泣き虫
カイネは顔を両手で覆ってしまっている。そこまで酷いことを言っただろうか? それに本気で泣いているなら、随分と泣き虫な男だ。
「あの、もしかして本気で泣いてる?」
「ぐすっな、泣いてなんかない! 少し自己嫌悪に陥っただけだ!」
カイネが怒った顔を上げて睨んでみせたが、瞳が明らかに潤んでいる。恐ろしく艶っぽい。シーゼルとはまた違った色気というか可愛さがそこにはあった。
「カイネさ」
「……なんだ」
「集落の人にも、その、手を出されそうになることあるの?」
「どっどうしてそう思うんだ!」
あるらしい。ヒースは続けた。
「男だからとかじゃないと思うよ、それ」
「だから何故お前はそうやってさも見てきたかの様に言うんだ!」
やっぱりな。ヒースは思った。そして全て答えを言ってしまっている。これじゃあな、とヒースは少しどうしようかと考えあぐねた。ここまですぐにばれてしまうと、仲間の所に戻っても恐らくヒースと会っていたことなどすぐ分かってしまうに違いない。
話だけ聞いて、協力はなしにするのも手かもしれない。
カイラには悪いが、こいつはちょっと問題だ。それにヒースは出来る限り死人は出したくはない。でも、カイネを仲間に引き入れようとする場合、まあ確実に少なくとも何かを隠していること位はすぐにばれてしまうだろう。
それか、いっそのこと。
「カイネ、とりあえずその許嫁のことを話してくれないか?」
「え、あ、ああ」
「その後どうするかは、話の内容によって決める」
「誰がだ」
「俺がだよ」
「何故お前が主導権を握ったつもりになっているんだ」
「カイネだと駄目なのが分かったからだよ」
「ぐっ! お前もあいつみたいなことを言うんだな!」
「だって皆顔と態度に出てるだろ」
「うっ」
また胸を押さえた。忙しい奴だ。そしてなかなかお茶目な奴でもあるようだ。昨日見たあの冷ややかな感じは、シーゼルが殺気を放っていたからだろう。
このままこうしていても話が先に進まない。それにあまり長時間いなくなると怪しまれる。シーゼルのことだから、またシーゼルと消えたとか思わせるんだろうが、如何せん恐らく今はヨハンと楽しい時間を過ごしている真っ最中に違いないだろうから、とするとシーゼルは間違いなくヒースのことよりもヨハンとの甘い時間を取る。これはもう断言出来る。絶対間違いない。これで間違って三人で楽しんでましたなんてことも言われかねないな、と思うとちょっとゾッとした。
その為にも、疑われない様に早く戻りたい。
「ほら、話してよ」
「……納得いかない」
「納得いかなくても、お互いの利益の為には話し合いは必要だろ」
「くううっ」
悔しがったところで状況は変わらない。ヒースは急かした。
「早く。昨日のあの人が苛々すると面倒なんだ」
「ああ、あのお前の仲間なんだかよく分からない滅茶苦茶な奴か」
「いい人だよ」
「人の真剣な話を腹を抱えて笑っていた奴がいい奴なのか?」
「まあ、性格に多少は難があるけど」
「ふん、まあいい。話そう」
ようやく落ち着いた表情に戻ったカイネは、一から説明を始めた。
十七年前、魔族達が砂漠を超えて本国からやって来た。その構成は若い竜人数名と大勢の獣人だった。国境の境目に位置するこの集落は、人間の国から得られる物品や情報を本国に定期的に送ることで、戦闘への参加を免除してもらっていた。だから時折そうやって人間の女を補充しにくる時も、あくまでここは通過地点で戦いに赴く者の休憩場所との立ち位置だった。
