馬鹿は馬鹿でも
ヒースが洞穴の外に出ると、ハンが眠そうに目を擦りながらヒースを見た。
「おかえり、ヒース」
優しげに微笑むその姿に、ヒースはようやく戻って来たのだという実感が湧いた。
「ただいま」
ハンが洞穴の方に目を向ける。
「ヨハンに報告してたのか?」
「うん、それもあるけど、今は入っちゃ駄目だよ」
「え? 何で?」
「シーゼルに間違いなく殺されるから」
「え? は?」
どこまで教えるべきだろうか。ただこれはかなりシーゼルの性癖や心情に関わる部分になるから、部外者のヒースがあれこれ喋ってもシーゼルはあまりいい気分はしないかもしれない。あまり気にしない様な気がしないでもなかったが、いきなり知らない間に斬られるのは嫌だ。
なので、控えめに教えた。
「大事なご褒美を貰ってるところだから、邪魔しちゃ駄目なんだ」
「は? へ?」
「個人的なことだから、俺の口からはちょっと」
個人的なこと、とまで言ったところで、ようやくハンも察したらしかった。シーゼルのヨハンに対する気持ちは、ヒースの昨日の言葉でハンも気付いた様なので、後はハンの想像に任せたい。
ハンがこそっと耳打ちしてくる。
「こっちじゃ、ヒースが狙われて今頃もうって話で持ちきりだったけど、問題なかったか?」
「いやさ、その前に獣人と会えたかとかそっち気にならないの?」
どうも気にする点が間違っている気がする。だがハンはあくまで真剣そのものだ。
「いやだって連れ出して交渉に行かせたの俺だし、もしヒースの貞操に危機があったらジオに謝っても謝り切れないというか。心配で寝れなかったぞ」
「その割にはぐっすり寝てたよね」
「あれはクリフが異様にポカポカで気持ち良くてつい……じゃない、心配したってば」
一所懸命なハンの訴えに、ヒースは暖かいものが心に広がるのを感じた。だから出来る限り安心出来る様な笑顔を浮かべてみた。
「シーゼルはね、ハンも分かってると思うけど、他の人はどうでもいいんだよ」
ヨハン以外に誰かに力を貸すのは、それがヨハンの望むことだからだ。ヨハンの為になるとシーゼルが思ったことだからだ。それ以外にシーゼルは動かない。
「俺はちょっとそれが羨ましかったな」
正直な感想を述べた。ハンが驚いた様な顔をする。
「え……?」
「だってさ、シーゼルはあの人の為なら何だって切り捨てられる。何だって出来る。躊躇いなんかない。でも俺は、色んな人が大事で、ニアは好きだけど、でもニアだけのことを考えることは出来ない」
「ヒース……」
まだそこまでニアのことが好きじゃないのかとかも思った。でもやっぱり好きだ。だとすると、やはり自分は冷めた人間なのだと思う。俯瞰して見れるだとか言われたが、そうじゃないと思った。
一歩引いて見てしまう。その中では自分も駒の一つだ。自分が今どこにいて、どう動いたら人がどう動くのか、探りながら接する。
奴隷時代に必要な能力だった。磨かなければ墓穴を掘る。でも、とふと思ったのだ。
本当にそれは奴隷時代からか、と。
ヒースの表情が曇っていたのか、ハンが頭に手を置くと、わしゃわしゃとやり始めた。
「馬鹿だなあヒースは」
だが、その表情には馬鹿にする様な色はない。
「今日会った獣人にも、馬鹿って言われた」
さすがに初対面で馬鹿はないだろうと思った。
「その獣人がどういうつもりで言ったのかは分からないけど、でも俺のはそういう馬鹿じゃないよ」
ハンが笑顔で言う。馬鹿に種類があるのだろうか。
「でも、羨ましいって言えたのは偉いぞ」
やりたいことや欲しいことが見つかったらハンに報告する、あれのことか。
「こんなのでもいいの?」
ハンがにこやかに頷く。
「それだって欲しいって気持ちの一つだからな。だってそれはヒースだけの思いだからな」
「俺だけの……」
