交渉開始
始めは暗かった足元にも、進むにつれて煮炊きの焚き火の明かりが地面や壁面にチラチラと瞬き始めた。ガヤガヤと賑やかな声が聞こえ始める。笑い声も聞こえるところをみると、集落に急襲はせずに大人しくしてくれていたらしい。
やがてヨハン隊の姿が確認出来る場所まで来た。ヒースは後ろを振り返ると、少し離れた暗い影になる位置にきちんとカイネは付いてきていた。ヒースが無言で頷いてみせると、カイネも真剣な顔で頷き返した。
蛇を解体した場所まで来た所で、洞穴近くの壁に腕を組んで佇んでいる人影に気が付いた。
「シーゼル」
シーゼルはとっくに気が付いていたらしく、少し機嫌が悪そうに眉間に皺を寄せている。その姿も様になっているのだから美形はいいな、とちょっと思った。
ヒースも自分では外見はなかなかの方だとは思うが、如何せん大人になってから女性がほぼ周りにいたことがないので、女性から見た場合の評価が分からない。せめてニアが何か言ってくれたらいいのだが、ニアは今のところヒースの外見については何も言ってくれたことはない。あるのは、腕と胸の筋肉がもうちょっとあった方がいい、それだけだ。
なので、ヒースの認識ではニアは顔よりも筋肉。それだった。
「随分かかったね、心配したよ」
シーゼルがゆら、と音もなくもたらせかけていた身体を起こすと、剣の柄に手を掛けた。視線はヒースの後ろにあった。カイネがいるのに気付いているのだ。ヒースは後ろを振り向いたが、暗くてカイネがどこにいるか分からなかった。シーゼルを振り返る。シーゼルは明らかに一点を睨みつけていた。なんでこの人は見えてるんだ。ヒースは素直に驚いた。
でも、驚いている場合じゃない。折角カイネがここまで来てくれたのに、その気持ちを無下にする訳にはいかない。
「シーゼル、ヨハンとハンを呼んできてもらえないか? カイネと話をさせたいんだ」
ヒースがそう告げると、シーゼルの眉間に深い皺が寄った。そこまで嫌そうな顔をしなくてもいいだろうに。
「お願いだ、シーゼル」
「やだよ。だって隊長が殺されたりしたら嫌だし」
「シーゼル、信じてやってよ。カイネのお母さんはカイラの子供だよ? 半分は人間じゃないか」
「そんなの屁理屈をこねくり回しただけじゃないか」
ヨハンをどうしてもこの場に呼びたくないらしい。
ヒースは作戦を変更した。
「ハンは呼べるでしょ?」
「ハン? いいよ」
あっさり要望が通った。ヒースはほっとして、そういえばうまくいったのだろうか、と気になっていたヨハンのことを尋ねることにした。
「髪の毛は、どうなった?」
すると、シーゼルの周りの空気がスッと冷えた気がした。これは多分気の所為ではない。多分魔法で本当に外気温を下げているに違いない。それ位の急激な温度変化を感じた。
「ハンが、邪魔した」
シーゼルが明確な怒りを瞳に宿し、続けた。
「折角キスまでは辿り着いたのに、剣が外の火を反射したのを見て勘違いして『早まるな!』て洞穴に駆け込んできて、失敗に終わった」
ギリ、と奥歯が噛み締められる音が聞こえた。ハンはヨハンが殺されそうだとか思ってしまったのだろうか。ただ、そもそもこの提案はヒースがしたものだ。その所為でシーゼルに殺意があるなどといった誤解を生み出してしまったのなら、それはもうヒースの所為と言っても過言ではない。
よって、ヒースはシーゼルに伝えることにした。
「シーゼル、俺が変な提案をしちゃったからだ。ごめん」
「……まあキスは出来たから、あれだけど」
シーゼルが、ヒースのこめかみにぶら下がった髪の毛を実に羨ましそうに見たのが分かった。
「僕も欲しかった……」
はあ、と実に色っぽい吐息をつく。何だか可哀想になってきたヒースは、思いついたことを提案した。
