カイネ
ヒースはシーゼルのその言葉に、もしかして選択を誤ったのかもしれないと一瞬ひやりとなった。
ここで目の前で顔を顰めつつそれでも待ってくれている獣人の男との話し合いがうまく行かなければ、折角ヨハンとキスが出来るかもしれないと喜んでいたシーゼルに腹いせにばっさりとやられる可能性もあった。この場合獣人は証人にはなり得ない。だからヒースはそのまま捨て置かれたらそれで終わりだ。シーゼルが獣人にやられた、とでも言ってしまえばいいのだから。
それで不甲斐なさに泣きつき慰めをヨハンに求めることが出来る、その可能性は絶対に口にすることは出来ない。早めに気付いてよかった、心底ヒースは思った。仲間に殺されて死ぬなんて真っ平御免だった。今後、シーゼルと話す時は少し言葉を選んだ方がよさそうだった。
とにかく今は話し合いだ。ヒースは敢えて後ろの気配を気にしない様獣人の男に意識を集中した。
「えーと、俺はヒース。君は?」
「……カイネ」
「あ、カイラともじってるのかな?」
「カイラ?」
「この間君をアイリーンって呼んだ女の人」
「ああ……」
カイネ、と名を名乗った男は口数が少ない。まああれだけシーゼルに敵意を向けられたのだ、いきなりペラペラ喋るなんてことは出来ないのも理解出来る。
「あの女は何者だ? 何故母の名を知っている」
アイリーンは、カイネにもじった様な名前を付けておいて、祖母の話をしていないのだろうか。
ふと、嫌な予感がした。
「カイネ」
「……なんだ」
「あの人は、君のおばあさんだよ」
すると、カイネが驚いた様な表情をしてみせた。
「だから、僕を母の名で呼ぶことが出来たのか」
ヒースは頷いた。
「そっくりだって」
「そうか……周りに聞いてはいたが。祖母が見間違う位、似ていたのだな」
――ああ。ヒースの膝から下の力が抜けそうになった。嫌な予感が当たったのが分かってしまった。だが嫌だからと言って避けては通れない。
「アイリーンは、亡くなったの?」
一番聞きたくないことは、一番始めに済ませてしまいたかった。
ヒースの質問に、カイネはあっさりと頷く。
「僕が三つの時に、妹を産んだ産後の肥立ちが悪くて亡くなったと聞いている」
三歳だと、記憶はあやふやだろう。ヒースもその頃のことは多分殆ど何も覚えていない。厠に落ちそうになり恐怖したのが一番幼い頃の記憶だが、あれは一体幾つのことだったのだろうか。今となってはもうそれを聞く相手すらいない。
「妹がいるの? その子は今は?」
ヒースがそう聞いた途端、カイネの全身を怒りが覆った。はっと後ろを振り返ると、シーゼルが剣の柄に手をやっていた。ヒースは手でそれを制すると、シーゼルはやや不貞腐れた表情で手を離した。
「聞いちゃいけないことだった?」
亡くなりでもしたのだろうか。しかもこの雰囲気だと、比較的最近に。
「……アイネは……妹は、竜人族に連れ去られた」
ヒースは目を見張った。そして全てが腑に落ちた。これまでずっと大人しかった獣人族の動きが急に活発になったこと。それまで構うことのなかった谷の入り口に住み着いていた鍛冶屋を攫ったこと。これが元になったことだったのだ。
彼等は、竜人族と戦うつもりなのだ。
「それで鍛冶屋を拐って、竜人族でも倒せる剣を作らせてる?」
「やはり、鍛冶屋を攫ったのがお前達がここまで来た理由か」
後ろのシーゼルの様子を伺う。完全に傍観の体だが、それでも話をしっかりと聞こうとしているのは分かった。
「後ろのあの人はそうだ。俺は違う」
「違う? では何か? 侵略か?」
カイネが背中に手を伸ばした。薄暗くて見えていなかったが、どうも背中に槍を背負っていたらしい。ヒースは首を横に振ってみせた。
「侵略なんてしないよ。俺は、いや俺の師匠が、カイネの集落にある妖精界との接点に用があるんだ」
「接点に? あれに一体何があるというんだ」
「あ、カイネは場所知ってる? 知ってる人を探さないとなって思ってたんだよ」
「質問に答えろ」
ヒースは一瞬躊躇した。言ったところで信じて貰えるだろうか?
