暗闇へ
ヒースとシーゼルの二人は、月明かりの中どんどん谷底へと下っていく。
先を行くシーゼルの歩みは、まるで行く先をよく知るかの様に淀みない。
「シーゼル、降りたことあるの?」
「あ、ばれた?」
くすり、とシーゼルが笑った。
「昨晩ね。ていうか偵察は当たり前っていうか。どこから敵が来るかはある程度事前に探って偵察しておかないと、万が一隊長の身に何かあったら僕どうなっちゃうか分からないし」
それは、好き、という言葉だけでは言い表せないものの様に思えた。
でも、ヒースにも分かった。これは恐怖だ。ようやく心の中に出来た大切な物。それをあっさりと何かが奪い去れる時代の中に、今はいる。
「ただ降りたところまでで時間切れになっちゃったから、森の中までは行ってない」
「時間切れ?」
「ああ、皆が寝てから行動したから始まりが遅くてね、空が白ばみ始めたから戻った」
「今日は? 怪しまれない?」
どうもシーゼルは他の隊員達には行動を隠したい様に見受けられる。
するとシーゼルが言った。
「今日は大丈夫。僕とヒースが消えたらそういうことだと思ってって言ってあるから」
そういうこと。つまりそういうことだ。
「ヨハンが聞いたら勘違いするのに」
「いいんだよ、せいぜい勘違いしてればいいんだ」
「何で」
よ、とシーゼルはどんどん崖を下っていく。帰りにこれを登るのは大変そうだった。
「だって、そうしたら僕の好きな人は隊長じゃないって思うだろ? そうしたら、僕はまだあの人の隣で役に立つ右腕でいられるじゃないか」
切なかった。でも、その気持ちも、ニアを好きだと自覚した今なら分かる。何とか隣にいたいのだ。出来る限りこちらに気を許して、笑顔で接して欲しいのだ。
「シーゼル」
「なに」
ヒースは本当に知りたい。だから尋ねた。
「一体どうやったら両想いってなれるの」
すると、シーゼルがぶっと吹き出す声が聞こえてきた。
「それ、僕に聞く? 僕の方が教えて欲しい位なのに」
「シーゼルの方が長く生きてるだろ」
「そりゃそうだけど、でも分からないよ。だってそう思ってもう十年だ。いい加減他に目がいけばいいと我ながら思うけど、でも駄目なんだよね」
言いながらも、シーゼルはどんどん降りて行く。ヒースはついて行くのがやっとだ。鍛冶屋生活は筋力はついたが、体力は減った様だ。奴隷時代に比べ、あまり歩いてない所為はあるだろう。
「やっぱり言わないと駄目なのかも」
ヒースが意見を述べる。キスはしたが、好きとは言っていない。あの時はまだ自覚していなかったから。
「言って成就する可能性と言わないでずっと隣にいれる可能性を考えるとさ」
「俺、今朝別れる時キスしてきた」
「は? 何それ」
シーゼルが聞き返して来た。地上が段々近づいて来る。
「でも、言ってない」
「……成程、事故に見せかけて自己の欲求を満たすという手はあるね」
シーゼルは興味を惹かれた様だ。でも違う、そうじゃない。
「次会った時は言いたいな」
「……言える状況なら言えばいいんじゃないか? まあ僕は無理だけど。でも、事故に見せかけてはなかなかにいい案だ。それは考慮に入れてなかった」
シーゼルはぶつぶつと何かを言い始めた。この場合、とか、転んだふりして、とか色々聞こえてきて実に楽しそうだ。
始め会った時はただ触れちゃいけない人だと思ったが、思っていたよりは話してみたら話せる人だった。だから思う。第一印象はとても大事だ、そこでの判定は大体間違っていない。
でもやっぱり、為人に触れないと分からないことはある。
その人が一番大切に思っていること、物、人。ヒースも同じだ。人にはそれぞれ優先順位がある。そしてそれは人によって様々だ。
シーゼルとヒースは、その点で似ている。大切な人の隣にいることだ。
「到着、と」
