第99話 意外な衝突 二
初心者マーク付きの作者です。
暖かい目でご覧ください。
アルケミア学園の控室に静寂が落ちる。
身じろぎ一つ許されないかのような圧迫感を放っているのは、この中でただ一人。
部屋を立ち去ろうとしたヴァルフォイルを殴り、数メートルに渡って吹き飛ばして壁に叩き付け、今もなお目の奥に激しい怒りを灯すヴィルだ。
珍しく感情を露わにするヴィルは我慢ならないという風に拳を握り、眼前に座り込むヴァルフォイルを睨み付ける。
クラスの誰も、殴られた当人ですらこの状況を呑み込み切れていなかった。
だってそうだろう、普段冷静沈着を地で行く温厚な人物である所のヴィルが、あろうことか言葉より先に拳を振るい、更には周囲を萎縮させる程の鬼気を放っているのだから。
だが、その鬼気もまだヴィルなりに加減しての余波でしかない。
本命の気を向けられているヴァルフォイルは、これとは比べ物にならない重圧を感じているのだ。
常人ならば、一睨みそれだけで気絶してしまいかねない鬼気。
しかしそこはヴァルフォイル、無理解の中でも咄嗟の疑問を口にする程度の事は可能だった。
殴られた頬を荒く拭い、立ち上がりながら問う。
「ぁ……?なんで、テメェが……あ……?」
「いつまでそうやっているつもりなのかと聞いているんだ。ヴァルフォイル・リベロ・フォン・バーガンディー。この程度でへたっているようではお話にもならないな」
「ンだよ、そりゃ……あぁ……?テメェが、オレをぶん殴って……」
「そうだ、僕が君を殴った。一発良いのが入って、ただでさえ馬鹿な頭が取り返しの付かないくらい悪化したのかと思ったけど……それくらいの理解能力は残ってたみたいだね、安心したよ」
「はぁ……?ほっときゃ好き勝手言いやがって……ざけんじゃねぇ!」
「今の僕がふざけているとでも?ふざけているのも好き勝手言っているのも、どちらも君だ。新人戦に出ない?そんな事が許される訳がないだろう」
ヴァルフォイルの怒号を意に介す事も無く、ヴィルは変わらず毅然とした態度で立ち続ける。
その怒気に当てられ、普段のヴィルを知っている周囲の生徒ですら口を出す事が出来ない。
怒りに震えるヴァルフォイルだけが、そんなヴィルを睨み付ける。
「許されるだぁ?オレが新人戦に出ないってだけのことに、一体誰の許可がいるってんだよ!オレの選択も決断も、全部オレ自身のもんだ。他の誰のものでもましてやテメェのもんじゃ断ッじてねぇ!!そもそもだ、オレなんざ居なくたって、シアとテメェが居りゃ、それだけで、簡ッ単に勝てんだろうがァ!!」
顔を歪めて叫んだそれは、ヴァルフォイルが学園生活を送る中で心の奥底に秘めていた本音だったのだろう。
きっとその原因には、ヴィルも大きく関わっている。
自分勝手で自分本位の子供じみた我が儘だからこそ、ヴィルは嘘偽りの無い本心なのだと確信出来た。
だがそれでも、いやだからこそ、ヴィルはその我が儘を認める訳にはいかないのだ。
更に一歩を踏み出して、ヴィルはヴァルフォイルと対峙し、彼の言葉の半分を肯定し否定する。
「ああそうだ、その通りだ。君一人が居ない程度の事でどうにかなる僕らじゃない。例え君が試合を放棄して二人で戦う事になろうと、僕とシアは必ず勝つ。僕達はそういう気持ちでこの大会に臨んでいた筈だ。君は違うのか?」
「…………」
「それに君は今、自分の選択は自分のものだと言ったね。確かに平時であればそんな言い分も通っただろうし、僕のその意見には同意しただろう。だけど新人戦は違う。僕らはSクラスの中から選ばれてここにいるんだ。そこには当然責任が伴う。君は欠片も想像もしてないんだろうね。血反吐を吐くような努力を重ねてなお舞台に届かず、忸怩たる思いをした生徒の気持ちを!」
「ヴィルさん……」
固有名詞を出さずに言ったヴィルの言葉はたった一人、フェリシスだけがある人物を想像して口元を手で抑える。
ヴィルが何を思い誰の為に怒ったのか、正確な所はフェリシスには分からない。
