安楽椅子軍師の公爵令嬢、婚約破棄と追放で無双する
「アナ・アルナルディとの婚約はなかったものとする!」
この国では婚期前の若者が夜通し騒いでもいい催事があります。収穫感謝日を祝うパーティーです。
婚約破棄はその場での出来事でした。王太子ラウールと伯爵令嬢マリエット・ワトーが壇上に立ち、大勢の貴族令息令嬢の前で私との婚約を破棄した。
音楽が止み、会場は静まり返っていました。全出席者の視線が私に集まっているのを感じます。
マリエット・ワトーはけなげを装い、グッと口を結んでラウール王太子に身を寄せ、その手を握っています。とんだ食わせもんです。腹では笑っている。
私としてはこのまま帰ってもいいのですが、アルナルディの名誉にかけてどうしても言っておかなければならないことがある。
「先の戦の論功行賞で我がアルナルディ家は王家との繋がりを持つことを許されました。王太子殿下はそれを反故にしようとしているのです。いかなる理由でございましょうか」
私の異議申し立てに会場が騒然となりました。
引き籠りがちで大人しいと思われている私が大勢の前で王太子殿下を正そうとするのです。マリエット・ワトーの取り巻き連中じゃなくとも私を口汚く罵りました。
「静まれ。今日は特別だ。よかろう。アナ・アルナルディよ。答えてつかわそう。おまえが王太妃にふさわしくない理由はこの私を正そうとするその性根だ。先の戦でアルナルディは名を上げたのをいいことに王家をないがしろにしている。私に付き従わないばかりか私の行動を冷ややかに見、口を開けたと思ったらどこかで聞きかじった過去の者の言葉を使って私に意見する。それに比べてマリアットはかいがいしくも私に寄り添い、何をしようが私を認め、いつもその手助けをしようとしてくれる」
そんな理由で約束を反故に? 陛下はこのことをご存じなのでしょうか。
「ふん。またその顔か。俺のことを馬鹿にしているな。だが、これは俺だけの一存ではない。むしろ我が父ブリンケン王陛下のお考えだと言っていい。なんなら行って聞いてみるがいい」
そういうことでしたか。ならば、しかたありません。私は退出することに致しましょう。
私が去ると会場からは幾つも笑い声が漏れ聞こえて来ました。後で聞いたことによるとワトー卿は莫大な持参金の他に、先の戦の論功行賞で得た土地と都市をブリンケン王にお返しするらしい。
考えてみればよくできた話です。もしかして、その土地と都市はお父様に与えられるものだったのではないでしょうか。それをワトー卿が入れ知恵した。ワトー卿の狙いは王統に繋がること。
だとしたら私の婚約は始めからこの結末が決まっていた。我がアルナルディ家の領土や財力をこれ以上増やさないよう彼らが考えた悪だくみ。アルナルディ家には最初から何も与える気がない。
当然、私はお父様にこのことを報告致しました。そして、善後策も上申しております。お父様からは心置きなくやるがよいと返事を頂きました。
この日に至るまで、お父様は私の結婚式のために多額の持参金とパーティーのための服や布地、それに食材、豚八十頭、牛肉三十五キロ、ベーコン二十キロ、タマゴ六百個、山ほどのパンなど様々なものをご用意して頂きました。
それだけではありません。それを運ぶ多くの荷馬車を護衛する騎士五百人にも晴れの舞台に見合った防具を新調なされました。
その荷馬車はすでに荷物を積んでアルナルディ領カストを発ち、王都ラミデスに向かっていると言います。
私は王都ラミデスを追い出されると古郷カストには向かわず、お父様の重臣ジャン・バランドと合流し、髪を切って男子を装い、荷馬車の道中である王都の衛星都市クレスに留まっていました。もちろん、私の替え玉はすでにカストに入っていることでしょう。