シーゼルが地上に降り立った。少し遅れてヒースも同じ場所に辿り着いた。目の前に広がるのは、暗い濃い森。ジオといた森よりも遥かに深そうだ。
「さ、行こうか」
シーゼルは特に気負った感じはない。こういったことは慣れているのだろう。
あ、とシーゼルがヒースを振り返る。
「僕からは少し距離置いた方がいいよ。近くにいると一緒に斬っちゃうから」
とんとん、と腰にぶら下げている随分と細い剣を鞘の上から叩いてみせた。魔族と一緒くたに殺されたくはない。ヒースは尋ねた。
「どれ位距離を開ければいい?」
「これ位」
シーゼルが音もなくいつの間にかヒースの腰の横に剣先を向けていた。全く分からなかった。
「あ、この剣」
仄かに蒼く光る刀身。蒼鉱石だ。これだけ刀身が細いのに斬れるということは、かなりしなやかで且つ頑丈な素材なのだろう。
「いいなあ、欲しいんだよね蒼鉱石の剣」
「……怖くないの?」
「何が?」
シーゼルが呆れた様にヒースを見て、苦笑した。
「殺されるとか思わないのかってこと」
「殺す気ないでしょ?」
シーゼルからは殺気が感じられなかった。だから気付かなかった、そう思う。
「……いつか死ぬよ」
「すぐには死にたくないな」
「もう少し疑いなよ。僕、これまで沢山人殺したよ? ヒースも腹が立ったら殺しちゃうかもよ?」
「シーゼルはいい人だと思うよ」
ヒースがそう言うと。シーゼルがあははは! と笑い始めた。
「シーゼル、声響くよ」
「あはっちょっと! 無理、止まらな……あははは!」
シーゼルは腹を抱えて笑っている。こんな風に笑う人だったのかと思うと、ヒースも嬉しくなった。
暫く笑っていたシーゼルがようやく落ち着きを取り戻し、ヒースを見て今度は変な顔をする。
「何で笑ってるの? 変な子」
「変?」
「変だね」
「つられた」
「……可愛いかも」
これまた音もなく剣を納めると、シーゼルはじっとヒースを見つめる。
「なかなか見目はいい。僕程じゃないけど」
「そりゃどうも」
「この僕を怖がらない度胸も、僕程じゃないけどある」
「シーゼルには負けると思うよ」
ヒースが言うと、シーゼルが更に近寄ってきた。近い。
シーゼルの肌は陶器の様にきめが細かく、綺麗だった。過去の自分が可愛いと言い切るだけはある。
「隊長が駄目になったら、ヒースでもいいかも?」
「そんな気ない癖に」
「いや、もしもだよ、もしも」
「俺は好きな人いるし」
「つれないねえ」
くす、と笑うと、シーゼルはすっと離れて行った。本当に音もなく動く人だ。普段でこれだ、本気を出したら死ぬその瞬間までそこにシーゼルがいるのに気付かないかもしれない。
「さ、お遊びはここまでだ。先を急ごう」
「シーゼル、目的は話し合いだからな」
「分かってるって」
シーゼルはそう言うと、暗い森の中をさっさと進み始めた。早い。妖精の泉に初めて行った時よりもかなり暗闇には慣れたつもりだが、それでもヒースはあの速さでは進めない。
「ヒース、明るい方は見るなよ。見えなくなるから」
「あ、そういうことか」
「そ。なるべく暗い方を見て、陰影で判断する。あとは気配ね」
言うは簡単だが、明るいのに慣れ切っているヒースにはなかなか難しい。
「やってみる」
「慣れると平気だよ」
つい上に光を探そうとしてしまう。その視線を無理矢理シーゼルの足に移動した。これはいい機会だ、今日慣れてしまえばきっと次からもっと慣れる。
シーゼルは風が吹いたかの様にすれ違う茂みも、ヒースが通るとガサガサと音が立つ。この人について行って、その凄さが分かった。
まるでそこにいない様だった。
どれ位進んだだろうか。張り詰めていた神経の所為で、時間の間隔が狂っているかもしれない。
すると。
シーゼルが立ち止まった。
次話は明日投稿します。




