信頼
今のは完全にヒースの失言である。強さが一番の獣人族の中において、族長の息子が弱いとなればそれは悲しいだろう。
「ごめん、知らなかったからつい」
「……仕方がない、事実だから」
ヒースは明るい話題を必死で探した。何かないか、何か。あ、あった。
「でもカイネ、そうしたら人間の女の人と結婚したらいいじゃないか」
「どこにいるんだよ」
「ええと……本国にはいるんじゃない? それに、混血の魔族もそろそろ増えてきてるところだろうし、混血同士なら強さとか、な?」
「混血同士……成程、その考えはなかったな……」
カイネの表情に明るさがやや戻った。よかった。未来に光を見出してくれたらしい。ヒースはほっとした。ほっとしたついでに、もう大分時間が経ってしまったことに気が付いた。
「カイネ、俺そろそろ戻らないと拙いかも」
「戻らないとどうなるんだ?」
「多分、何かあったんじゃないかってあのシーゼル辺りが集落に行ったりしちゃう可能性も……」
なくはない。いや、むしろ喜んで行きそうだ。あいつら全員。ヨハン以外。
するとカイネが涙を拭いて立ち上がった。
「分かった! では、戻ろう!」
「ちょっと待って、でもまだ話は終わってないだろ」
誰がカイネの口を塞ぐ係になるかだ。言い方はあれだが、かなり重要な役割である。
すると、カイネが驚きの提案をしてきた。
「お前らのリーダーに会いたい。これから会えるか?」
「え……? いや、大丈夫だとは思うけど、カイネは大丈夫なの? 相手は何人も魔族を殺してきた人達だよ? その、嫌……じゃない?」
カイネは人間との混血ではあるが、獣人として育てられている。とすると、獣人を殺してきたヨハン達はカイネにとっては敵に当たるのではないか。
だが、カイネはあっさりしたものだった。
「僕の感情を優先することで何が得られるんだ? 僕は仲間の命を優先したい。だから全く問題はない」
「カイネ……」
またもや思い知らされた。この人は泣き虫かもしれないが、それでも芯に強さを持つ人だ。外見や言動に惑わされてしまうが、この人は強い。
ヒースは頷くと、すっと立ち上がりカイネに手を差し伸べた。
「俺がカイネに手を出させない様にするから、あそこまで連れて帰ってくれるか? そうしたら、話が終わるまでは俺の前に出ないでいて欲しい」
獣人は彼等にとって敵だが、カイネはカイラの孫だ。それを分かってもらえれば、きっとあの人達もカイネをどうにかしようとは思わなくなるに違いない。
それにあそこにはハンもいる。
「分かった。では行くか」
ヒースの手を掴むと、カイネも立ち上がった。あ、とヒースが話しかける。
「ただ」
「うん? なんだ?」
「さっきのあの抱っこはちょっと」
「うん? あれが一番安定するのだが」
「いやあ、でもあれを見られるとさすがに恥ずかしいというか」
「成程、そういう意見もあるのか」
すると、カイネがポンと手を打った。
「ではおぶされ。それならいいだろう?」
「背に腹は代えられないもんな」
「よし。ではほら」
カイネはそう言うと、背中をヒースに向けて少ししゃがみ込んでみせた。思えば随分と信頼されたものだ。これでヒースが悪意をうまく隠せる人間で悪意があったら、後ろからブスッとやられていてもおかしくはない。
カイネの背に乗りつつ、ヒースが言った。
「カイネだって随分信用し過ぎじゃない? 俺が悪人だったら今ので死んでるよ」
「武器も持たない悪人にか?」
「悪人だったら隠し持ってるかもしれないよ」
ほ、とカイネが立ち上がりヒースの足を抱えた。
「その時は僕の人を見る目がなかったということだ。――しっかり掴まっておけ」
「うん」
ヒースが返事をした瞬間、カイネが一気に全速力で走り出した。今度は前が見える分、早いしちょっと怖い。