朝日が昇るとジャンと一緒に宿を出て、街道筋の森に向かいました。荷馬車と護衛の騎士五百人と合流するためです。お父様には申し訳ないのですが、手紙をブリンケン王に何度も送って頂いています。
内容は娘の非礼を侘び、考え直してくれないかというものです。
ブリンケン王は聞く耳を持つどころか、責め立てるでしょう。そもそもアルナルディを貶めるために私を利用した。
何度も許しを請い、最後に王太子とマリエット・ワトーのことを認め、私を修道院に送り、これまでに用意した私のためのお祝いの品を王太子のために送ると申せば強欲なブリンケン王のことです。上機嫌で受け取りましょう。
私とジャンは防具を身に着け、剣を腰に差し、森の中で荷馬車を待ちました。ジャンは二十五歳の若さでお父様の重臣となっております。ジャンのバランド家は代々我が家に仕えていました。ジャンの父上も我が家の重臣であったことから私は幼い頃からジャンを知っています。
その頃のジャンは活発で、笑うのが好きな男の子でした。面白い話を聞きつけて来ては私によくその話を聞かせました。私には笑えなかったけど、話した本人は面白いらしく、話し終わるといつも笑っていました。
ジャンは部屋に引き籠りがちな私をよく外へ連れ出してくれました。馬に乗って草原を駆ければ、太陽の光に触れ、風を感じられる、気持ちいいぞって。
私たちリア国と隣国のジド国は元々一つの国でした。その時代に我が先祖は新天地を求めて東に移動しました。アルナルディ領の人々は開拓民を祖先に持ち、その名残で貴賤問わず今でも誰もが馬に乗れるのです。
私は幼い頃からずっと、このジャンと結婚するものだと思っておりました。おそらくはジャンもそう。周りを意識してしまったのです。十五歳の頃からか、まったく私に会いに来てくれないようになりました。
ジャンは先の戦、私たちリア国とジドの争いではよく働いたといいます。その知らせに私は喜んだものでした。あの若さで名実ともにアルナルディの重臣となった。
荷馬車と騎士らがやって来るとジャンは、防具の重さでもたもたしている私の手を引き、騎士団の前に連れて来ると細身の体でどこにそんな力があるのか、防具を着た私を軽々と馬に乗せてしまいました。
ジャンは昔のようなよく喋る、楽しい人ではなくなっていました。私が言葉を発するまではずっと無言で絶えず周囲に気を配っています。それは味方の大勢の騎士がいようとも関係ありません。
王都ラミデスは私たち一行を歓迎してはくれませんでした。市街地を進む私たちに罵声や笑い声、時には石ころが飛んできました。彼らはアルナルディの人々を軽んじる傾向にあります。文化が発達してない野蛮で未開の民と思っているようです。
お父様の手紙も効いているのだと思います。未開の領主が泣いて許しを請うていると噂を広められたのでしょう。城門に着くなりすんなりと跳ね橋が下ろされました。
私たちが来るのを待っていたようです。やはりブリンケン王は王都でアルナルディを辱めていたようです。その上で、許しを請う貢物を受け取る。それによって王の絶対性を諸侯に示したかったのでしょう。
誰の出迎えもなく、衛兵が荷馬車を中に運び込め、とまるで下僕に指示するかのように私たちに命じました。ラウール王太子とマリエットの結婚式は明日に控えています。
人手が足りないのでしょう。私たちは荷馬車を城内に入れると、ほぼ無抵抗な衛兵、近衛騎士たちを次々と容赦なく討ち取って行きました。
王城の制圧は簡単なものでした。平時、城に詰めている衛兵、近衛騎士は合わせて百人ほどです。
今はそれよりも使用人の方が多いぐらい。結婚式を明日に控えていることもあって少なくとも通常の倍の二百人は働いていたことでしょう。
