貸して下さい
入り口から誰かが入ってくる以上、入り口側にカイネを座らせる訳にはいかないだろう。カイネとしては、行き止まりとなっている奥側に行きたくはないだろうが、ここは敢えて奥に行ってもらうしかない。
「カイネは奥に」
「……分かった」
カイネが警戒しているのが分かった。洞窟の中は決して狭くはない。ぎりぎり剣を振り回せる程度の広さはあるが、二人並んで振り回せる程の広さはない。つまり、万が一シーゼルとカイネがやり合ったら、間にいるヒースが真っ先に犠牲になる、その程度の広さだった。
シーゼルは、多分ヒースは殺さない。その程度には気に入られているとは思う。後は話の持って行き方だ。
すると、警戒したままのカイネが尋ねた。
「ヒース、可愛くない顔ってどうすればいいんだ」
先程のシーゼルの言葉を真に受けたらしい。
「……普通でいいから」
「しかしあの銀髪の男が」
「多分半分は冗談だから大丈夫だよ」
「多分半分とはどういう意味だ」
ヒースは答えられなかった。多分半分は本気ということだからだ。ただでさえ逃げ場のない洞穴に連れ込んでいるのに、これ以上怖がらせるのは少々、いやかなり憐れになった。
ヒースは、安心させる為に言い直した。
「大丈夫。怖かったら俺の後ろに隠れてて」
「こっ怖くなんかない! 僕はこれでも獣人族の端くれだぞ!」
自分で端くれと言っている。さっきシーゼルに端くれと言われて怒っていたのは一体何だったのか。ヒースは心の中でそっと溜息をついた。
外から虫が羽音を立てて火に近付いてきた。ヒースがそれをじっと眺めていると、焚き火の周りをくるくると周り、急に絡め取る様に跳ねた炎に焼かれた。
カイネを振り返る。
「カイネ、魔法使った?」
「何のことだ」
「今、虫が」
「虫?」
「……何でもない」
今ヒースは剣は持っていない。属性が付いていない状態で炎を操るなど無理な話だろう。偶然に違いない。ヒースも少し緊張しているのかもしれないなと、自身を落ち着かせる為に息を長く吐いた。
どれ位そうしていただろうか。
「連れて来たよ」
表から、シーゼルが声を掛けると、洞穴に入ってきた。相変わらず何の音も立てずに歩くのは猫みたいだ。そしてこちらも相変わらず右手は剣の柄に軽く触れている。その細い形のいい手で、今まで一体何人殺してきたのか。魔族も人間も。聞けば答えてくれるのだろうが、そこは超えてはならない一線だと思った。
シーゼルはシーゼルの正義がある。そこにズカズカと踏み入って批判するのは簡単だ。だが法などないに等しいこの人間の世界でそれをしたところで、一体何になろう。合わなければ一緒にいなくなる、それだけの違いなのではないか、とヒースは思い始めていた。
シーゼルが、顔を思い切り歪めて言った。
「……何それ」
「え?」
シーゼルが嫌そうにヒースの後ろを指差した。嫌な予感がした。そうっと後ろのカイネを振り返る。
「……何やってんの」
「か、可愛くない顔をだな」
カイネは両手を使って頬を引っ張っていた。頭が痛くなってきた。
「やらなくていいって言っただろ」
「だって」
そんなにシーゼルが怖かったんだろうか。でも怖かったんだろう。じゃなきゃこの怯え具合にはならない。ヒースはどうも鈍感な様だが、きっと獣人の様に感覚が優れた者にしか分からない殺気を放っていたのかもしれなかった。
逆に、それを感じ取れなければ、カイネは昨日森の中でとっくに殺されていたかもしれないな。ふと思った。
ヒースはカイネの両手首を掴んで無理やり下げた。
「やらなくていいってば」
「う……」
