第11話 事変と覚悟 二
――銀翼騎士団本部会議室。
普段は活発に行われる会議も、アルシリーナとヴェイク、七翼と呼ばれる七部隊の隊長副隊長が集まって尚、今回に限っては沈鬱な雰囲気が漂っていた。
レイドヴィル・フォード・シルベスターとは、銀翼騎士団の誰からも慕われている人物である。
いつも物事にひた向きに努力し、呑み込みが早く、分からない事があれば相手が誰であれ教えを請いに来る事を厭わない。
誰とでも平等な視点で接する事の出来るレイドヴィルに、好感を抱きこそすれ嫌う者など居よう筈も無かった。
だがそんな彼の命の危機、その一大事に出来る事が何もない。
その事実が悔しさとなって、空気と全員の口を重くしていた。
選択は二つ――人類の未来のために飼い殺しにするか、彼の人生を取るかである。
「ミヤ、無理をさせてしまってごめんなさい。けれどもう一度聞くわ。ヴィルを救う方法は本当に見えないのね?」
「はい……特に今回は運命から外れた要素が強く……私はお役に立てそうにありません……申し訳ありません……」
「……いえ、いいの。これ以上あなたに頼りすぎるのも良くないわ。これは私たちの問題だもの」
申し訳なさそうに身を縮こませるミヤと、それを慰めるアルシリーナの会話だけが会議室に響いている。
表情の晴れないアルシリーナが、顔を上げて騎士達に問う。
「…………そろそろ決断をしなければならないわ。みんな意見はあるかしら」
誰一人言葉一つ出てこない、そんな無為な時間が先程から続いていた。
誰もレイドヴィルの行く末を人任せにしている訳では無い、選択が二択しかないと知りながらも、決定的な決断を出来ずにいたのだ。
だがだからといってこのままという訳にはいかない、まず最初に一人が意見を発し、次第に会議は紛糾していく。
「俺は魔術回路の破壊を支持します。レイドヴィル様の事を考えればそれ以外にあり得ない」
「自分も同意見です。貴族だとはいえ、あんな未来ある若者の人生を奪っていい理由にはならない」
「僕は反対だ。先程あった通りレイドヴィル君だって貴族、民のために犠牲になるのは仕方のない事だ」
「お前ふざけるなよ!!そんなこと、あの人の前で言えるのかよ!」
「――必要とあれば伝えるべきだ」
「てめぇ……!」
「俺も人類のためには仕方のない事だと思うぜ。この会議が俺達の未来を決めるかもしれねぇんだ、軽はずみな事言ってんじゃねえ」
「あくまでご自分の意思で決めるべきではないか?彼の選んだ道にこそ我々の……」
「その質問をして、あんなに優しい坊ちゃんが自由になりたいなんて言えるわけねーでしょう!!」
「そうだ!人一人に頼るのではなく、我々人類が一丸となって戦えば魔王の軍勢を滅ぼす事だって出来る筈だ!!」
このまま殴り合いになるのではないかと言う程に、会議が過熱する。
前者を選んだ者が、決してレイドヴィル憎しという訳ではないのは、それぞれの表情を見れば明白だ。
会議に出席する全員が、出席していない全員が計り知れない苦悩の中、世界の未来とレイドヴィルの未来を天秤に掛けて決断していたのだ。
自分の中の正義を信じて議論する会議はやがて、レイドヴィルの両親である二人の意見を聞く方向に流れていった。
「団長、副団長!お二人はどう考えるんです!」
そんな一人の発言に、会議室がしんと静まり返る。
それは先までの沈んだ空気ではなく、期待と願いとが入り混じった複雑な静寂だった
先程からこの会議で傍観を貫いている、他でもないレイドヴィルの両親は果たしてどのような決断を下すのか。
「……私としては、ヴィルには自由に生きてもらいたいと思っている。先程発言があった通り、未来ある子供を犠牲にするべきではなく、世界の未来は我々大人が解決すべき問題だ。我が子であるという点を考慮せずとも、な」
手を組みながら重い声で言い切ったヴェイクに対しいくつか驚きの声が上がる。
あまりにもあっさりと、我が子を守るという意思表明をしたのが意外だったのだろう。
そこから暫く、誰一人として声を上げる事ができなかった。
「……なら、アルシリーナ様はどうなんです?レイドヴィル様のことについてどうお考えなのです」
最後に、この場で最も決定権のある騎士団長、アルシリーナの判断が乞われる。
答えを出す事を求められたアルシリーナは顔を伏せ、想像を絶する葛藤が行われただろう時間が過ぎていき、やがてゆっくり顔を上げた。
その顔を見た騎士達が息を呑む。
そこには、今にも泣きそうな程に表情を歪めた、覚悟を決めた一人の親としての顔があったからだ。
見た者の心を引き裂くようなその顔のまま、アルシリーナは口を開き――
「私は…………」
銀翼騎士団団長が、最後の決断を下す――――
―――――
「ヴィルくん……」
闘技場に一番近いからという理由で選ばれたある部屋の中、イザベルはレイドヴィルの手を握って無事を祈っていた。
穏やかに眠る姿は、先程から微動だにしていない。
――その少し前までは、見る者の心を切り刻むような惨状があったのにも拘らず。
一時間前、今は安定していたレイドヴィルの容態が急変した。
唐突に苦しみの声を上げたかと思えば、尋常ではない様子で体を激しく痙攣させ始め、人体の骨が砕ける嫌な音を部屋中に響かせ始めたのだ。