ジャンの手によって捕らえられた王侯貴族たちが謁見の間に集められて来ました。ブリンケン王を筆頭に、ラウール王太子と王家の方々、そして、結婚を控えて事前に城入りしていたボドワン・ワトー伯爵とその一派。もちろん、マリエット・ワトーも。
彼らはお父様の仕業だと思っていたようです。男装の私を見た途端、青ざめていました。
お父様ならどこかで折り合いを付けられる。命までは取られない。ですが、私は別です。常識的に考えれば、私は刺し違えるつもりでここにいる。
ジャンはラウール王太子の襟首を掴んで私の前に引き出しました。私がジャンに首を刎ねよと命じればジャンは躊躇なくそれを実行するでしょう。ラウール王太子はひざまずき、神にでも祈るかのように両手を握り、私に許しを乞うています。
マリエットは私と目を合わそうとはしません。大人しく目立たずに小さくなっている。こんなこと絶対に上手くいかないとお思いなのでしょう。その証拠に間違ってもラウール王太子のせいにして命乞いはしない。生き残った後を考えている。
「地下牢に」
色々と言いたいことがありましたが、彼らを前にして思い付く言葉はその一言だけ。
ジャンらは全員を引っ立てて行きました。ブリンケン王はお怒りのようです。我が十万の兵が黙っていないと啖呵を切った上で、私を口汚く罵り、貴様の手足を切り取り、絶対に平民の前でギロチンにかけてやると廊下の奥までしつこく叫んでいました。
流石は腐っても王様です。十万とはよく言ったもので、私たちがブリンケン王らを人質にして王城に立て籠もること二か月。
今はブリンケン王がおっしゃった通り将兵諸侯合わせて十万の兵がこの王都にいて、この城を囲んでいます。
私は日々、城壁から外を眺めていました。彼らからも私の姿は見えている。悪魔信仰者か、精神病質者か、グロいものを見るような視線が城壁に立つ私に向けられているのを感じる。
今のところ交渉人が堀の前で叫ぶだけ。彼らは私たちがブリンケン王を握っているからおいそれとは攻撃出来ない。ですが、いずれ必ず投石器などの攻城兵器をこの城の周りにずらりと並べたてるのでしょう。
私たちは決死の覚悟。士気が高いに決まっている。兵糧もまだ全然余裕がある。城の備蓄に加え、ワトー卿が娘の結婚式のために運び込んだ食糧、それに私たちが持ち込んだ物もある。
彼らはというと余裕がない。何も進展しなければ、この包囲網はいつか瓦解する。一つに、十万の兵を養おうとする兵站が上手くいってない。それぞれの諸侯が己の裁量で行っている。諸侯によって状況はてんでバラバラ。
王都の市街地ではすでに一部の兵による略奪も行われています。それを他の諸侯が止めようともしない。そして、ジド国ディルク王です。この二か月の騒動を、ジド国ディルク王が見逃すはずはありません。実際、旧領回復に兵を動かし、マイ河河口の一部を奪還しています。
もしかして籠城している私たちとディルク王が通じているのではないか、と彼らが考えるのは当然の成り行きでしょう。玉砕覚悟の籠城ではなく、後詰めがあり、それがディルク王。
私がブリンケン王やラウール王太子を殺せば、本格的な攻城戦が始まる。そうすれば兵の数に任せて短期に城を落とすことは難しくはないでしょう。私にはたった五百しか兵がないのだから。
王や王太子に恨みがある私が敢えてお二方に手を掛けないのはなぜか。明らかに包囲網が解かれるのを待っている、と将兵諸侯はお考えになっている。
彼らは早々に私たちの士気を挫く必要があった。そのための投石器であり、攻城兵器だった。使わずとも城壁を取り囲み、精神病質者の私はともかく、せめてこちらの兵に造反者が出て来る程度には心理的重圧を与えなければならなかった。
「準備は整いました」
ジャンが私にそう報告しました。