だが、それでもその怒りには多くの人への思いが込められているような気がして、フェリシスは目に涙さえ浮かべた。
彼の優しさに、強さに、気高さに憧れと敬意を表して、この場に居ない主への覚悟を確かにした。
だがそんなヴィルの訴えを受けてもなお……
「黙れ……知るかよ!負けたヤツの気持ちなんざ知らねぇ!勝てなかった勝ち取れなかったそれが全てだ!強い奴が上に立つんだ、弱ぇやつが悪ぃ。単純な話だろうが!そうだろうが!!」
図らずも思いの届いたフェリシスとは裏腹に、ヴィルが真に伝えたかった相手であるヴァルフォイルには伝わらず、ヴィルの言葉を否定する。
まるで自分には関係が無いとばかりに息巻いて。
きっと彼は、この場の誰よりも純粋なのだ。
善か悪か、敵か味方か、強いか弱いか。
そんな単純な物差しで人を計る彼は、言葉を選ばず言ってしまえば子供なのだろう。
頭ごなしに大人になれと言うつもりは無い、それも彼自身の強みだ。
しかし、それがヴァルフォイルの蛮行を見逃す理由にはならない。
新人戦という、一年生にとっての門出となる初戦に出場したかった生徒は数多くいる。
出場選手を決める模擬戦でグラシエルに直談判したマーガレッタだけではない。
カストールやシュトナ、ザックもクレアもフェローもクラーラも、言葉にせずともそうした願いを持っていたのは容易に想像出来る。
彼ら彼女らの想いを背負って、選ばれた代表選手は戦わなければならないのだ。
だからと言って、ヴァルフォイルを簡単に納得させられると思える程ヴィルは自分の言葉に力があるとは思っておらず、彼が頑固一徹な人物なのは嫌という程分かった。
何より言葉で説得出来るとはヴィルも思っていない。
ならばどうするか。
「君が言葉で納得するような人じゃないのは分かってた事だ」
双方の相対する意見がぶつかり、言葉では解決困難な事態に陥った時にはどうすればいいのか。
そんな事は決まり切っている。
ふっと、短く覚悟の息を吐いた。
「――戦女神、アルスティリヤの名の下に宣言す」
「「――ッッ!!」」
瞬間、控室に静かに響いた声に、その場の全員が息を呑んで驚愕する。
静寂の中に通るはっきりとした声は間違い無くヴィルの声だったが、その内容は耳を疑うものだった。
学園で生活していて、その言葉を耳にする機会はそう珍しくない。
だがこの場、このタイミングで彼がその言葉を口にした事が、とてもではないが信じられなかったのだ。
右手を握り、左胸の上へと
それはかつて存在した戦を司る女神アルスティリヤに対し、公正なる審判を願う祈りの言葉。
相容れぬ相手との争いを、命を奪う事無く決着させる絶対の誓い。
それ即ち――
「――ヴァルフォイル、君に決闘を申し込む」
ヴィルからヴァルフォイルに対しての、己の信念を賭けた決闘の申し込みだった。
―――――
「それにしても驚いたわ」
「何が?とは聞かなくても良いよね」
「まさかいきなりヴァルフォイルを殴りつけた上に、決勝前のこの大事な時間に決闘を申し込むだなんて。皆目を見張るくらい驚いていたわよ」
少量の証明が照らす闘技場内の通路、中央に向かう道中でヴィルとバレンシアは話していた。
ヴィルが突然ヴァルフォイルを殴り飛ばし、誰もが困惑する中での決闘宣言。
その結果はヴィルの予想通り、戦意を剥き出しにしたヴァルフォイルが喧嘩を買う形で執り行われる事となっていた。
新人戦が行われている最中での、更に他校での決闘という事で実施は困難に思われていたが、事態を動かしたのは決勝戦前に一言掛けにやって来た担任のグラシエルだ。
彼女は宮廷魔術師筆頭である立場を利用し、聖光学園に闘技場の利用料と決闘の結果生じる修繕費を支払う事を約束して、予備の闘技場の使用許可を取り付けて来たのだ。
惜しむらくは、借りる事の出来た闘技場には『御天に誓う』が搭載されていなかった点だが、そこまでの贅沢を言っては罰が当たるというもの。
自信の権力をフル活用して協力してくれたグラシエルに感謝を述べた際、ヴィルが手を貸してくれた理由を彼女に問うと、
