悪の存在しない世界
今日は雨が降っていた。
霧雨や小雨といえるような少しの雨でもなければ、豪雨や台風のような途轍もない程の雨でもなく、至って普通の雨の夜であった。
一般的に見れば、少し瘦せていると言い得るであろう私の身体を連れ、廃れ切った町へ消えていった。
私は、知らない家の前へ立ち、その家の主がこの家にいないであろうことを確認すると、今までの人生で培った技術を使い、ドアにかけられた鍵を開けた。
ドアノブを捻り、土足のまま玄関を潜り抜けていく。
机の上には、無防備にパンや林檎などの食料が放置されていた。
現金や金になりそうなものは盗まず、食料と服のみを両手に抱え、何とかして玄関のドアノブを捻る。
今回も成功だ。
家の主にばれることは無く、食料と暖かそうな服を持ったまま、今度は真っ暗な裏の路地へ消えていった。
* * *
生臭いゴミ袋に腰掛け、ボロボロとしているが、暖かそうな服だけを地面に投げ捨て、パンや林檎を貪るように口に放り投げ始めた。
久しぶりの食事な気がする。
なんだかんだ、二、三日くらいの間は口に物を入れていなかった。
少量ではあったが、小さくなった胃袋には、満腹と言えるほどに食料が溜まった。
満腹になったとはいえ、今度の標的を見つけておかないといけない。
さもなくば、すぐに飢え死にをしてしまうだろう。
またあの家に行ってもいいな。
食うに困らないくらいには稼いでいるようだったし。
次回もあそこの家に行くことにしよう。警備も緩そうだったしな。
気温が下がり、一つくしゃみをしながらそう考えた。
* * *
朝の喧騒は無く、ゴミを啄みに来た烏の鳴き声によって目を覚ました。
路地裏にいたので、朝の光は無かったが、路地裏を抜けると太陽が昇り始めていた。
それは、紛れもなく朝だった。
朝のうちは特にすることが無い。
盗みをするのであれば夜の方が都合が良いし、水を飲むために川へ行ったとしても、このあたりにある川は濁り切っているので、腹を壊すのが目に見えている。
取り敢えず光を浴びて、体内時計を直すとしよう。
倒れ込むようにしていたゴミ袋は、私が立ち上がった瞬間にガサッと言って、それきり音をたてなくなった。
路地を抜け、朝日に目が眩んでいると、ゆっくりと歩いていた老人に私の体がぶつかる。
「あぁ、すいませんね」
コクリと頭を下げると、老人はこちらを見る様子も無く、先程と同じようにゆっくりと歩を進め始めた。
財布がポケットから少しはみ出していた。
折角だから、財布だけ頂いていくとしよう。
そう思い、老人の方へ静かに近づくと「ん?」と何かに気付いたように後ろを振り返った。
気付かれたかと思ったが、こちらに気付いている様子はなかった。
目でも見えないのだろうか?
それなら、仕事が捗るだけなのだが。
走って老人の方へ向かうと、老人は「やはり…」といい、またしても後ろを振り返った。
「君は、行く場所が無いのだろう?」
「えっ…」
気付かれたまではまだ良いにしても、声をかけられるとは思ってもいなかったので、声が出てしまった。
私が盗人をしていると知らないのは分かるが、哀れな子供として私を見ているのだろうか?
「行くところは…無いですけど」
「ならば、私の家へ来るといい。裕福ではないがね」
そう言うと、杖を突き、道を確かめながら歩き出した。
* * *
流れで付いてきてしまった…
しかも、この家は昨日に私が盗みを働いた家だった。
「少しこの家で待っていなさい。何か食べ物を買ってくるから」
そう言うと、老人は杖を鳴らしながら家を出て行ってしまった。
私としては、食べ物が手に入るならそれで良い。
暫くの間はここに住まわせてもらうことにしよう。
時間があるから、この家の散策でもしておこうかな。
調べてわかったことがある。
先ず、この家は老人の言っていた通り、そこまで裕福ではないということだ。
服や食料はあったが、それ以外に必要なものは殆ど無かった。
装飾品や家具などが極端に少なかったと言えばわかりやすいだろうか。
戸棚があったので調べてみたが、この国の通貨が入っていた。
しかし、へそくりや貯金といった様子もない程に、少ない金額しか置かれていなかった。
その戸棚の上には、若かりし頃の老人であろう者と、そのフィアンセらしき人物が並んだ写真が一つだけ置いてあった。
太陽が、これ以上ないほどに高く昇った時、老人が家に帰ってきた。
「すまんな、予定より少し遅れてしまった」
杖を壁に寄りかけ、老人は椅子に座り、手に持っていた籠を机の上に置いた。
慣れた手つきでパンを一つ掴むと、こちらにパンを差し出してきた。
「少ないかもしれんが、これで我慢してくれ」
優しい声でそう声をかけてくれる老人。
渡されたパンを一口齧ると、昨日食べたパンよりも少し美味しく感じた。
* * *
老人との生活に慣れる頃には、自分の家族のことや、この老人から盗みを働こうという気持ちは、これっぽっちも無かった。
老人は私のことを、本当の家族の様に優しく接してくれた。
食事は昼と夜に二回、昼はパンだけだが、夜は林檎も付いてた。
毎日のように同じ食事だが、飽きることは全くなかった。
ある日、老人が「買い物に行ってくる」といつものように出て行って、そのまま昼過ぎになっても帰ってこなかった。
この家に来てから、私はこの家から出ることは無かったので、老人を探しに行くことを躊躇した。
半刻くらい時間が経っても帰ってくる気配が無かったので、意を決して外に出た。
いつもパンと林檎を買ってくるから、パン屋の方に行けば出会えるだろうか。
そう思い、自分の知っている店を、走って巡っていく。
四件目に差し掛かろうとしていたとき、ふと、川が流れていることに気が付いた。
その川は、音こそ普通だったが、色が明らかにおかしかった。
真っ赤に染まっていたのだ。
何事かと思い、近づいて見て見ると、頭から赤い液体を流している老人の姿がそこにあった。
近付くと、大量に溢れ出た赤い液体が、川へ流れ出ており、川の色を赤く染め上げているようだった。
前のめりに倒れ込んでおり、後頭部が抉れていることから、何者かに硬いモノで殴りつけられたのだろう。
後ろのポケットには、最初会った時とは違い、財布は入っていなかった。
息や脈の確認をする気は無かった。
* * *
老人の倒れている傍に落ちていた杖を持って、闇の世界に私は消えた。
前の様に盗人として生きる気は無かった。
少しでも多く、なるべく沢山、この杖を赤く染め上げたかった。
いつかの月の色の様に
どうもLrmyです。
少しばかりですが解説をば
少女の親は、金目当ての物に殺されました。
そのことを少女は知っていましたが、ショックにより記憶を消してしまっています。
老人も金目当てに殺されています。
人を殺すことに躊躇いがあったために少女は盗人をしていましたが、老人を殺されて意識します。
『この世界は腐っている』と
ある種、老人の為に、老人の形見である杖を使い人を殺し、その金を使って生きていくことを誓いました。
その後、少女がどうなったのかは読者の皆様へお任せします。
ここまでお読みいただき、感謝感激です。
ではでは~