ヨハンの覚悟
ヨハンが続ける。
「あいつのことをどう思っているか、と聞かれると、正直良くわからない」
どっしりと構えて語るヨハンは正に武人にしか見えず、それが語る内容がまさか右腕との恋愛模様だと一体誰が思うだろうか。
「好きかどうかも分からないの?」
自分とて、ついこの間までニアのことが好きかどうかすら分からず周りを彷徨いていたのだから人のことなど言えないのだが、ヒースは初恋。ヨハンは大人である。
「好きかどうか……とりあえず、一番信頼している」
「結構気分屋だけど」
「はは、だけどあれは俺を絶対に裏切らないからな」
確かに、シーゼルにとってヨハンの言うことは絶対だ。その命令を好き勝手に解釈する傾向にはあるが、まあ基本路線は守る。
ヨハンは、すっきりとした端正な顔立ちをしている。真っ直ぐな黒髪に、顎の周りにちらつく無精髭。いかにも男臭い男だが、荒ぶることはなく物腰は穏やかそのものだ。この人がどうやってシーゼルを制御しているのか、日頃の二人が気になったが、きっとそこにはヒースには想像もつかない様な深い絆があるに違いない。
「ただ」
ヨハンが、深いいい声でぽつりと言った。
「ヒース、お前とは不思議に馬が合うみたいだが、今まで友と呼べる人間など皆無だったシーゼルにとって、俺以外に懐く人間などいる筈がないとずっと思っていた」
懐くとは、とてもシーゼルにぴったりの表現に思えた。シーゼルは基本人に懐かない。ヒース本人だって、何故あそこまで好かれたか理解していないが、懐かれたにしても、それでも野生の猛獣を相手している様な緊迫感は感じるのだ。騙したらいつでもがぶりとやられる、その覚悟がないとあの人の隣にはいられない。
ヨハンが、ふい、と目を逸した。
「……だからそのだな、俺はシーゼルがお前に懐くのを見て、正直言うと面白くなかった」
「え?」
「聞き返すな。恥ずかしい」
そしてそっぽを向いてしまった。これはあれだ、照れている様だ。ヨハンが。
「俺は、俺以外に懐くあれを見て驚いた。分かるか? この俺の動揺が」
正直分からないが、今動揺しているのはその膝を叩く忙しない人差し指の動きでよく分かる。
「まあ」
とりあえず返答をしておいた。ヨハンがチラ、とヒースを見たが、これまでのその目つきは、そういえば確かにあまり温かみのあるものではなかったかもしれない。ヨハンとは殆どこれまで話す機会もなかったが、ヨハンが話そうと思えば、シーゼルは大人しくヒースを引き渡したに違いない。そこまでしてまでは、ヒースと話したくなかったのだ。何故なら。
「嫉妬」
「もう少し包み隠した言い方をしてくれないか」
不機嫌そうにヨハンが言った。
「ごめん、つい」
「……まあ、ヒースの言う通りだ」
ぶすっとしたまま、話を続けた。
「俺はあれが俺だけ特別扱いするのがずっと続くんだと、根拠もなく思っていたことに気が付いた。そしてそれは今朝、あれが俺に口づけをねだったことから、ああ、あれは俺が好きなのだと腑に落ちた。だから俺は特別だったのだと」
ヨハンは一息入れた。つまりやはりあの時までは一切シーゼルの恋心に気付いていなくて、ただ懐かれているとだけ思っていたということか。
「なのに何だ? その後は一向に近寄ってこなくなった。おかしいと思って目で追っていると、ヒースと楽しそうに過ごしているじゃないか。これは是非ヒースのことをどう思っているのか、探りを入れたくなった。だけど一向に近寄ってこない。いつもは呼ばなくても傍にいるのに」
ヨハンの機嫌がどんどん悪くなっていくのが見ていて分かった。何だか、飼い猫が他の人間に懐いてしまったのを怒っているかの様だ、と思った。
