素直な人
カイネは軽々と両腕にヒースを抱き抱えている。この微妙な気持ちをどう表現したらいいのだろうか。
「首にしがみついていろ。もう少し僕の町からも離れた所に、見つかりにくい場所があるから、そこまで移動する」
「首? 抱きつくってこと?」
「男に興味はないんだろう?」
「いやまあないけども」
「では黙って従え」
そう言うと、カイネはヒースがしがみつくのも待たずにまた走り出してしまった。ヒースは慌てて振り落とされない様にカイネの首にしがみつくが、男にしがみつくこの感じ。これがニアだったらよかったのにな、と思い、いやそもそもこんな情けない姿をニアに見られたら絶対に嫌だし、いやもうとにかく早く着いてくれと願った。そしてこんなことは絶対シーゼルには話せない。話した途端爆笑されるのは目に見えていた。
それでも、カイネにしがみつきつつ物凄い勢いで後ろに流れていく景色は、圧巻の一言だった。赤い台地に緑の深い森のその奥に、霞の様な平な大地が見える気がする。あれがハンが言っていた砂漠というものだろうか。
今、ヒースとカイネは赤い台地の頂上に向かっていた。先程ヒースがカイネを待っていた場所から大分登ってきており、よくこんな傾斜を手も使わずに登れるものだと関心する。トン、トン、と上へ上へと跳躍している一歩の距離も人間だったらありえない高さで、混血であるカイネですらこの身体能力だ、純血の獣人はどれ程の身体能力を持つのだろうかと考えた。
奴隷時代の作業現場にいた獣人達は、殆ど本気を出すことはなかった。獣人と呼ぶだけあり、皆今のカイネと同じ様に人間の姿に耳と尻尾が生えている位で見た目は人間と殆ど変わらない。一度だけ、坑道に落盤事故が起きた際に獣人が獣の姿に近くなって中にいる仲間を助けに行ったのを見たことがあったが、あまりにも動きが速すぎて本当に一瞬しか見なかったので、あれが獣と同じ姿形をしていたかどうかまでははっきりしない。四足歩行気味ではあったが、それでも人の形をしていた様には思えたが、顔は獣の様に毛で覆われていた、と思う。
カイネはヒースを腕に抱えたまま、どんどん崖を跳躍しつつ登って行く。鍛冶屋の家の近くでカイネを見かけた時のことを思い返す。崖に沿ってある道を行くのではなく、台地の上をこうやって真っ直ぐに進んで行ったのだろう。だから誰もカイネとは道ですれ違わなかったし、移動もここまで早かったのだ。
腕を回している首は細めだ。それでも汗一つかいていない。こんな種族と、生き残りの人間は戦いを続けているのだ。獣人だけでなく、魔族の個体数は人間に比べ圧倒的に少ない、だから十年経った今もこうやって何とか生き延びていられると言ったのは誰だったか。
竜人に至っては、かなり人口が少ないらしい、とはヒースも奴隷時代から小耳に挟んではいた。だから作業現場にいる竜人は基本一人で、あとは獣人か爬虫類人がいたが、爬虫類人は暑さ寒さに弱く、跳躍力などの身体能力も獣人に比べ著しく低かった為、獣人よりも下に見られており、奴隷の監督よりもどちらかというと監督者の身の回りの世話をしていた様に思う。
しがみついているしかないヒースは、つらつらとそんなことを考えるしかすることがない。抱き抱えられている自分の姿が傍からはどう見られるんだろうとか、そういうことは考えてはならない。だってきっと帰りも同じ様に抱き抱えられて帰ることになる。考えちゃいけないんだ、ヒース。
ヒースは自分に言い聞かせた。
暫く跳躍を繰り返していたカイネが、突然歩を止めた。
「手を離していい」
「あ、うん」
ヒースが首に回していた腕を外すと、カイネが予想よりも優しくヒースを地面に降ろした。
ヒースは改めて周囲を見回すと、そこは赤い台地の天辺だった。ぐるりと回転してみても、全部赤い。空も赤く、その奥に輝き始めた一番星の部分だけが少し黒ずんできていた。
風は強いが、昼間の太陽の熱の影響か生ぬるい。昨日崖下に降りた時は空気はもう冷たかったので、朝晩は冷えるのだろう。
「ここなら誰も来ない」
カイネはそう言うと、少し飛び出た大きめの岩の影に腰を降ろした。ヒースも、カイネから少しだけ距離を置きつつ横並びに座ってみた。あまり近付くと男に興味があるのかとか言われかねないと思ったのだ。
「では、話の続きをしよう」
「うん」
ヒースは待った。だがカイネも黙っている。爽やかな風が吹いた。
「……確か、カイネの妹の許嫁の話じゃなかったっけ」
「ああ、そうか、それだったな」
表情が変わらないのでいまいち感情が読めないが、どうやら何を話そうとしていたのか忘れてしまっていたらしい。大丈夫だろうか。
「あれからずっと、お前のことを考えていた」
「……それってどういう意味」
そこでカイネはハッと気が付いたらしい。途端に顔がかあっと赤くなってしまい、慌てて否定し始めてしまった。
「いや、そういうことではない! 僕は人間という存在はあの鍛冶屋しかろくに知らない、だからだな、人間とは一体どういうものなのかを考えていたということだ! 決して他意はない!」
「あー……うん」
何となく分かった。この恐ろしく整った顔をした獣人は、多分非常に真面目な性格の持ち主なのだ。そして素直。口から全部思っていることが出てきてしまっている。
ヒースは不安になった。この人は、仲間の獣人にヒースと会いに行っていることをばらしてやいないか。それも無意識の内に。
なので、念の為確認した。
「カイネ、あれから誰かと会話した?」
「いや。帰ってからは寝ていた。あいつがやって来たが、面倒だったので寝たふりをしていた」
ならよかった。
「何故そんなことを聞く」
カイネが訝しむ。当然だろう。さて素直に言うべきか、否か。言ったら本人は怒る……だろうな、間違いない。でも無意識にばらされても困る。
よし、言おう。
「カイネってさ、嘘つけなくない?」
「うっ」
思い当たるフシがあるらしい。言った瞬間胸を押さえたことからも見て取れた。
「でさ、興奮すると喋るよね」
「お前は何故それを知っている!」
真っ赤な顔が振り向いた。あ、拙い、半泣きになっている。泣かせるつもりじゃなかったのだが。
「だって見たら分かるし」
「お前は心を読めるのかっ!?」
「いや、見たまんまの意見を説明してみただけで」
今度は思い切り項垂れてしまった。心なしか辺りの空気も淀んでいる様に見えるのは気の所為か。
「つまり、今お前が誰かに会っていないかと確認したのは、僕がお前と会ったことを喋ってしまうのではないかと心配したということか……?」
頭の回転は悪くはないみたいだ。それは一つ安心材料が増えた。
「うん。それと、これから会うことと、ついでに会って何を話そうとしているのかも」
「それでは僕はただの駄目な獣人ではないか……!」
さすがにそれは肯定の意を表明することは出来なかった。多分、本気で泣かれる。なので、ヒースはとりあえず黙った。
それがよくなかったらしい。
「黙っているということはそう思っているということかあああっ」
「ご、ごめんカイネ、ちゃんとそんなことないよって嘘でも言えばよかった」
「嘘なんじゃないか!」
「あ」
墓穴を掘ってしまった。カイネは俯いたまま、ぐずっと鼻を啜っている。本気で泣かせてしまったらしい。
「カイネ、元気だしてよ」
ヒースは慰めの言葉を投げかけた。
次回は挿絵描けたら投稿します。




