シーゼルの過去
隊員達との食事の後、シーゼルがヒースをちょいちょいと呼んだ。ヒースが近寄ると、耳打ちされる。
「この後隊長が腹ごなしに運動を始めるから、その隙に出る。武器は持って。酔木は僕が持っていく」
ヒースが無言で頷くと、シーゼルの表情が和らいだ。
「下に降りる道はさっき僕らがいた崖のすぐ下の道だから、さっきの所に目立たない様に行く」
「分かった」
「うん、思ったより君いいね。さっきは坊やなんて言ってごめんよ」
「まあシーゼルよりは若いから、いいよ」
争っても仕方のないことだ。年齢は、それこそハンの様な長寿の血を引いてない限りは進み具合は皆変わりはしないのだから。
シーゼルは、洞穴近くの壁にもたれ掛かり隊員達をぼうっと眺めている。クリフはもうすっかりやる気になり、べったりとハンにくっついている。守ってるつもりらしく、それをハンも嬉しそうに受け入れていた。弟のクロは子供は苦手そうだったが、魔物すら手懐けてしまうハンだ、小さい子なども抵抗がない様だったので助かった。
クリフは幼い。幼い故か、それともその元が人間ではないからか、感覚は鋭いが状況を読むということが苦手だ。隠密行動を取らねばならない状況に、悪いがクリフは全く向いていないのだ。
ヒースはシーゼルの横に同じ様にもたれ掛かってみた。食事の片付けはほぼ終わるところだ。あともう少し待てば、いよいよ出発だろう。
「シーゼルは、どうして戦うことになったんだ?」
「聞きたい? 結構酷い話だよ」
「シーゼルが話してもいいのなら」
「はは、物好き。僕に面と向かって聞いてきたの、君が初めてかも」
「何で? 仲間は聞いてこないの?」
シーゼルは恐れられている、そう感じはしたが、会話もないのだろうか。
「僕ね、最近は大分抑えられる様になったけど、結構気が短くてね。見えないでしょ?」
普通に気が短いとはすぐに思った。腹を立てて会話の途中で場を外すのは、短気な証拠だ。
「見えなくなくもない」
「ははっまあいいやそれで。で、気に入らないことがあると、ついカーッとなって同じ隊の奴でも見境なく殺しちゃってたからさ、皆もう近寄ってこない。最近入ってきたあの片玉位かな、それでも話しかけてくるのは。あいつは僕のそういったところ、殆ど見てないから」
片玉が名前代わりになっているのは少々憐れだったが、ヒースはただ頷くに留めた。言っても詮無いことだ。
「――僕はさ、親の借金のカタに小さい時に男娼宿に売られたんだよ。だから元々、人間の奴隷だった訳」
細い目の中の瞳は揺らがない。
「まあおっさんの相手だよね。僕、結構身体が華奢でさ、そこそこ年食ってきたのになっかなかあれから解放されなくて、早く身体が大きくなればもう客も取れなくなるのにって、毎日そんなことばっかり考えてたらさ、あの日が来た」
今はヒースと背の高さも殆ど変わらない。成長期が遅めに来るタイプだったのだろう。
「魔族が襲って来てさ、店は大騒ぎ。ああ、これで解放されるって僕は本当に嬉しくて、でも僕に乗っかったまんまのおっさんが離れないから、殴って殴って殴って殺した。それが初めて人を殺した時。拳の皮膚は破れて痛いしさ、でもあまりにも開放感が凄くて、嬉し過ぎて泣いちゃってさ」
ふう、と一息吐く。
「そしたら、街に逗留していた軍の人が魔族に追われて逃げ込んできて、素っ裸で血まみれで泣いてる僕を被害者だとでも思ったのかね? 着ていた外套を掛けてくれて、背中に庇って一緒に逃げてくれた」
シーゼルがこちらを見る。仄かに照れた様な、嬉しそうな表情。
「助けてくれた人って」
シーゼルははっきりと笑顔になり、頷いた。
「そう。ヨハン隊長」
