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恋愛の常識について

 その夜、食事が終わったヒースは、クリフを抱きかかえたまま早々と寝ることにした。


 今日一日、あれこれとあり過ぎた。いくらヒースが若くて体力があると言っても、崖の上り下りに剣の特訓、更には崖をぴょんぴょん飛び跳ねるカイネにしがみついていたのだ。さすがにこれで疲れるなという方が無理な話だった。


「クリフ、俺はまた暫くいないから、その間ハンをしっかり守っておいてくれるか?」

「クリフ強いから守る」


 目をとろんとさせながら、腕の中でクリフが言った。思えばこの子も、ヒースと知り合ったばかりにこんな所まで連れて来られてしまった。母鹿を魔獣に殺されたのだって、元を正せば奴隷達が逃げ出したから森に火を付けられた所為であって、クリフ親子は完全なとばっちりである。


 それでもヒースに懐いてくれて、ヒースが与えてしまった妖精界の果物の所為で人間の姿になれる様になってしまい。果たしてそれでクリフはいいのだろうか。正直疑問だったが、ヒースにとってクリフは可愛い弟分だ。そして命の恩人でもある。クリフがいなければヒースは母鹿にさっさと逃げられていただろうし、だとしたら魔獣に食われていたのはヒースだという可能性だってあったのだ。


 ヒースは目を閉じると、クリフのちくちくする髪に頬を付けた。少し動物くさいクリフのこの匂いとも、暫くはお別れだ。


 そういえば、シーゼルはご褒美は前払いしてもらったんだろうか。明日、カイネを待つ間に聞いてみたら、シーゼルは喜んで教えてくれそうだ。それに、ちゃんとカイネと喧嘩しないで、ともお願いし直さないと。


 この先に一体なにが待ち受けているのか、ヒースには全く分からない。頭のいい人なら先を読んだり出来るのかもしれないが、ヒースに出来るのは、今とこのちょっと先のことを考えて、なるべく自分の周りの人が傷付かない方法を選び取るだけだ。


 元は、ジオだけだった。ジオを安全に送り届ける義務が、言い出しっぺの自分にはあると思ったから。だけど、アシュリーがこちらにニアを送り出して来て、ヒースの世界ががらりと変わった。


 これまで、一人の人間に執着することなど一度たりとなかった。嫌われない様うまく立ち会い、なるべく中心に立たず、出過ぎた真似もせず、だが搾取され得る立場にも陥らない様に、うまくバランスを保って生きてきた。そうするしか、あの閉ざされた奴隷の世界で安全に生き延びる術はなかった。


 アシュリーは向こうの世界で今何をしているのか、恐らくニアは気が気でないだろう。だけど、そんな素振りはおくびにも出さない。だけど、もし今回接点にアシュリーがいたら? もしアシュリーが、やはりニアが必要だとあちら側から手を伸ばしてきたら、ニアは何を選択するのだろうか。


 そして、ヒースにそれを引き止める勇気はあるだろうか。


 だから伝えようと思う。接点が開き、シオンがこちらの世界へ来る前に、ニアに伝えるのだ。好きだと。ずっと一緒にいて、ヒースの隣で笑っていて欲しいのだと。


「……おやすみ、クリフ」


 ヒースはクリフにそう言ったが、腕の中のクリフからはもう返事はなく、身体全体でゆっくりと息をしているのが伝わってきただけだった。ヒースも目を閉じた。


挿絵(By みてみん)


 明日から暫くは落ち着かない日々が続くだろう。だったらせめて今日は、夢の中でニアの笑顔を見ていたい。出来れば腕の中で。


 そして、ヒースは深い眠りへ落ちていった。



 ツンツン、と頬を突かれた。誰かがヒースの頬を(つつ)いている。


「ヒース、朝だよ」


 シーゼルの声だった。


「ヒースってば。寝起き悪いねえ」


 肩をぐわんぐわんと揺すられるが、目が開かない。瞼の奥は明るいので、確かに朝が来ているのだろう。でも眠い。


「ヒース、ほら、朝ご飯食べよう」

「朝ご飯!」


 ヒースはガバっと起きた。その勢いに驚いたのだろう、シーゼルが身体を引いて目を見開いていた。あ、目が大きくなるとそれはそれで綺麗だ、この人。


「……ご飯に物凄い反応をしたね」


 そう言うと、ふふ、と笑ってヒースの鼻をツン、と(つつ)いた。ヒースの腕の中にいた筈のクリフがいない。辺りをキョロキョロと探すと、煮炊きの鍋の近くにいるハンの肩に乗っていた。皆、朝餉の支度をしている様だ。つまりは、ヒースが大幅に寝坊してしまったらしい。


