19 らしさ
昼食を食べ終えてから、10分くらいは経っただろうか。春の陽気と穏やかな風を感じながら、ベンチに腰掛けて過ごしていた。
二人の間に、それほど会話はない。
桜っていいよね、とか。
食べすぎたかも、とか。
あったかいねぇ、とか。
当たり障りのない事をどちらかが呟き、それに軽い返事を返すだけ。
しかし、そんな何気ない時間が、ものすごく心地良く思えてくる。
お腹もまだ満腹だし。
なんか、ウトウトして……き…………
ピトッ。
頬に衝撃が走った。
「っ!?……え、なに、どうかした!?」
ベンチから跳ね起きる。
頬を触ってみると、少し濡れていた。
「いや……。な、なんかすっごく気持ちよさそうに目を閉じてたから……つい。出来心で?」
高林さんを見ると、目を泳がせていた。
ペットボトルを持ったままのポーズで固まっている。
いつの間にか目を閉じていたらしい。
どうやらその隙に、ペットボトルを頬にくっつけたのだろう。
「寝そうになってた……」
「いや、大丈夫だよ。実は一回やってみたかったんだよね、頬に冷たい飲み物あててびっくりさせるやつ。……というか、起こしちゃってゴメンね?」
ドラマとか漫画でよくあるアレね。確かに、自分もやってみたいと思ったことはある。
でも、いざやられてみると心臓に悪いな……。
「いや、こちらこそごめんね。なんか、気持ちよすぎて……」
「それならそれで、誘って良かったなって感じがするから嬉しいけどねー」
高林さんも立ち上がり、んんーっと伸びをする。
腰をトントンしている仕草は、なんかお婆ちゃんみたいな可愛らしさがあった。
「……じゃ、そろそろ片付けて歩こっか。写真も撮りたいしね!」
「うん、そうしよっか。このまま座ってたら、また寝ちゃうかもしれないしね……」
「あれ、まだ眠いの?じゃあもっかい……!」
「いや、もういい!もういいから!」」
えい、えい、と言いながらペットボトルを突き出して、フェンシングの攻撃みたいな動きをしている。
その独特な動きに、思わず笑ってしまう。
すると高林さんも、あははと笑顔で返してくれた。
ウォーキングコースに戻ってきた。今度はコース沿いに歩き、公園内を散策していく。
時折立ち止まり、スマホやデジカメを取り出して桜を撮っていく。何というか、写真を撮っている姿も絵になるな、と思いながらそれを見ていた。
「スマホとデジカメ、両方で撮るんだね」
「うん。何て言ったらいいかな……用途?目的?が違うんだよね、この2つって」
「なるほど……?」
ピンとこなかったため、微妙な顔をしてしまった。
「ええとね……私も別に、カメラとか詳しいわけじゃないんだ。何となく、自分の中で【スマホは記憶用】【デジカメは記録用】って、私の中でそういう感じに分けてるの」
「うんうん」
「後でフォルダを見返して、あんなことあったなーって思い出しながら楽しむのがスマホ。それで、綺麗に記憶を呼び起こしたり、そこのズームしておいた写真を見たりするのがデジカメかな」
「なるほど。少し分かってきた」
「特にお花とかは、手に届かないところにあることも多いからね。……だからこそ、それを綺麗な形で残したいなって思うんだ」
にっこりと笑いながら、人差し指で頬をかく。
これは、最近よく見る照れている時の仕草。
「なんか、いいね。その考え方。高林さんらしいな、って思うよ」
高林さんは、少し呆けたような顔になった。
喜んでいるような、戸惑っているような……不思議な表情だった。
「…………『私らしい』、か………」
そう呟き、そのまま先程の言葉をゆっくりと反芻するように目を閉じた。
誰も、何も言わない時間が流れる。
さっき、ベンチに座っていた時に流れた沈黙とは何か違う感じがした。
風の音が、やけに大きく聞こえる。
何か、引っかかる言葉でも言ってしまったのだろうか……?
「……あの、何か気に障ったかな?」
「……え?あっ、いやいや!!全然そんなことないよ!」
高林さんは慌てたように否定してくれた。とりあえず大丈夫そう……なのかな。
「よかった。……でも、なんかごめん、変な空気にしちゃったかも」
「あはは……私も、なんかポカーンとしちゃった。でも、本当に、何でもないんだよ」
私もゴメンね、と手を合わせる。
「そっか。でも、何か気になってることとかあったらすぐ言ってね?出来ることならするからさ」
「別にそんな…………………あっ」
そう言うと、高林さんは探偵みたいな格好をし、考え込んでしまった。
やばい、大袈裟に言いすぎてしまったかもしれない。
「………じゃあ、1つお願い。いいかな」
「で、出来る範囲でなら……」
「ふふ、それはどうだろ。オーケーしてくれると、私は嬉しいけど。…………えっと、ね」
一度話を切り、息をすうっと吸い込んだ。
そして、改めてこちらを見る。
葉桜は、背景を柔らかく彩っている。
桜の花弁は、まだたくさん舞っている。
しかし、その吸い込まれそうなほど深く色付いた瞳から、今は目を離すことはできない。
そしてそれは今、どうやら自分だけを捉えているのだ。
「……私のこと。名前で呼んでほしい」
「……名前で?」
「うん。麻実、って。……それで、私も侑都くんって呼びたい」
「…………いい、けど」
「……呼んでみて、ほしい」
「……………麻実。改めて、よろしく」
瞬間、一気に首筋や耳が真っ赤に染まった。
自分がそうしたというのに、キャパシティーが足りなかったのだろうか。目が泳ぎ、見るからに狼狽えている。
「じ、じゃあ、行こっか。侑都くん」
振り返り、自分より先に歩き出す。その姿は、少し浮き足立っているようだった。
「…………………心臓がもたない…………」
眼鏡をそっと外し、目頭を押さえる。
そしてそのまま、もう一度前を見る。
葉桜などの公園の景色が、少しぼやけて見えた。
その中で、彼女だけは………
麻実だけは。
何故だか、はっきりと見えた気がした。