だが問題が起きた。若い竜人の一人に、やけに好戦的な者がいたという。本国でもここのところ力を付けてきている竜人の一人とのことで、名をラーニャといったそうだ。その者が、これまでのやり方では生ぬるい、戦闘に参加しないならば集落を陥落させる迄と宣言したことで、魔族間での戦闘が勃発。当時の族長が殺されたところで、族長の一人息子のティアンが自身と他数名が戦闘に参加するとの条件を出し、それ以上の争いを避けたという。
また、本国から来た竜人の中にもラーニャに対抗する派閥の者が存在したらしく、勝手な判断は本国に報告すると脅され、すでに戦意を失った集落の民にこれ以上危害を加えることも憚れ、その時はそれで決着したそうだ。
これまで一度も人間と大体的に戦闘をしてこなかった国境の民は、皆不安を覚えていた。好き嫌いではない、生きていく以上はお互い干渉し過ぎないことも国境に住まう者は皆理解していた。それを本国から来た若造がこれまでの摂理を捻じ曲げてしまったのだ。
殺された父の後を継ぎ族長となったティアンは、集落の者にこれ以上の危害を加えられない為、これまで少なからず取引などのやり取りがあった町から女を攫い、使える男は本国に連れていき、そうでない者は皆殺しにするという何ともやりきれない戦闘に参加した。
そこで出会ったのがアイリーンだった。
アイリーンは一人家の中で母カイラの帰りを待っていたという。近所の者は皆中央教会に我先に逃げ込んだが、アイリーンは母カイラが他の者を見捨て一人先に教会に行くなどとは思えなかったのだという。
家に入ってきたティアンは、アイリーンを見ると隠れろと指示をしたという。アイリーンは驚いた。てっきり拐われると思っていた筈が、その獣人に隠れろと言われるとは思ってもいなかったそうだ。だがそうこうしている内に、本国からやって来た魔族が家に押し入る。咄嗟にそれを切り捨てたティアンは、ここはこれまでか、とアイリーンに切り捨てた獣人の服を着せ、頭を深く隠させて一緒に行動し始めた。
作戦は半日でほぼ終了、最終的に殆どの女が中央教会で燃え死んだことにより、作戦は失敗と認定された。少なくない捕虜と少数の女性を得たが、一番の目的の女性の確保が殆ど出来なかったこと、また本来味方である筈の国境の民を殺し脅したことで、ラーニャは本国に強制送還。代わりに軍の指揮を取った反対派の派閥の竜人は、ティアンに深く謝罪した上で速やかに去っていったという。
その間、ティアンはアイリーンを片時も離さなかったという。何故か。
「一目惚れだったらしい」
カイネが言った。
「ということは、カイネのお父さんが今の族長?」
「そういうことになるな」
「ということは、カイネは時期族長?」
「その可能性は、低い」
「何で?」
カイネが自分の頭に生えた耳を触った。
「ヒースは獣人が今の僕の姿よりももっと獣に近い姿があるのを知っているか?」
ヒースは頷いた。
「もっと本物の獣っぽいやつだろ? 昔奴隷の時に見たことがある」
「そう、それだ。あれが獣人の一番力強い時の姿だ」
だからあの獣人は危険な時にあの姿を取ったのか。納得がいった。
「だけど僕は混血だから、あの姿にはなれない」
「そうなんだ」
「そうなんだよ」
それは知らなかった。だがそれで話が読めてきた。
「つまりあれか、変身できない獣人は族長には向いてないって誰かに言われたってこと?」
カイネは少し傷ついた様な顔をしたが、それでも頷いてみせた。
「父は僕に跡を継がせたいみたいだけど、周りは殆ど妹のアイネにちゃんとした獣人を番わせてそいつを族長にしたいようだ」
「ああ、それが例の許嫁ってやつか!」
「そういうことだ」
カイネはほぼ暗くなった空を見上げた。先程あった一番星意外にも、多くの星が瞬き始めている。
「だが、アイネが竜人に拐われたことで全ての予定が狂った。奴にとってのな」
カイネが言った。
次話は挿絵が描けたら投稿します。




