交渉
シーゼルがヒースを手で制し、辺りの気配を伺う素振りを見せた。余計なことはしたくない。ヒースはなるべく静かにその場に佇むことを選んだ。
耳を澄ます。時折ガサ、と音がするのは小動物の動きか。
シーゼルが剣を抜いたと思った瞬間、ただの暗闇にしか見えない木の奥の空間へと飛び込んで行く。斬る、だが空振りの様だ。葉が舞い落ちる。今度は上に向かって斬りつけた様だが、動きが速すぎてよく見えない。こんな暗闇でよくあんなに動けるものだ。ヒースだったら間違いなく木の幹に激突している。
「チッ!」
シーゼルが舌打ちをした。そこでようやくヒースはシーゼルがあれだけ言ったのに相手を殺しにかかっていることに気が付いた。
「ちょっとちょっと! 話し合いだってば!」
「話し合うにしたって、少し痛めつけて動きを鈍くしてからの方が」
「駄目だって!」
ヒースは慌ててシーゼルに近寄る。すると、奥の木の影に黒髪が一瞬月明かりに反射して見えた気がした。
「多分あの時の奴だよ! ほら、シーゼル剣をしまって!」
ヒースはシーゼルの剣を持っていない方の手を引っ張るが、シーゼルはそれをあっさりと振り払った。ヒースを振り返る顔に浮かぶのは、笑顔。殺る気満々だ。
「あんなに殺気立ってるのに?」
「シーゼルが殺気をプンプン発してるからだろ!」
「だって、僕がここでやられてあいつが隊長の所に行っちゃったらどうする? 僕、死んでも死にきれないなあ」
そう言うと、再度剣を構える。ヨハンヨハン、この人の頭の中にはそれしかないのだ。これまで、こうやって死ぬ必要のなかった者の命をどれ程奪ってきたのだろうか。
「殺し過ぎるとヨハンに嫌われるぞ!」
「――うるさいな。餓鬼の癖に何が分かるんだよ」
「分かるよ! シーゼルが殺した話をしたら、ヨハンが落ち込んでたじゃないか!」
「あれは隊長命令に従っただけだし。自分を大切にしろって言うから大切にする為に身を守っただけだよ」
駄目だ、この人はその真意など分かっちゃいなかった。言われた通り、ただ愚直に従うことに何も違和感を覚えていない。方法が間違っているのに気付かないのだろうか。
―ーいや、違う。目を背けているのだ。
でもこれだって隊長命令だ。ヒースはもう一度シーゼルの腕を掴んだ。
「シーゼル! ヨハンは俺の言うことに従う様にって言ってただろ!」
「それはヒースの身に危険がない場合だけだろ」
取り付く島もない。ふん、とシーゼルはまたヒースの手を力任せに振り払った。だが、言いたいことは理解はしてくれたみたいだ。一歩下がってくれた。
ヒースは暗闇に話しかける。
「この間の君、姿を見せてくれ。 話し合いたいんだ。君が俺を殺す気がないってところを見せて欲しい」
ヒースは、先程一瞬黒髪が見えた辺りに向かってゆっくりと進んで行く。
「殺されるよ、ヒース」
「殺さないよ、殺すつもりならとっくにやられてる。……ねえ、そうだろ?」
暗闇に話しかける。ヒースは殺気とかは正直何だかよく分からないが、感情が人の存在感を際立たせるのは何となくは分かる。
ヒースは両手を上げた。敵意がないことを分からせる為に。でないと、後ろにいるシーゼルからは相変わらずプンプンそれこそ殺気の様な気配が発せられているから、これがヒースの物だと思われても困る。ここには話し合いに来たのだから。
「アイリーンの……子供なのか?」
逡巡の後、暗闇で動く者があった。ヒースは内心ほっとしたが、後ろではシーゼルがまだ剣を構えて立っている。慎重にいかねば、下手をすると話し合う前に殺されてしまう。ヒースも、獣人も。
「話をしたいんだ」
革靴が見えた。まだ大分距離がある。でもシーゼルだったら一瞬で飛び込んでいける距離かもしれない。何故味方をここまで警戒しないとならないのか。ちょっと悲しくなった。やはり来てもらうのだったらヨハンが良かった、一瞬本気でそう思った。