やっぱりハンが言うことは少し難しい。これが甘えることにどう繋がるのか、ヒースにはさっぱり分からなかった。
「少しずつ、そうやって口に出していけばいい」
「……うん」
分からないなりに、それでも少しずつ積み上げて行ったら、そこに見える景色は今とは違うだろうか。その景色は、少し楽しみな様な怖い様な気もしたが、それでもヒースは今は一人ではない。
だからこのまま進んで行っても、今なら大丈夫な気がした。
ハンとそんな話をし終わっても、そういえばシーゼルもヨハンもまだ洞穴から出てこない。ヨハンはあの勢いで殺されたり……はしないだろうが、果たして無事だろうか。
ヨハンが男性に興味がある人間かどうかの情報までは貰ってないのでヒースには分からないが、シーゼルとの出会いの話を聞く限りは、ヒースと同じく女性がいい種類の人間の様に思える。
だが、あれだけ想われていても全く気付かず横に置き続けているのだから、もしかしたら今回のことも本当にただのご褒美だと思ってしまう可能性は高いのではないか。
ヒースとしては、出来ればシーゼルとヨハンがうまくいってくれることを望む。シーゼルにはヨハンしかいない。だが常日頃こうやって死に向かい合う生活を送っている限り、いつかどちらかが先に死んでしまうこともあるだろう。
それがヨハンだったら、シーゼルはきっと壊れてしまう。あの人はただ愚直にヨハンを愛しているだけなのに、このままヨハンを失ったらシーゼルも失うことになるのではないか。シーゼルとは知り合ってまだ僅かだが、非常に分かりやすい人でヒースは嫌いではない。多分、彼には悪意がないからだ、ふとそう思った。
だったらせめてそれまでの間、少しでもヨハンがシーゼルに愛情を傾けてくれたら、シーゼルはシーゼルのまま生きていけるんじゃないか、そんな気がする。
ヒースがそんなことをぐるぐると考えていたその時。洞穴から、幸せそうに微笑んだシーゼルが出て来た。
横にいるヒースに気付くと、ちょいちょいと手招きしたのでヒースは駆け寄る。
「出来た?」
「ばっちり」
シーゼルが、ヒースの肩を抱いて昨日二人で話した崖っぷちへと誘導する。シーゼルが昨日の様に座って足をぷらぷらさせ始めたので、ヒースもその横に座った。多分、話したくて仕方ないのだろう。そんな顔だ。
「ヒースの提案、大成功だった。ありがとう」
「うまくいったならよかった」
「ふふ。隊長もキスなんてずっとしてなかったみたいで、始めは目を白黒させてたんだけど、暫く続けてたら力が抜けていい具合に」
それは多分、自分の右腕に喉元に剣を突きつけられ逃げるに逃げられない状態になり、いい加減諦めたのだろう。勿論そんなことは言わないが。
「だからね、ちょっと追加で交渉してみたんだ」
「追加?」
シーゼルが艶っぽく微笑む。まるで恋する女豹だ。
「僕、定期的に人肌の補充があると落ち着くけど、他の人に手を出すと嫌がられると腹いせに何するか分からないから、その為には安定的に人肌を供給して欲しいし隊長は僕のこと大事な右腕って思ってますよね? て」
「一つ聞いてもいい?」
「どうぞ」
「剣はどうしてたの?」
ふふ、とシーゼルは笑った。
「念の為首に押し当てたまま」
つまり完全な脅しである。
「なかなかうんって言ってくれないから、男娼時代に鍛えた舌技で頑張ってキスを続けてから試しにあそこに触ってみたら硬くなってた」
うん、もうあまり先は聞きたくないかもしれない。
「そうしたら、分かったから、キスだけならいいからって」
シーゼルは膝を引き寄せると顔を埋め、それから心底嬉しそうに照れ臭そうに微笑んだ。
「幸せ」
それを聞いて、話の内容はあれだが、ヒースはまあそれでもいいか、と思えたのだった。
次話は明日(挿絵描けたら)投稿します!




