獣人の叫び
空はすでに暗くなり、一面を星々が覆っている。
昼間とは打って変わって風は冷たくなり、ヒースの服の隙間から入ってくるものが体温を奪う。
「俺達の目的は、満月の夜に妖精界との接点に行くことと、鍛冶屋を取り返すことだけだよ。それさえちゃんと約束出来るなら、協力出来ると思う」
ヒースはそうカイネに伝えた。あくまで鍛冶屋奪取がハン達の目的である。更にその上、ハンの密かな願いである協力も得ることが出来るのであれば、なおいい。
「だが、僕ではあいつらには勝てない」
カイネが実に悔しそうにそう言った。
「あいつらは、竜人族がアイネを拐っていったことをその理由に、拐った竜人族を一族諸共討伐したいんだ。それにより、獣人が竜人族の下の立場に甘んじる必要はないと主張出来ると考えている」
「下の立場か。そんなに違うものなのか?」
カイネは深く頷いた。
「僕らは完全に格下扱いだな」
奴隷時代の作業現場でそんな雰囲気は感じ取ってはいたが、やはりそうなのだ。
「アイネは同じ魔族の仲間であり、人間の国との境界に位置する非常に重要な役割を果たしている一族の長の娘でもある。つまり罪人はアイネを拐ったその竜人族であるから、あくまで自分達の優位性を主張しつつ、戦力になると見せつけ本国における発言権を増したいと考えているんだ」
「もっと出来る奴だと思われたいってことかな?」
カイネが薄く笑った。
「そうだな、奴は『重用されるべき人材だ』とか言っていたが、簡単に言い直すとつまりはそういうことだ」
「本国の竜人族に使える人だって思われて、どうしたいのかな? その人」
「本国の中枢に食い込みたいんだろう」
カイネが肩を竦めた。
「中枢に食い込む……ごめん、難しくてよく分かんない」
カイネの喋り方は、ちょっと理解するのが大変だ。きちんとした教育を受けたのだろうが、何というか固い。単語も難しい。普段は聞き慣れない言葉がポンポン出てきて、すんなりと頭に入ってこない。すると、カイネが申し訳なさそうな顔になった。ヒースの育った環境を思い出したのだろう。
「ああ、こちらこそ済まない。ええと、本国の政府、政府は分かるか?」
「分からない」
聞いたことがある様なないような。とりあえずこれまでのヒースの生活には一切関わりのなかった単語である。カイネが腕組みをしつつ軽く頷いた。
「そうか、こういう部分の概念がないのだな。分かった、分かりやすく説明する様に心がける」
「ごめんね」
「いや、そう言ってくれた方が助かる。後で互いの理解が異なってしまっても問題だからな」
カイネはそう言って更に頷いてみせると、綺麗な顔でそこそこ凛々しく微笑んだ。
「つまり、政府っていうのは政治を行なう団体のことだと思ってくれ」
「政治ってなに」
「政……ええと、国の決まりとかを決めたり進めたりすることだ。一番簡単な例を挙げると、十六歳で成人です、というのも国が決めたことだ。これを法律という」
「法律、は知ってる。人を殺しちゃいけないとか盗みを働いちゃいけないとかいうやつだろ? 子供の時に父ちゃんがよく言ってたから」
射氏の父親は、やっていいこと、悪いことを時折ヒースに教えてくれた。ヒースはあまり父親には似ていなかったが、目の色が一緒だとよく嬉しそうに頭を撫でてくれていたことを不意に思い出した。橙の様な明るい茶色の様な不思議な色彩の目は珍しく、ヒースがいた町では他には見かけなかった。
カイネが続けた。
「そう、その法律だ。それを作ったり止めたり、守ってない人を捕まえたり罰したりするのも、全て政府が行なっている」
そこまで言われ、ようやく中枢の意味が分かった。
「そっか、その政治をする政府は国の決まりを作ったりしているから、国の中心、つまり中枢ってことか!」