目線はシーゼルにある。多分あれだ。手に掛かった剣の柄。あれがカイネの恐怖の元になっている。そしてカイネを見るシーゼルの視線は、ただひたすらに冷たかった。成程、あれが気に入らない人間に対する態度なのだ。ヒースやヨハンに対する態度とは雲泥の差である。隊員達がシーゼルに近寄らない理由が、少し分かった気がした。
「シーゼル、そう殺気立たないでよ」
するとシーゼルが意外そうに言った。
「あれ、ヒース分かったの? そいつに向けてしかやってなかったんけど」
やっぱりやってた。
「やらないで、お願いだから」
「……仕方ないな」
シーゼルはそう言うと、ようやく剣の柄から手を離した。座る気はないのだろう、入り口近くの壁に立ったままもたれかかると、腕を組んだ。逃さないぞ、そう言われている気がした。
立っているシーゼルの横を通り抜け、ハンとハンに抱っこされたクリフが入ってき、その後ヨハンが入ってきた。やはりこの男は大きい上にかなりがっちりとしている。ニアに会わせるには要注意人物だ。
「ハン、カイネ……えーと、彼の隣に座って」
「ああ。――君がアイリーンの子供か。初めまして。俺はハンだ」
すっと出された手を、カイネは取らなかった。無言でじっとハンを見つめているだけだ。
「お前は人間か?」
カイネが聞いた。ハンは少し驚いた様な顔をした後、笑った。
「半分以上はね」
「混血か」
「そうだね」
「クリフ、鹿!」
ハンに抱っこされていたクリフがするすると降りてくると、なんとカイネの膝によじ登った。ハンが驚いて声を掛ける。
「おいおいクリフ、初対面でそれはちょっと」
すると意外なことに、カイネがクリフの頭を撫でながら優しく微笑んでみせた。
「いい。お前からは獣の匂いがするな。僕と似た匂いを嗅ぎ取っているのだろう。クリフ、僕はカイネだ」
「カイネ耳ある」
「そうだね」
「触っていいか?」
「いいよ」
するとクリフはカイネの肩によじ登ると、肩車される形になって耳をもふもふと触りだした。
「はは、くすぐったい」
「ふさふさだ!」
「中に指は入れるな、いいな?」
「分かった!」
そしてカイネの肩にクリフは納まってしまった。ヒースは口をあんぐりと開けてただこれまでの様子を眺めるしか出来なかった。そんなヒースに気付いたカイネが、尋ねてきた。
「どうしたヒース、顔がおかしいぞ」
「おかしいはなくない? いや、クリフって物凄い人見知りするんだよ。だからこんなにあっさり懐いたのを初めて見たから」
それを聞いて、カイネはああ、と笑った。何とも柔和な笑顔だ。
「匂いに安心したのだろうな」
「匂いねえ……」
「人間には分からないだろうな」
「うん、全然」
シーゼルの脅威が去ったからだろうか、カイネはようやく落ち着いた様子に変わった。やれやれだ。そしてふと気になり、ヨハンを見た。後ろのシーゼルには気付かれていない。ヨハンがカイネの笑顔に見惚れていたことは。
ヒースは強調する様に言った。カイネの案外低い声は聞いていただろうが、念には念を、だ。
「ヨハン、彼はカイネ。そこの獣人族の族長の息子だよ!」
するとヨハンがはっとした表情をすると、真顔に戻った。ふう、危なかった。
「俺はヨハン、この隊を指揮している。君がここに来てくれた意味を教えてもらいたい」
「隊長、そいつにやけに優しくないですか?」
シーゼルが口を挟んだ。ヨハンはそれを無視した。この世の中で、シーゼルを無視しても生きていられる人間など、ヨハンだけだろう。
「ここに来た理由を、話してもらえるかな?」
ヨハンはもう一度言った。すると、カイネがようやく頷いた。
「話は簡単だ。僕は僕の一族の者の命を守りたい。その為にはヒースが必要だ。ヒースを僕に貸して欲しい」
「――え!?」
ヒースは思わぬカイネの提案に、思わず声を上げた。
次回は明日投稿します。