ふふ、と照れた様に笑うその横顔は、完全に恋する者の姿だ。
「魔族って強いよね。街があっという間に焼かれていく中、僕と隊長は民家の地下に籠もってやり過ごしたんだ。どれ位そうしてたかな、物音がしなくなったから隊長が外に出たらさ、一面焼け野原になってた。ありゃあ竜人が竜になって燃やしたんだな。今なら分かるけど当時は分からなくてさ。でも助かったのは分かった」
ヨハンが洞穴から出てきた。シーゼルの表情が明るくなる。
「隊長が頭抱えて泣いてるから、僕は慰めてあげようと思ったんだけど、そんなことするな、自分を大切にしろって言われてさ。僕を抱かない人がいるなんて思わなかったから、衝撃だったよ。自分で言うのもなんだけど、滅茶苦茶可愛かったし」
ヨハンの周りに隊員達が集まってきた。
「それで、他の人間と合流しようってなって、隊長は道すがら僕に戦い方を教えてくれてね。今のこの反乱組織を作っていたハン達と合流して、僕は若過ぎるからって離れ離れにされちゃって、気に食わないから暴れまくってたら、隊長のところに配属されたんだ」
隊員達が順番を決めている。どうやら拳で戦う様だ。
「嬉しかったけど、やっぱり僕に手を出そうとする奴はいたからさ、そういうのを排除していくと怒られるし、何で怒られるんだろう? 自分を大切にしろって言ったのは隊長なのにさ。僕の気持ちにも全然気付かないし、こんなに好きなのになあ」
始まった。何と三対一だ。あのヨハンというのはそんなに強いのか。
「で、今に至る感じ。分かった?」
「分かった。ヨハンのことが大好きなのもよく分かった」
「あはは、お願いだから本人には言わないでよ? 傍にいられなくなるのは本当にきついんだから」
シーゼルが壁から背中を離した。
「殺されたくないから、絶対言わないよ」
「あは」
ヒースも背中を離した。シーゼルが影になっている場所を選び進む。洞穴にさっと入ると、袋を掴んで持ってきた。恐らく酔木だろう。
「察しのいい子は好きだよ」
「そりゃどうも」
二人はなるべく影になった場所を選びながら、ヨハン達から距離を置きつつ崖っぷちへと向かった。空はもう真っ暗で、半分程度に欠けた月の青白い光が唯一の明かりだ。シーゼルは見た目通り身が軽い。音を殆ど立てることなく、少し下に位置する足場へと飛ぶと、ヒースを手招きした。まるで猫みたいだ。でもこの猫は実は中身は猫じゃなく、立派な牙と爪を持つ大型の肉食獣だ。見た目に騙されると、知らない間に命を消される。
そのシーゼルの原動力は、ヨハンへの想いだ。万が一ヨハンが死んでしまったりしたら、この男は一体どうなってしまうのだろうか。
「想いが伝わるといいのにな」
「え? 何か言った?」
「ううん、独り言」
「そう? この先は声小さめにね」
「分かった」
シーゼルの均等の取れた背中を追いつつ、ヒースは考える。
いつまでも大切な人が隣にいるとは限らない。ある日突然、思いも寄らないことが起きることもある。ヒースにはそれが二度起こった。一回目は、父と母との別れ。二回目は、恩人のジェフとの別れ。両方共に、人の死と共に訪れたそれは、ヒースの心に大きな穴を空けた。それは今も埋まってはいない。時折、ふいにその暗い穴が闇の深淵を覗けと言ってくる。
ジオも、クリフも、ハンも、その穴から顔を上げる気力をヒースに与えてくれる。でも、ニアは違う。ニアは、穴がそこにあることすら忘れさせてくれる。段々、ヒースの脳裏に浮かぶニアの顔は泣き顔ではなくなってきた。でもまだ笑顔じゃない。ちょっと怒った様な照れた様な、あの顔。
まだ今朝別れたばかりだというのに、会いたくて堪らなくなった。
次話は明日投稿します。