「言えない様なことか」
カイネが一歩後ろへ下がり、顔が暗闇へと沈んでいく。
「あ! 言う! 言えるんだけど、信じてよ!」
「いいから言え」
カイネもシーゼル同様短気なのだろうか。
「えーと、俺も鍛冶屋なんだけど」
「……ほう」
意外そうに答えられた。あ、一歩戻ってきた。
「師匠の恋人が妖精族の人で」
「こ……恋人?」
「そう、恋人」
ヒースは深々と頷いてみせた。シーゼルの表情は確認しないことにした。多分見ても気持ちのいいものではない。
「彼女が次の満月の時に、そっちの接点に行くらしいんだ」
「……それで?」
「結婚を申し込む」
ぶっと後ろから吹き出す音が聞こえた。忍び笑いが聞こえてきた。シーゼルのツボに入ったらしい。目の前のカイネは、理解が出来ていなそうな顔をしていた。もう少し詳しい説明が必要かもしれない。
「こっちの世界よりも向こうの世界が平和だったんだけど、最近妖精王が死んじゃって、ちょっと荒れてるらしいんだ」
あまり詳細を語って接点が消されても困る。少しずつ、少しずつ開示だ。
「で、師匠はもうずっと好きだったんだけど、こっちに連れてくるのをずっと躊躇していた」
「まあ、人間はほぼ捕まってしまったからな」
カイネがふむふむと頷く。
「だけど向こうも大騒ぎになった今、もういっそのこと連れてきて結婚しちゃえ! と俺が焚き付けた」
「なる、ほど」
「その為には接点に行きたい。でも俺達は鍛冶屋で、カイネ達と戦うなんて無理だし。そうしたら、丁度鍛冶屋が拐われたのが同じ場所ってことが分かって、じゃあそっちの人達は鍛冶屋を助けて、俺達は師匠の結婚を後押ししよう、という話なった」
後ろの忍び笑いが、段々普通の大きさの笑い声になってきた。さすがに振り返ってみると、腹を抱えて笑っているシーゼルがいた。
「で、お前が今ここにいる理由はなんだ?」
カイネは冷静だ。そう、ジオのことと今ヒースがここにいることは繋がっている様で繋がっていない。
「カイラが君の姿を見て、人間のアイリーンが集落にいるなら戦わずとも鍛冶屋を解放してもらって、妖精界の接点にもいけるかもしれないという意見があったから、俺が代表できた」
「そうか……それでか」
「何が?」
カイネがちら、とシーゼルに目を向け、すぐまたヒースを見る。
「後ろのあの男はともかくとして、お前からは殺気が感じられないからだ」
「だって出来れば戦いたくないし」
「殺されるかもしれないのにのこのこやって来るなんて、お前は馬鹿か?」
獣人にまで馬鹿と言われた。
「阿呆とは、師匠がよく言う」
半分は認めた形だ。確かクロも人のことを馬鹿っぽいとか言っていた。皆失礼だ。
「僕も出来れば穏便にいきたいんだ。妹だけ助けられればそれでいい、僕はそう思っている」
「そうじゃない人がいるってこと?」
こっくりとカイネが頷いた。
「アイネの許嫁だ。今回の件は、奴が計画して起きたことだ」
「その人、偉い人なのか?」
許嫁と言ったら、まだ独り身の男だということだ。若いのに計画して実行出来るとなると、相当な実力者に違いない。
「……お前を信用していいか」
「裏表はないってよく言われるよ」
「……そういうことではないんだが、まあ、では話そう」
ヒースはカイネに及第点をもらえた様だった。
次話は明日投稿します。