言うまでもなく、私は実戦を経験したことがない。先の戦、敵国ジドとの戦いもアルナルディ領内のカストから戦場のお父様に助言を送っていただけのこと。戦場に立つことはなかった。
ジド国との国境はマイ河に沿って引かれています。それは南から北へ流れる大河なのですが、河上から河に沿って五つ都市がある。山岳地のテベ、そしてラミ、パト、ザマ、河口のシオ。それらはほぼ均等の間隔で位置しています。
距離にしてそれぞれ400キロ前後といったところでしょうか。テベとシオの間でいうと約1600キロとなります。
ジド国の侵攻はそのマイ河の両端の都市、山岳地で水源でもあるテベと、河口で肥沃な土地シオの二方面で行われました。敵兵力はそれぞれ五万。南北合わせると動員された兵は十万となります。
対して私たちリア国もテベとシオに五万ずつ。合せて十万。お父様のアルナルディ公は三万の手勢を率い、河口のシオ方面軍に加わっていました。
お父様たちリア軍がジド軍と河を挟んで対峙してから三週間。山岳地のテベ方面軍から報がもたらされました。
テベでの戦いで敗戦し、ジド軍の渡河を許した。
味方のテベ方面軍は兵を二万減らし後退。三万の兵で南側の山を背にして態勢を整え、陣を組みました。
追撃する敵軍ジドの兵は一万減らしたもののまだ四万。南側の山を望む丘の上に陣を敷いたといいます。
味方の軍は不利ながら地形を利して固着状態に持ち込んだと誰もが思うでしょう。ですが、それは違います。逆に山に押し込められたのです。いくら防衛陣地を築いて守りを硬くしようとも兵站を失っているのです。軍が崩れるのは時間の問題でした。
悪い知らせはそれだけではありません。それを機と見たジドの王ディルクが自ら軍を率い、三万の兵で王都ザームエルを発った。テベへと向かったのです。
私たちリア国と敵国ジドは元々一つの国でした。分裂する前はジドの王都ザームエルを中心とした国家で、ディルク王の野望は自身の治世に王都ザームエルのもと、国を元の一つにまとめることにあります。
誰かが救援に向かわなければなりません。ですが、ブリンケン王は動きませんでした。
お父様の軍三万はというと、味方二万と共にマイ河の河口シオで敵ジド軍五万と対峙しております。山岳地テベとは距離にして1600キロ。味方の軍を離れ、救援に向かうなぞ有り得ない。
お父様は大小様々な大きさの漁船二百隻とそれに見合った船夫を雇いました。彼らに空荷のままマイ河を南へ遡らせたのです。
それに合わせ、お父様も自身の軍三万を率い、シオの陣から離れ、河に沿って南下を始めました。
対峙していたジド側はその状況に、お父様の軍三万が船を使ってマイ河を渡河し、回り込んで側面から攻撃しようとしている、と考える。テベが危険な状況であるためにシオ戦線の早期決着を目論んでいると判断したようです。
ジド軍も三万の兵を陣から引き抜き、お父様の軍の動きに合わせ南下を始めました。双方とも敵を対岸に見つつ、マイ河を遡る漁船に合せてゆっくりと進軍します。
シオから50キロほど離れた地点でお父様の軍は急激に速度を上げました。渡河せずに、河を遡る漁船を置いて上流の都市ザマへと向かったのです。ザマには大きな橋が架かっており、その先はジド国王都ザームエルへと繋がっている。
お父様の軍が河口のシオ戦線の早期決着を狙い、回り込んで側面を襲って来ると思い込んでいたジド軍三万は慌てたことでしょう。ディルク王への直接攻撃を恐れた。対岸にお父様の軍を見つつ追います。
お父様の軍はザマに着陣すると橋を渡る素振りを見せます。当然、ジド軍は橋の前にして防衛線を張る。
その姿を確認するとお父様の軍はあっさりと渡河を諦め、ザマを捨てました。そして、さらに南下、パトへと向かいます。パトにも大きな橋が架かっていて、ここもその先はジド国王都ザームエルへと繋がっている。ジド軍はお父様の軍を追います。