「そう、そういうことだ。何だ、お前は単語を知らないだけで別に頭は悪くないじゃないか」
「そう? ありがとう。昨日は馬鹿とか言われたけど、もう気にしないことにするよ」
「あれは別に貶した訳じゃない。お前が本来敵である魔族の集落に呑気な気分でふらふらと来たから言っただけだ」
呑気な気分でふらふらとは随分な言い様だが、確かに殺気立ったシーゼルとは明らかに雰囲気は違っただろう。本来敵同士であれば、言われてみればヒースの方がおかしいのかもしれないな、と今になって初めて思った。
カイネがヒースの腰に目を向けた。
「しかも今日は武器すら持ってないじゃないか」
「途中で気付いたんだけど、いいかなって」
「……お前な、僕に敵意がないからいいものの、簡単に人を信じ過ぎるな。騙されても知らないぞ」
一番騙されやすそうな人が親切にも助言をくれた。半ば小言の様なそれはまだ続く。
「それに万が一あいつらに見つかってみろ、武器もなくどうやって戦うつもりだ」
「確かに」
だが、今日はシーゼルの特訓があってまだようやく剣の根本的な使い方を教わった超初期段階にいるヒースとしては、持っていたところで正直あまり変わりはない様な気がした。
「でもさ、カイネが勝てないって認める位強いんでしょ? その人達」
「ああ、かなり強い。僕も決して弱い方ではないのだが、どうしても筋力で劣ってしまうんだ」
「カイネですら勝てない人達に、今日初めて剣を握った俺が勝てると思う?」
カイネが黙り込んだ。
暫くの後、ぽつりと尋ねた。
「今日、初めて?」
「うん、そう」
こっくりとヒースは深く深く頷いた。まごうことなき事実である。
「今日まで剣も握ったことのない奴が、敵地にのこのことやって来たのか?」
「うん、そう」
ヒースを指差す、思った通り華奢な指が小刻みに震えている。どうしたのだろうか。もしかして冷えたのかもしれない。
「どうしたの? 震えてるよ。寒いの?」
「お、お、お前は……」
「ん? 何、はっきり言ってよ」
「お前は馬鹿かっ!!」
馬鹿か、か、か……と木霊が響き渡った。ヒースは口に指を当てた。
「カイネ、大声出したら拙いって」
すると、はっと気付いたカイネがヒースの耳に口を近付けるので、ヒースも耳を近付けると。
「お前は馬鹿か」
小声で言い直された。
「いや、そこは言い直さなくてもいいんじゃないの?」
「一応言っておこうと思ってな」
思ってな、じゃない気がしたが、何とも真面目そうなカイネだからそこはしっかり言い直した方がいいと判断したのかもしれない。ヒースにとってはちっとも嬉しくも何ともないが。
カイネが耳元でヒソヒソと続けた。
「お前な、それは自殺行為って言うんだぞ」
「俺は自分で死ぬ気はないよ」
「そういうことを言ってるんじゃない、危険な所にろくな準備もしないでふらふらと入ってきたら死に行く様なものだと言っているんだ」
そんなにふらふらと来た訳じゃないのだが、どうもカイネにはヒースがふらふらとしている様に見えて仕方ないらしい。
「だから強い人達と一緒に来たんだけど」
「だからって、あまりにも無謀過ぎる。始めに出会ったのが僕だったから良かったものの、見回りに出ているあいつらの内の誰かだったら間違いなくぐさっとやられておしまいだったぞ」
「でもカイネが俺らに手を出さない様に説得してくれてたんだろ?」
「それはお前達が遊んでるだけでこっちに来る気配がなかったからであって、お前達が戦う気になってたら即座にやられてたぞ」
はあ、とカイネは大袈裟な溜息をついてみせた。少々わざとらしいのでちょっとイラッとした。
「……まあいい。話を続けよう」
逸したのはカイネなのにな、と思ったが、ヒースは口に出すのは止めておいた。
次話は挿絵が描けたら投稿します!