「面白そうだったからに決まっているだろう」
と、何を今更とでも言いたげな顔で返された事だけが、ヴィルは少し残念だった。
「シアはあんまり驚いていないように見えたけどね」
「そんな事無いわよ。あの短時間で何度も何度も驚かされたわ。けどそうね。ヴィルそう見えた理由はきっと、驚き以上に、私はあなたという人が分からなくなったのよ。……ねぇ、ヴィルはどうしてあの時ヴァルフォイルを殴ったの?」
やや陰のある、後ろめたさや申し訳無さが同居した表情を見せるバレンシア。
問題の元凶たるヴァルフォイルの幼馴染として、またヴィルがこうして決闘を申し込むに至った原因として、彼女なりに思う所があるのだろう。
ヴィルに対しての疑問も、単にクラスの総意を込めた質問というだけではなく、ヴィルがそこまでする理由を知りたい動機も込められている筈だ。
だとしても、ヴィルの答えはいつもの通りだ。
「僕は別にシアや皆の為にヴァルフォイルを殴った訳じゃないよ。僕ははただ、他の誰でも無い僕自身の腹が立って許せなかったから手を出したんだ。それに……」
「それに?」
「今までの僕だったら、きっと立ち去るヴァルフォイルを放置して諦めて、シアと二人で決勝戦を戦う選択をしていたと思うんだ。効率だけで言ったなら、多分その方が遥かに優れているだろうからね。でも世界は効率を追い求めるだけで良くなる訳じゃない。他にもっと大切なものは絶対にある」
想い、心情、感情、信念、心。
そうしたあやふやで不確かで、しかし人が生きていく上で必要不可欠な要素。
それらは効率と引き換えに、切り捨てられてしまう事も少なくないもの達だ。
だから、
「あの時あの瞬間、僕は確かにそうするべきだと確信したから行動した。それは未来の僕の為であって、ヴァルフォイルの為じゃない。……僕は変かな?」
そんなヴィルの問い掛けに、バレンシアは暫くの間呆気に取られた表情をしていたが、やがて。
ふっと、穏やかな笑みを見せる。
「いいえ。あなたは相変わらずね」
「ふむ、それは褒めてくれてるのかな?」
「半分だけよ。残りの半分はご想像にお任せするわ」
「そっか。それじゃあもう半分も褒めて貰えるように頑張ってくるかな」
そう爽やかに返して準備運動を始めたヴィルに、呆れ笑いを零すバレンシア。
あくまで自分の為、そう嘯くヴィルが優しい嘘を吐いている事にバレンシアは気付いている。
何故ならヴィルは度を越したお人好しであり、他人に手を差し伸べずにはいられない性格であり、何より自分の利益だけを求めるような利己的な人間では無い事を知っていたから。
ヴィルもバレンシアが気付いている事に気付いているのか、誤魔化し方が以前と同じで雑だ。
それがまたヴィルの優しさを如実に表しているようで……
「――ヴィル」
「ん?」
「ヴァルフォイルの事、よろしく頼むわね」
意外感を含む驚きの表情、だがその後には僅かな逡巡すらなく――
「任された」
闘志を剥き出しに口の端を上げて、頼もしくも獰猛な笑顔を見せたのだった。
―――――
天気は快晴、気温は灼熱。
遠目に見れば陽炎が揺らめく程高温に熱された闘技場の石畳の上、銀と紅が向かい合う。
剣をその手に、闘志を胸に抱いて。
「……ヴァルフォイル、あくまで意見を変えるつもりは無いんだね?」
「くどいんだよ。テメェのそのうるせぇ口黙らせてやる」
「そうか、是非やって見せてくれ」
この闘技場に保護術式『御天に誓う』は搭載されていない。
故にこの戦いは不殺の寸止めで行われるものであるが、とてもそうとは思えない程に、二人の闘気は高まり鋭く研ぎ澄まされていた。
「双方準備は良いな?」
立会人を務めるグラシエルの最後通告を受け、二人は姿勢を低くし、そして――
「決闘開始!!」
「「『御剣に賭けて!!』」」
ヴィルとヴァルフォイル、二人だけの決闘の火蓋が切られた。
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