「ヒースが寝ていた時のあれは何だ? 頭を撫でて、あれじゃ周りが誤解するじゃないか」
あれもしっかりと見ていたらしい。ヒースはシーゼルの名誉の為、弁解することにした。
「落ち着いて、ヨハン。あれはね、俺が夕方にいなくなってもシーゼルと消えたと思わせる為の演出だってシーゼルが言ってたから」
「例えそうだとしても、お前に言われると余計に腹が立つ。しかもその後は何だ? 剣の特訓? あれが進んで誰かの為に? そんなの見たことも聞いたこともない」
そんなこと言われても、困る。ヒースは純粋に困った。シーゼルが二番目でいいならと言っていたことは、一生黙っていた方がいいだろう、そう思った。とりあえず、他人の色恋沙汰に巻き込むのは止めてもらいたかった。
「夕方になり、ようやくヒースがいなくなって、ようやくシーゼルが俺のところに戻ってきた」
ようやくを二回言われた。余程首を長くして待っていたことが窺えた。この人はこういう人だったのだな、そう思うと少しこれまで武人然としていた雰囲気が、ヒース寄りのただの人間に見えてきた。
ヨハンは、苛々と指をトントントントンやり続けている。
「そうしたら、凄く嬉しそうにするじゃないか。ああ、だからあれはシーゼルの気まぐれで杞憂だったのかな、と俺は思った。だが、また暫くすると近くにいない。探すと、ヒースが消えた方をずっと探っている。だから腹が立った」
ヨハンは、シーゼルの愛が不変だと思っていたら、それが揺らいだ様に思えてきてしまい、急に不安に襲われたのだ。ヒースは思った。やるじゃないかシーゼル、と。まさかヨハンがこんなに振り回されていたとは、シーゼルは思ってもみないだろう。
「……何を笑っている」
「あ、ごめん」
思わず顔に出てしまったらしい。ヒースは笑みを引っ込めた。ヨハンが苦虫を噛み潰した様な顔になった。
「それで?」
「……だからだな、ヒースと行かせるのは嫌だと思った。だがあれも頑なだ。まあ言い出したら聞かない。だから、褒美を提示した。ヒース、お前の前でな」
未だ滅茶苦茶嫉妬されている様だが、これは完全に誤解だ。シーゼルはヨハンが好きだし、ヒースはニアが好きだ。勘違いしてもらっては困ってしまう。
「本当に、ヨハンの誤解だよ」
一応主張してみた。信じるかは別だが。
「そうみたいだな。あれのあの喜び方を見たら、分かった」
「誤解が解けたならよかった」
ヒースがそう言うと、ヨハンが微妙な表情をした。
「だったら先にご褒美をあげちゃえばいいのに」
ヒースが提案した。すると、ヨハンがぶっと吹いた。手の甲で涎を拭いている。汚い。
「あのな、ヒース……」
「そうしたら、きっとシーゼルは安心して頑張って俺達を守ってくれると思うけど」
後払いにすると、待たされる分苛々は募りそうだ。あと、暴走も。
「男の人とは経験はないの?」
またヨハンがぶっと吹いた。その後、むせた。どうやら気管に入ってしまったらしい。
「な、なくはない。その、そういうところに行ったことはあるのでな」
「シーゼルがいた所みたいなところ?」
「……その話も聞いているのか。あれがよく話したな」
ヨハンが目を見開いて驚いていた。
「ヨハンに助けられたって言ってたよ」
「そうだな、助けた。――懐かしい」
ヨハンが遠い目をした。何か思い出にふけっている様だが、ヒースはもうひとつ聞きたいことがあった。あまり時間もなさそうなので、尋ねることにした。
「女の人が好きって聞いたけど大丈夫なの?」
「ふん、ヒースはまだまだ子供だな」
ヨハンが、勝ち誇った様に笑った。
「あれが女だろうが男だろうが、俺にはもう関係ない。世界に俺を、俺だけをあんなに求めてくるのはあれだけだ」
覚悟を決めた男の姿が、そこにはあった。