襲い掛かる激痛に悶え呻き叫ぶレイドヴィルの声、意識の有無と無事を確かめるナリアの必死な声、人を呼ぶ騎士の怒号。
思わず耳を塞ぎたくなる地獄に心を削られながら、イザベルはせめてとの思いでヴィルに声を掛け続けた。
その効果の程は、きっとまるっきり無かったに違いない。
小娘一人の声が治療にもたらす効果など、精神的にも高が知れている。
せめてこれがレイドヴィルの両親の声であったなら、など考えてしまうのは、果たして高望みなのだろうか。
結局、レイドヴィルの体が壊れる端からナリアが治療する事で容体は安定し、心を殺す苦痛の果てにレイドヴィルの命は繋ぎ止められた。
その間、イザベルはあまりにも無力だった。
飲み物を取って来てもらうか、イザベルはどうするのかというナリアの問いかけへの返事も、心ここに在らずといった様子で、イザベルは今もまだ自分の心を決められないでいた。
「ヴィルくん……」
先程から返事のない声掛けを繰り返すばかり。
薬で眠らされているレイドヴィルからは、返答などある筈も無い。
丁度今、会議室ではレイドヴィルの今後についての話し合いが持たれている頃だろう。
会議にも誘われたが何か出来る気などせず、何よりレイドヴィルの未来を決めてしまうような会議に出る気など起ころう筈も無かった。
「ヴィルくんなら……」
レイドヴィルは生きるか死ぬかという究極の二択を問われた時、果たして何と答えるのだろうか。
やはりあの子ならば、期待に応えて茨の道を進んで望み、皆の為になる方を選ぶのか。
或いはそれでも生きたいと、自分一人の為にそう願えるのだろうか。
誰も犠牲になんてなりたくない筈なのだ――レイドヴィルも、私も。
いつも一生懸命なレイドヴィル、いつも努力を怠らないレイドヴィル、どんな事にも好奇心旺盛で、数えきれないくらい沢山の事をすぐに修得して周囲を驚かせるレイドヴィル。
――こんな私の事を好きでいてくれるレイドヴィル。
彼を救えるのは恐らく私だけ――だから、救いが、答えが欲しい。
「誰か――」
弱虫で、臆病で、卑怯な私の背中を押してくれるような、勇気をくれるような、そんな答えが。
「ぅん…………」
思考の最中、ヴィルが微かに喉の奥から声を漏らす。
よもやまた容態が悪くなったかと構えるイザベルはしかし、とろんとしたレイドヴィルの表情を見てその無事を悟った。
「ヴィルくん、目が覚めた?ここは客室の一つで、ヴィルくんは模擬戦の途中に倒れてここに運び込まれたんだよ。……ヴィルくん?」
イザベルに話しかけられるレイドヴィルは目を覚ました筈だが、薬の影響か、まだ意識が朦朧としているようだった。
返答を得られなかったイザベルはレイドヴィルの顔が視界に入らないよう顔を伏せ、意識の無いレイドヴィルに問いかける。
「――――ねえ、ヴィルくん。ヴィルくんはさ、誰かのために犠牲になれる?家族のために、騎士のみんなのために、顔も知らない王国の人たちのために、救いを願う世界中の人のために。それとも…………他の何を犠牲にしたとしても、生きていたいって、そう思える?」
酷く狡く卑怯な質問だと、自分でもそう思う。
意識も朦朧としている心優しい少年に向かって、例え意識があったとしても答えるのが難しい究極の問いを投げ掛けているのだ。
こんな事を聞かないと一人で決断も出来ない自分が、本当に嫌で嫌で堪らない。
だがそれでも――
「…………ぼくは……死にたく、ないよ……」
――ここが、ここがターニングポイントだ。
泣きそうに、乞うように一言呟いて再び眠りに落ちたレイドヴィルを見送り、イザベルは病人を起こさぬよう一人、そっと席を立つ。
――本当に、なんて狡いんだろう。
これで私が決断したなんて知れれば、レイドヴィルが一体どれだけ後悔するのか、自分でも分かっている筈なのに。
本当に狡い――だからきちんと終わる事が出来たなら、この事は墓場まで持って行こう。
優しいこの子が気を病まないように、優しいこの子が自分自身を責めてしまわぬように、誰にも明かさない、たった一人だけの秘密だ。
何処へ行くのかを問うナリアに一言返し、客室の静謐を壊さぬように立ち去るイザベルの心にはもう、臆病は巣食っていなかった。
――ただ一人の少年を救う、そんな覚悟を決めた瞳をしていた。
―――――
「私は…………」
アルシリーナが、最後の決断を下す――――その直前の事だった
「ちょっと、待ってください!」
バタンという激しい音と共に扉が開かれ、橙色の髪を揺らすイザベルが待ったをかける。
はぁはぁと息を切らすその顔には、どこか誇らしげにすら思える覚悟が滲んでいる。
会議に割り入った形になるイザベルに、その行動を咎める怒号は飛んで来ない。
きっとその場の誰もが、思いも寄らない奇跡に一縷の望みを賭けていたのだ。
呼吸を落ち着け、それから決意を秘めた目線が涙に濡れるアルシリーナの瞳を貫く。
「イザベル、ちゃん?」
その普段とは異なるイザベルの様子に、アルシリーナが目を見開き息を吞む。
膠着が続くこの状況で、会議中の視線が彼女に向けられていた。
「――私に、考えがあります」
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