妹
ヒースはカイネに尋ねた。
「その妹のアイネは、どうして竜人族に拐われたの?」
カイネの表情が暗くなった。実の妹が拐われたのだ、暗くもなるだろう。
「何度か集落を通過したことのある、本国からの派兵達の中にいた一人が犯人の様だが、どうも妹のことを前から気に入っていた様でな。知らない間に言葉も交わす仲になっていたと乳母から聞いたが……」
ん? 何だか話が少し違わないか? というヒースの疑問が顔に出ていたのだろう、カイネが少し躊躇った後、観念したのか説明を始めた。
「恐らく、ヒースの考えていることが事実なんだと僕も思っている」
ということはつまり。
「拐われたんじゃなくて、駆け落ちしたってこと?」
カイネが真剣な表情で深く頷いた。
「恐らくな。だから僕はその可能性を奴に伝えたが、そんなことはある筈がないと一蹴されてしまった」
それは何とも凄い。その許嫁の男は、余程の自信家なのかもしれなかった。
「奴は自分が振られる訳なんてないと信じ込んでいるからな。なんせ自分が一番だと豪語してるから」
「……何て言うか、カイネの妹も大変だったんだろうな」
暮れなずむ空の下、カイネは深く幾度も頷いた。
「女性が少ないのはこの集落でも同様だ。その中でも族長の娘となれば、本来は男を選びたい放題な状況である筈が、幼い頃から半ば強制的に許嫁を決められてしまい、妹は不平不満だらけだった」
成程、なかなか意思の強そうな女性の様だ。
「奴と番ったとなれば、まあ確実に他の者は手を出してこないからな」
「そんなに権力持ってるんだ」
「奴は元々の家の立場もあるが、純粋に強い」
獣人の中では、実力が伴わないと上に立っても認められないのだろうか。
カイネは続けた。
「それに、妹は僕と同じく混血だ。どうあがいても純血には力で勝てない。だから婚姻を行わなくてはならない成人になる前のこの時期を狙ってアイネは逃げたんだとは思うが、だがだからと言って駆け落ちをするにはまだ幼すぎる」
ヒースははたと気付いた。街が襲われたのは十七年前。カイネが十六だとして、三歳の時に産後の肥立が悪くて亡くなった、ということは。
「アイネはいくつ?」
「十三になったばかりのまだ子供だ」
「そんな子が駆け落ち? 何度も派兵で来た竜人族ってことは、相手はもういい大人だろ? それが幼い子供を? それはいくら何でも……」
奴隷生活ででも、成人と未成年はきちんと役割も管理も別々に行われていた。ということは、魔族の中でも区分けはしっかりと為されているという証明にならないか。
そんな中、未成年の人間でもない同じ魔族の女の子を連れ出したら、さすがに周りに咎められないのだろうか。
余程ヒースが酷い顔をしていたのだろう、カイネが同情顔になると言った。
「我々魔族の国でも人間の国と同様、女性への敬意を持って接するのが紳士であるとの常識はある。ましてや相手は竜人族だ、奴らはその辺りの国からの要求に対しては非常に忠実だからな、恐らくまだアイネは手を出されてはいないだろう。だからそこまで僕もまだ心配はしていないんだ。だからヒースもそんな顔をしなくてもいい」
妹を拐われた張本人に慰められてしまった。やはり基本この獣人は素直な人柄なのだろう。それ自体はいいが、彼と一緒に作戦を練って行動するのは少々心許ない。
「あのさ……俺、子供の頃から最近までずっと奴隷だったからよく分からないんだけど、何で子供には手を出さないって言えるんだ?」
奴隷生活では、子供だろうが大人だろうが、狙われやすそうな者から狙われては捕食者の餌食となっていた。それは全員が男だったからなのかもしれないが、それにしてもあの人間の男達の欲情の仕方を見ていると、とてもじゃないがそこに十三歳であろうが女性がいたら我慢出来ていない様な気がしたのだ。
カイネが答えた。
「我々魔族が人間族の女性を拐っている目的はヒースは知っているか?」
「子供を産ませる為だろ?」
「そうだ」
カイネがこくりと頷く。
「出来ればそれは一人ではなく、複数人産んでもらいたい。それも分かるか?」
「えーと、女の子が生まれて欲しい?」
「そうだ、分かってるじゃないかヒース」
獣人に褒められた。
「ヒースも知っての通り、我々魔族も人間も皆女性の数が極端に少ない。だが、特に魔族は今かなり人口が減ってきていて困っている状況にある」
「それは、子供が生まれないから?」
「女性の総数が足りないからだ」
人間よりももっと女性の割合が少ないのかもしれない。カイネは続けた。
「我々は複数の種族から成っている国だが、それぞれの種族はあまり交わってこなかった。その所為もあるのだろうと父は言っていたが、そもそもが子供が出来にくいということも理由の一つにあるらしい」
「人間よりも?」
「そうだな。そう聞いている。事実かどうかは知らないが、言われるだけの理由はあるのだろう」
ただでさえ女性が少ない中、子供自体が出来にくい。そうしていく内に人口が減っていき、人口が減りすぎると色々なことが回らなくなってくる。
「人間の女を拐ってきて孕ませても、無理やりであれば女が自殺をしたり子育てを放棄したりする可能性が高い。だから我々魔族は、女性に優しくし、好いてもらえる様最大限の努力をしなければならない」
それは、種の保存の為に。番となった者と、更なる子を設ける為に。
「それ程女性を大事にすることが当然となっている世の中で、まだ身体が未発達な幼い女性を己が欲望の為だけに陵辱し、万が一孕ませてみろ。未発達な身体でのお産は非常に困難なものだと聞く。二度と子を産めない身体になったり、最悪は死んでしまうことだってあるそうだ。そしてそれは、誰しもが望んでいないことだ」
ふう、とカイネが息を吐いた。
「と、いうのが建前だが、どこにでも頭のおかしい奴はいる。仮にも派兵されてくる程には本国から信頼がある竜人族だ、恐らく国の教えを守るとは思うが」
カイネがそこまで言って、ようやくヒースは奴隷となった人間達の閉じ込められた世界での認識と、魔族達の認識との違いに気が付かされた。
魔族達は未来を見据えている。だから女性でも子供でも大切に慈しみ育てようとする。だが、奴隷のあの場では、未来はどこにもない。そこにあるのは死ぬまで続くであろう奴隷生活だけだ。どこにも発展性などなく、それが男達の本来はあったであろうタガを外してしまったのだ。
絶望の中にいても消えない欲求。それをただ貪る様に求めることしか、あの中では許されていなかったから。
ヒースは気が重くなった。ヒースはまだ女性との経験がない。そんな環境にはなかったのだから当然だ。だからまだ経験者よりもそれに対する思いが少ないのかもしれない。だけど相手を傷つけるのが分かっていてもやってしまいたくなる程の衝動とはどれ程のものなのか。
万が一ニアがそんな目に遭ってしまったら。考えるだけで恐ろしくなった。
「……嫌な時代だな」
思わず口から突いて出たのは、そんな言葉だった。カイネも言った。
「同感だ。だが、だからと言ってもっと女性が多く人間と魔族が多く干渉しなくてもいい時代には戻れはしない。だから僕達は足掻くしかないんだ、ヒース」
だから、とカイネは言葉を続けた。
「僕は集落の人々の命を脅かしたくはないんだ。あいつとあいつの周りの戦を煽るあいつらだけ、何とかしたい。だからヒース、協力してくれないか」
カイネはまっすぐにヒースを見つめていた。
次回は挿絵が描けたら投稿します。