「あ、おはようシーゼル」


 ヒースがようやくそう言うと、シーゼルがしゃがみ込んだままヒースの頭を撫でた。


「可愛い」


 ヒースは咄嗟にヨハンを探す。あ、煮炊きの鍋の近くからこちらをじっと見ている。顔が怖いので、ヒースはこそっとシーゼルに伝えることにした。


「シーゼル、ヨハンが嫉妬しちゃうから、誤解される様なことは止めた方がいいと思うよ」

「え? 隊長が?」


 シーゼルがヨハンを探し、こちらを見ているヨハンが不貞腐れた顔をしてみせたのを見て、実に幸せそうに笑った。


「隊長が僕に嫉妬してるよ。何だか新鮮だね」

「新鮮とかそういう問題じゃないと思うよ」

「いいのいいの、こっちは十年間片思いしてたんだから、ちょっと位はね」


 これまでのシーゼルとは打って変わり、今朝のシーゼルには余裕があった。だが、二人の駆け引きにヒースを使うのは止めてもらいたい。どっちも怖いから。


 ヒースはこそっと尋ねた。


「それで、首尾はどうだったの?」

「うーん、途中までは良かったんだけど、隊長がこんな場所で皆に見られたら示しがつかないとか言ってすごく中途半端なところで止めちゃって」

「あらら」


 どうせなら最後までやって、この先の憂いを取り除いてもらいたかったのに。ヨハンは威厳を大切にする人間らしかった。


「まあ、だから僕が奉仕して昨夜はおしまい。残念だったけど」


 本当に残念そうな顔をして、シーゼルが言った。


「でも、それでもとりあえずは満足だよ」


 ちろりと舌を覗かせたシーゼルがあまりにも色っぽいので、ヒースはよくヨハンがこれを見て我慢出来たものだと感心した。


「ふふ、お子様には刺激が強かった?」

「まあ未経験ではあるけど、見たことは何度も」


 なので、男同士が何をどうするかは大体分かっているつもりだ。したいとは思わないが。 


「あ、そうか。奴隷だったんだもんね」


 シーゼルが、少しだけ同情顔になった。 


「場所も限られてたし」

「うわあ……」


 シーゼルが首を横に振った。


「見られてるのが分かりながらやるのは、さすがに僕もちょっとないかな」

「やっぱりそういうものなの?」

「……その辺の認識がちょっとヒースはあれなのか、欠けてる感じなのかね」


 認識が欠けていると、まさかシーゼルに言われるとは思ってもみなかった。思わず尋ねる。


「俺、常識ずれてる?」


 大勢の人間の男に囲まれて育ったから、そこまで自分の常識は偏っていないと思っていたのだが。シーゼルが、「うーん?」と腕組みをして首を傾げた。


「というか、奴隷生活の常識が普通の常識に当てはまらないというか」

「奴隷生活の常識?」

「だから、見られながらやるとかそういうこと」

「ああ」


 何となく理解した、かもしれない。


「よし! 分かった!」


 シーゼルが嬉しそうに手をパン! と叩いた。そして、笑顔で言った。


「僕がヒースにこれからみっちりと常識を教えてあげるよ!」

「え?」


 ヒースが思わず聞き返すと、シーゼルが一人で話を進め始めた。


「どうも恋愛方面の常識がおかしいみたいだから、僕が恋愛講座を開いてあげるから安心して」

「恋愛講座……」


 でも、確かに恋愛に関してはシーゼルの方がヒースよりあれこれ知ってるかもしれない。


「是非お願い」

「よし、任せてよ」


 ヒースとシーゼルは、がっちりと握手を交わしたのだった。

次話は月曜日に投稿予定です。

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