すると、カイネが崖の上から跳躍した。見える所に地面は見えない。これはまさか。
「うおっおっ落ちる!!」
「ははっ心配するな!」
落下していく感覚がヒースを襲い、咄嗟に腹筋に力を入れた。カイネの背中で吐いてしまっては申し訳なさ過ぎるから、ここは頑張って我慢するしかなかった。
ぐん、と崖の壁に勢いを吸収させると、カイネは今度は別の方向へと跳躍していく。とんでもない跳躍力だ。
「ヒース!」
返事は出来なかったので、親指を立ててみせた。カイネがふ、と笑った気配が感じられた。
「獣人と人間は別の種族だ! だが、父と母は出会い、種を超えて通じ合うことが出来たから、今僕はここにいる!」
また落ちて、壁に衝撃を吸収させて更に飛ぶ。カイネの髪の毛が宙に巻い、前が見えなくなった。
「疑うことは容易い! だが、いつまでも疑っていては何も先に進まない!」
あっという間に煮炊きの明かりが見える所まで降りてきた。ヒースの胃はひっくり返りそうだが、幸いなことに中身は殆ど入っていない。
「僕はヒースが信用に値する人間だと思った! だから信じる! 一回信じると決めたら、もう疑うことはしない!」
高らかに、カイネが言った。素直で騙されやすそうなカイネだが、獣人の中では弱くとも、心の強さは持っている。そして、人を信じられる強さも。
ドン、と今日待ち合わせした場所まで降りてきた。カイネが足を抱えていた手を緩めたので、ヒースはするするとカイネの背から降りた。そしてそのまましゃがみ込む。
「うぷ」
「汚いな」
カイネの顔が思い切り歪んだ。ヒースは手で「待って」のポーズをして、暫しその体勢のままじっとする。すると、段々と胃のむかつきが治まってきた。やばかったが、何とか耐えられた。よかった。
少しずつ顔を上げ、膝をついたままその場で深呼吸をした。ああ、空気がうまい。生き返った気分だ。
カイネが手を差し出したので、ヒースはそれを掴むとゆっくりと立ち上がってみた。
「ふう」
「大丈夫か?」
「うん、大丈夫そう」
「背中で吐かれなくてよかった」
「頑張った」
「……努力の結果か……」
ヒースは上から下の様子を伺った。周りには誰もいないようだ。カイネを振り返り提案をした。
「俺がまずは先に降りるから、いいよって言ったら降りてきてくれる?」
「分かった」
カイネを先に降ろしたら、いきなりぐさっとされる可能性だってある訳だから、ここから先は気を付けなければならないだろう。
例えこの場にいる誰よりもヒースが弱かろうとも。
ヒースは足場になる出っ張りを探しながら、ゆっくりと降り始めた。その様子を上からカイネが覗いている。
「降ろしてやろうか?」
「いや、大丈夫。カイネはそこで待ってて」
「時間がかかって仕方がないのに」
「これが人間だよ」
「不便なものだな」
カイネはぶつくさ言いながらも大人しくその場で待機してくれている。先程のカイネの言葉の通り、ヒースを信じてくれているのだろう。こんな簡単に信じていいのかとは思わなくもないが、それがカイネのいいところでもあるのかもしれなかった。
「よっ」
ドン、と一番下に着地した。どうしてもカイネの様に軽やかにとはいかないが、足のバネの種類が違うから仕方のないことだ。
キョロキョロと辺りを見回すと、誰もいない。
「カイネ、いいよ降りてきて」
「分かった」
すると、ヒースが必死で降りた高さをカイネは跳躍一回で済ませた。トン、と軽くした着地音に、やや嫉妬する。
「俺の後ろにいて、暗闇になるべく隠れて」
「そんなに警戒が必要か?」
「うん、絶対」
特にシーゼルが。ヒースはゆっくりと歩みを進めた。
次回は挿絵が描けたら投稿します。