お父様の軍は行軍の速度をさらに上げました。いままでにない速度です。対岸を進むジド軍も必死に食らいついて来たそうです。ところが、お父様の軍はパトを通り過ぎた。橋を渡る気配さえ見せず、さらに南下を続けたのです。
ジド軍はここでようやくお父様の軍の本当の狙いを理解したことでしょう。山岳地テベで敗退した我がリア軍の救援です。しかも、お父様の軍がこのまま南下を続ければテベを突破した敵ジド軍の背後を突く形になる。
ですが、時すでに遅しです。テベのジド軍四万は背後からお父様の軍三万と、前方から防衛陣地を築いていたリア軍三万に攻め立てられ戦列は崩壊、兵は霧散してしまうのです。
テベのジド軍を屠ったお父様の軍は取って返すと遅れて河を遡って来た漁船二百にそれぞれ乗船、河を下って北上しました。
山岳地に防衛陣地を築いていた我がリア軍三万も即座に移動。リマ河岸に陣を張りました。河口シオからお父様を追ってきたジド軍三万を牽制するためです。当然ジドは動けない。
乗船したお父様の軍は河の流れに乗って短期間でシオに到達しました。そして、ジド国側に着岸するとシオに残っていたジド軍二万を側面から攻撃し、撃破したのです。
ジドのディルク王はその報を山岳地テベに向かう行軍中に聞いたそうです。軍を反転し、河口のシオに向かわせることも考えたようですが、結局は休戦を決意した。
我がリア国と敵国ジドは交渉の末、双方とも休戦協定に調印致しました。それによってリア国は河口シオ周辺の肥沃な土地一帯と水源であるテベ周辺の山岳地帯を得ることになったのです。
一つ付け加えるならボドワン・ワトー伯爵はお父様と共にシオ方面軍に加わっていたそうです。軍を一切動かさず、ずっと敵軍と対峙していた。戦ったのはお父様の軍が引き返してからです。ですが、その褒美としてジド側の肥沃な土地の一部と都市を手に入れていました。
策を考えたのは私です。ですが、実際にそれをやるとなると話は違います。私は本を読んで空想ばかりしている。
他人事のように思っていたから策を立てられた、と言えば語弊がある。戦争とはとどのつまり殺し合いです。それは頭では分かっています。ですが、実際に目の前で人が死んでいくのです。私も殺されるかもしれない。冷静でいられるかどうか。
「ご心配なさらぬよう。我らが命に代えても姫様をお守りいたします」
ジャン………。あなたには私が不安になっていることが分かるのね。
ありがとう、ジャン。これは私が決めたこと。私が始めたこと。私はジャンを見詰め、大きくゆっくりとうなずく。
ジャンはそれを見届けると味方に向けて手で合図を送った。角笛が響き渡る。城を囲む敵将兵諸侯らがざわつき、その誰もが城壁の上の私たちに視線を向けた。
ジャンはその光景をしばらく見渡し、静まる頃合いを計って大音声を発する。
「皆の者、聞けい! アナ・アルナルディ令嬢の御厚意でブリンケン王を解放する! 今から城門を開けるので手出し御無用として頂きたい!」
城を囲う敵兵に目立った動きは見えません。呆気に取られているのです。このタイミングで私たちがブリンケン王を解放するとは夢にも思ってなかったでしょう。彼らが考えているのはおそらくこうです。
攻城兵器も届いていないし、戦況はアナ・アルナルディの優位に働いている。だとしたら、アナ・アルナルディ自らが虎の子のブリンケン王を手放すはずがない。ジド国ディルク王のこともある。籠城が長引けば長引くほど城方が有利となるはず。それがなぜ。
敵陣を覆う空気はまさに青天の霹靂。
囲む兵らを日々観察しているとよく分かります。持ち場から離れている者が大勢いる。案の定、この期に及んで指揮官が軍の態勢を整えられない。