薄暗い明かりの中に入ってきた長い真っ直ぐな黒髪が風になびく。獣人族の独特の衣装なのだろうか、綺麗な刺繍が入った少し長めのストンとした服を着ている。上には毛皮の様な袖のない羽織。
顔が見えた。やはりあの男だった。柔和な整った顔。年はヒースとさして変わらないだろう。女の様な顔だが、体つきは男だ。カイラが間違える程なのだ、母親によく似た女顔なのだろう。
「……後ろの男は話などする気はなさそうだが」
見た目に反して低い声だった。ヒースは後ろのシーゼルを見た。まだ剣を軽く手に持ちぷらぷらさせているが、ヒースの視線の意味を悟ったのだろう、大袈裟に溜息をつきながら剣を鞘に納めた。納めたところで本気で殺す気で抜いたら一瞬だろうが、敵意のなさを見せるには必要だ。
「話がしたいんだ」
ヒースは改めて獣人の男に言った。だが男は相変わらずシーゼルを警戒して近付いて来ない。ヒースはもう一度後ろを振り返る。
「そうさ、敵意丸出しにしないでよ」
今にも剣を抜きそうな雰囲気を醸し出しておいて、それを隠す気もない。
「シーゼル、頼むからもうちょっと離れて、座っててくれない?」
言った瞬間、シーゼルが物凄く嫌そうな顔をした。
「ヒースが殺されたら、僕が隊長に叱られちゃうよ。それはやだなあ」
隊長隊長隊長。そればかりで段々こちらも苛々してきたが、苛々しても仕方がない。ヒースは考え、そしていい手を思いついた。
「シーゼル」
「……なに」
「話し合いがうまくいったら、ヨハンからご褒美をもらえばいいじゃないか」
「ご褒美? 報酬ってこと?」
「そう」
ヒースは大きく頷いてみせた。獣人の男は、ヒースとシーゼルのやり取りを訝しげに眺めている。それはそうだろう、自分だって同じ立場だったら何を聞かされてるんだときっと思うに違いない。
「でもご褒美って言ってもなあ。別に欲しいものなんてないし」
「物じゃなくてもさ、あるだろ色々」
「何、どんなこと? 僕普通がよく分からないし」
「俺だってあんまり分からないけどさ、一日一緒に出かけるとかさ」
「どこに」
それはそうだ。気軽に行ける場所などないに等しい。ヒースは自分がニアにしてもらったことを思い出しつつ言った。
「……あー、俺は頬にキスしてもらった。ご褒美じゃなくておまじないでだけど。子守唄歌ってもらったりもなかなかよかった」
「キス……」
シーゼルの顔に笑みが浮かんだ。キスに食いついた。よし、この線で進めよう。ヨハンがどう思うかはこの際どうでもいい。まずは安全に話し合う、その方が大事だ。悪いヨハン。心の中で軽めに謝罪した。でも仕方ない、これはヨハンの監督不行き届きが原因だ。
「さっき俺のこといいって言ってただろ? で、振られたじゃないか。だから、俺に振られて寂しいけど頑張ったご褒美に代わりにキスしてくれとかさ、さり気なく交渉してみればいいじゃないか」
シーゼルが考え込んだ。獣人の男は訳が分からないのだろう、眉を顰めながらヒース達のやり取りを黙って聞いている。もう少し待ってくれ、そう言いたかったが言える状況ではない。待ってくれることを祈るしかなかった。
「成程ね……そうか、隊長に気のあることを悟られないまま、ただの性癖からくる寂しさをご褒美として埋めて欲しいと感情に訴えかければ……」
ヒースは待った。ちょっと待ってのポーズを獣人にする。獣人の片眉が上がった。悪い。本当に悪いと思っている。
「分かった。ヒース、必ず交渉を成立させてくれよ。僕の隊長との初めての口づけの為に」
シーゼルはそう言うと、くるりと背中を向けて少し離れた木の根元に座り込んだ。
次話は明日投稿予定です。