「シーゼル、とにかくそうしたらハンにはあれは俺の提案だったって言うよ! な!?」
「でももう時は戻らないし……ハンじゃなかったら許さなかったよ、本当」
ハンであろうとも、隙あらば暗殺してしまいそうな黒い影が、そこに揺らいだ気がした。ハンの生命の危機が迫っている、そう感じた。これは拙い、早急に何とかしないと。
ヒースは必死で考えた。こういう時、焦りが顔に出ないのは助かる。
「シーゼル、ここは素直に欲しいと伝えたらどう?」
すると、シーゼルが即答した。
「却下」
「何でだよ。もうキスもしただろ? 髪の毛を貰う方が余程簡単だと思うんだけど」
「やだ。恥ずかしいし隊長に引かれたらいやだし」
シーゼルは頑なだ。そもそも唇を二回も無理矢理奪ってる時点で、ヨハンにはそこそこ引かれてるとは思うのだが。
すると、まるでヒースの考えを読んだかの様に、シーゼルが教えてくれた。
「でもキスはね、割と隊長の受け入れ体勢が整ってたんだ。やっぱり前回の僕の技術がよかったのかもしれない」
そして何かを語り出した。
「隊長もちゃんと応えて下さいってお願いしたら、仕方ないなって笑って応えてくれたし」
それは思ってもいなかった発展度合いだ。ヒースは素直に驚いた。
「え、本当?」
「本当だよ。もう僕嬉しくって。ふふ」
「シーゼル、それって結構脈ありなんじゃないの?」
「え? やっぱりヒースもそう思う? そうなんだよね、今ちょっともしかして少し可能性あるかも、なんて淡い期待を持ち始めててさ」
だけど、と紡ぐ。
「髪の毛って……重くない?」
確かに、言われてみればそうかもしれない。ヒースとニアの髪の毛の交換は、属性付けの為にしたものなので、そこには他の意味合いもくそもない。純粋に属性付けのみだ。悲しいことに。
すると、それまで暗闇で二人のやり取りを無言で聞いていたカイネが口を開いた。
「髪の毛を貰いたいのであれば、獣人族では夫婦や恋人だけでなく、親子間でも髪の毛の交換をする場合がある。互いの無事を祈り、短く切ったそれを小袋に詰めて首から御守りとしてぶら下げたりする」
「なにそれ、詳しく」
シーゼルが思い切り食いついてきたが、剣の柄を握る手はそのままだ。いつでも抜ける体勢にあることには変わりがない。
「戦地に赴く際は、敢えて部族で一番強い者の毛を貰うこともある。武神の加護がある様にと」
「それだ」
シーゼルが細い目を輝かせた。
「じゃあ、そういう話をお前が隊長にしてくれたら信憑性も上がるという話になるな……」
目的が大分変わっているが、ヨハンに会わせてもらえそうな流れになってきた様だ。
シーゼルは、暫し考え込む様な素振りを見せた後、あっさりと認めた。
「分かった。じゃあ、隊長にその話をうまく持っていって、僕が隊長の髪の毛を貰える様に誘導してくれるのが、お前を隊長に会わせる条件だ。いいか?」
「分かった。この話をすればいいのだな?」
カイネがそう請け負うが、ヒースは不安しかなかった。カイネのことだ、思っていることが全部ダダ漏れになりはしないか。いやなる、きっとなる。
「シーゼル、俺も協力するから」
「はは、そりゃ頼もしいかも。対隊長についてはヒースの案が今のところ一番有効みたいだしね」
ようやくその気になったくれたみたいだ。ヒースが内心ホッとしたその時、暗闇からカイネが一歩進み出た。途端、曇るシーゼルの表情。
そんなに毛嫌いしなくてもいいのに、とヒースは思ったが、その最大の原因はそのすぐ後に判明した。
「その顔! 僕自分が可愛いって分かってますっていうその顔! それが気に食わないんだよ!」
「は? お前は何を言っているんだ?」
カイネが、異物を見るかの様な目でシーゼルを見た。
次回は挿絵が描けたら投稿します!




