄る辺を失った者達が、信仰の対象を移した事からだろうというのが歴史家達の見立てだが、真偽は定かでは無い。
ともあれ精霊を敬い崇める信者達には、当然自身の信奉する精霊が、実在の有無に限らず宗派の数だけ存在する。
その中でもケインソン家は異端と言うべき存在であり、他の宗派や家系とは一切関係を持たない完全独立の精霊信仰を行っていた。
それは或いは、真っ当な精霊信者であれば邪教と、そう表したかもしれない、道を外れて歩む事を余儀なくされた架空の精霊。
一宗派にとっての奥義たる精霊が、代償魔術で生まれた魔力を糧に今召喚陣からその姿を現す。
「――――」
――それは、夜を凝縮したような先を見通せぬ漆黒の塊。
これまでに見た下級中級の人工精霊とは異なり、角ばった歪さの無い完全な球体。
だがそれを綺麗だとは思えない、その理由は実際に目にすれば分かるとしか言いようが無い。
精霊と、そう尊き神聖な存在と並べる事すら不敬に感じる程におぞましい、醜悪な闇。
魔術師としての、人間としての、生物としての本能が目の前の存在を否定しようとしていた。
瞬間、ヴィルの感覚に本能的な嫌悪感とは別の、命の危機に関する警鐘が鳴り響く。
「っ!皆下がって!!」
声を張り上げての一言に反応出来た者達は、その後の行動も鮮やかだった。
まずレヴィアが魔術を発動、先の魔力吸収で崩壊してしまった武器を補充すべく、耐久力を犠牲に構築速度を確保した『武装鋳造』を行使する。
次にレヴィア謹製武器を握ったバレンシアを始めとする近接組が、レヴィアやフェリシスなどの身体強化を苦手とする生徒を庇いつつ後退する。
咄嗟の指示にも拘らず、ヴィルを一欠けらも疑う事の無かった即断即決による完璧な対処――直後、漆黒から闇が溢れ出す。
それは暗黒の槍、影の触手、明確な形を取らない闇がヴィル達に向かって放たれたのだ。
だが事前に警告がされていた事もあり、それぞれの得物が迫る闇を切り落としていく。
ヴィルもまた側に居たイリアナを庇いつつ片手に持ったままだった自前の短剣で迎撃、後ろ手にイリアナに触れ、共にエネルギー操作魔術で重力軽減を掛け一気に後ろへと飛び退る。
ここで気は抜かない、相手は得体の知れない精霊、どれだけ警戒してもし過ぎるという事は無いだろう。
その得体の知れない精霊は、ヴィル達の目の前で理解の出来ない怪物へと姿を変えた。
「人間を、食べているの……?」
呆然と呟くバレンシアのその言葉が、目の前で起こっている事象の全てを表していた。
先程まで向かってきていた闇はヴィル達に届かないと見るや一転、辺りに転がっていたならず者の死体へとその手を伸ばす。
伸ばされた触手は巻き付くようにして死体を絡め取り、闇の本体へと引き摺り込み喰らっていく。
不定形な本体に開口部は存在しないが、人だったモノを取り込む様子は食事と表して差し支えないだろう。
おぞましきケインソンの守護精霊はその後も食事を続け、喰らう死体の肉を糧として肥大化、際限無く巨大化していく。
それは最早魔力のみで構成された精霊ではなく、肉体を得て現界した悪夢だった。
「これは……」
「精霊と、そう呼んでは本物にあまりにも失礼というものでしょうねこれは」
絶句するイリアナの途切れた言葉を引き継ぎ、ヴィルが目の前の怪物をそう評する。
出来上がったのはずんぐりと丸い肉塊、黒々とした体は腐っているのか異様な臭いを発しており、存在の何から何までが見た者に不快感を与える醜悪だった。
ただしその中身は魂の存在しない伽藍洞、術式の根幹がこれまでの精霊と同じであれば単純なアルゴリズムで動く大きいだけの人形に過ぎない。
だが逆に言えば、中身さえ確保出来ればこれ以上にない手強い敵へと昇華する訳で……
「あー、ダメだねこれ。嫌な予感がす……」
「ニアの予感合ってたね。持っていかれた」
怪物は最後に『術式融解』による魔術回路の焼ける痛みに悶えるフェリドを掴み引き寄せ、己が核として吸収した事で完成する。
長きに渡るケインソン家の狂信と独り善がりなフェリドの妄執が合わさり、名を与えられる事すら無かったその守護精霊は初めて世界に顕現する。
『オオオオオオオオオオォォォォォォォォォォ!!』
見るに堪えない異形と成り果てた精霊だったモノは、醜悪の怪物としてヴィル達の前に立ち塞がった。
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