賽は投げられた。言うまでもなく、ここは私の家の書斎ではない。戦場、そして私は一軍の将。この戦の勝敗は私の首が取られるか取られないかにかかっている。
私は跳ね橋を下ろさせました。そして、兵士にブリンケン王の喉元に短刀を突き付けさせ、その兵士と共にブリンケン王に跳ね橋を歩かせます。
ブリンケン王には、味方の者に手を出すなと命じろ、と言ってあります。ご自身も流れ矢に当たりたくはないでしょう。
王冠などはなく、城の使用人と同じ出で立ちをさせていることもあります。声を上げなければ誰も王と見分けられない。特に雑兵などには。
当然、ブリンケン王は己をアピールします。攻撃も許さない。
わめき散らすブリンケン王が跳ね橋の中央に差し掛かかります。私は虜にしていた他の者たち、城の使用人合わせて二百五十も一斉に解放しました。
もちろん、ウラール王太子、マリエット・ワトーらもです。跳ね橋に多くの人が殺到しました。貴賤なぞ関係ありません。我先に逃げようとするのは人の心情というもの。その機を見計らい私はジャンに命じました。
「今です」
ジャンは自軍五百に出陣を命じました。馬に飛び乗ると鐙を蹴り、全速力で跳ね橋を行く。他の騎士も続々と続き、跳ね橋を走る捕虜たちを後ろから急き立てました。
五百の騎馬に押されて二百五十人が、城を包囲する兵にどっと雪崩れ込んでいく。
その光景に敵方の将兵諸侯も慌てたことでしょう。敵兵は反射的に弓を放つ。ですが、逃げ惑う人々の中にブリンケン王がいるのです。打ち方やめい、打ち方やめい、という怒号がそこかしこから聞こえて来ました。ブリンケン王に流れ矢が当たってしまっては取り返しがつかない。
敵の混乱の中、私たちは城の包囲網を誰一人欠けることなく突破する。本当の戦いはこれからです。市街地を駆け抜けていきます。敵の騎兵も追って来ていました。私を討ち取れば栄誉も褒美も思いのまま。
しかも、私は剣も握れない公爵令嬢です。こんな好機、またとない。欲にくらんでいるのが見え見えです。
それは身分の上下なぞ関係ない。私は二カ月も城壁にその身をさらしていたのです。ろくに剣も振れない雑兵までも私を討ち取る千載一遇のチャンスを得た。
彼らが駆られるのは、欲望だけではありません。憎悪の感情を抱きつつ毎日毎日城壁にいる私の姿を見上げていた騎士もいたことでしょう。十万に及ぶ将兵のよこしまな想いが、私という女一点に突き動かされる。
真っ先に追って来た騎士はいざ知らず、敵軍は統率が取れない有象無象と化す。出遅れた騎士たちは狭い街路と湧いて出た雑兵に行く手を阻まれて思うように馬を進められない。強みの大軍が徒となっている。
私たちは王都をあとにしました。陣形を菱型の密集隊形にし、私はその中心にいます。
草原を進み、緩やかな丘を登っていく。すぐ後ろに敵百騎程。それから少し離れて数千騎が追って来ています。さらに後ろはまだまだいるようです。王都から虫が湧いて出て来るように多くの騎兵が草原に雪崩れ込む。
私たちが丘の中腹に差し掛かった頃、空に幾つもの風切音がしました。無数の矢です。
「姫様、アルナルディ公のお出ましです」
ジャンの言葉です。ジャンは私から片時も離れていません。
矢の雨が、私たちのすぐ後ろの敵に降り注いでいます。ロングボウの一斉射撃です。敵騎兵がバタバタと馬から落ちていきます。矢が馬にあたり、馬ごと転倒していく騎兵もいます。彼らは瞬く間に壊滅してしまいました。
丘の上にはお父様の軍の姿があります。三万の騎兵が横に展開している。攻城戦用の投石器も騎兵の後ろに並べられていました。私たちがお父様の陣に合流するとそれが一斉に動き出します。大きな石が放たれ、宙に弧を描くと中腹に着弾、丘の斜面を跳ねながら下へと転がって行きます。
大きな石は出遅れて追って来た騎兵をたちまち押し潰し、すり潰していきます。お可哀想に。
この二か月の間、お父様は諸侯に対して自身の潔白を訴え続けていました。首謀者はジャン・バランド。娘をたぶらかしたと。
ここに来たのはジャン・バランドの家族の護送。言うまでもなく、ブリンケン王を開放するためにジャンの家族を使う。それと十万人分の兵を養うための食料の供与。そして、攻城戦用の兵器一式の提供。
幾つもの投石器はお父様がカストから運んで来たものです。お父様はそれを五回ほど繰り返すと総攻撃のご命令を出しました。軍は一斉に丘を下って行く。
私とジャンは丘の上からお父様の軍が王都ラミデスに向けて突き進むのを見ていました。統制が取れていない有象無象の敵がお父様の軍とぶつかると次々と霧散していく。
☆
お父様は空席の玉座を後ろに捕虜となった貴族たちに問い質していました。ブリンケン王を殺めたのは誰かと。
ブリンケン王の死体が床に転がっていました。頭に矢が刺さっています。ウラール王太子、そして、その弟らも矢が刺さって死んでいました。王族の男子が絶えてしまったのです。
「我々はブリンケン王を解放したのだ。それなのに矢を射かけるとは貴様ら、何たる所業か。ボドワン・ワトー、マリエット親子は王を惑わした罪で絞首刑とするが、国王弑逆はそんなものではない。拷問の末、極刑、それも最も厳しい八つ裂き刑に相当するが、各々方、いかに!」
捕虜となった諸侯らは自らの潔白を訴え、跪いて命乞いをしました。何を隠そうブリンケン王は私たちによって手にかけられたのです。使用人を解放する時にジャンの手の者を紛れ込ませていました。当然、お父様もそれを承知の上で捕虜の貴族たちを責め立てているのです。
大勢の怯える諸侯の中、フンメル男爵が口を開きました。彼はテベの陣でお父様に命を救われたといいます。
「恐れながら申し上げます。王が亡くなられたのは誠に痛恨の極み。不幸にも王太子も亡くなられて王統が途絶えてしまいました。王が不在で国と言えましょうか。誰かが王にならなくてはなりませぬ」
そうです。潔白を示そうなんて無駄なのです。フンメル卿はここでどうすれば自分たちが助かるのかを理解している。
他の貴族たちも、はっとしました。顔を見合わせ、誰がその言葉を言うのかそれぞれが目で確認し合っております。
やがて王家の分家筋に当たるキューネ公爵に皆の目線が集まりました。キューネ公も自分の役目を分かっているようです。
「ジドも脅威だ。ここは武勇の優れたアルナルディ公が適任と思うが」
誰もがその意見にうなずいて見せた。お父様は、分かった、皆がそこまで言うのならと玉座の前に行き、諸侯を見渡しました。
諸侯は一斉に膝を突き、頭を下げる。お父様はそれを確認すると玉座に腰を下ろしました。
☆
ジド国との諍いはなおも続いております。彼らの目的は、まずは旧領の回復でしょう。ディルク王を何とかしなくてはなりません。彼の野望はリアとジドの統一なのでしょうから。
私はというと、王太女となりました。そして、陛下はジャン・バランドを王配として迎え入れると約束して下さいました。ジャンは相変わらず戦場を駆け巡っております。ですが、王都に帰ってくると必ず野山の花を摘んで私に会いに来てくれます。そして、風にあたろうと私を外に連れ出してくれるのです。
私の愛する人。
ジャンを心に想い描き、私は昔のように心安らかに本を読んでおります。ですが、この幸せを奪うとする者がもし居たとしたら………。
私はその者を絶対に許しません、それが誰であろうと。
《 了 》
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