恋心
クリフは不満げではあったが、ハンを守って欲しい、という言葉には多少なりとも心を動かされたらしい。それまで頑なだった態度が、軟化した。
「な? 頼むよクリフ。クリフにしか出来ないことだ」
「クリフ、ヒースの役に立つ?」
「うん、とっても」
クリフに笑顔が戻った。
「クリフやる! ハンを守るんだ!」
ハンがそれを見て微笑む。クリフの頭をぽんぽん撫でると、「よろしくなー」とクリフに頼んだ。こういうところはハンはとても柔軟だ。ジオにはひっくり返っても出来ない芸当だろう。
「じゃあまあ、とりあえず他の奴らにもざっと紹介して、飯食ったらこっそり出かけますから、隊長は奴らの暇潰しに付き合ってやってて下さい」
「飯食った後にやるのか……」
ヨハンがうんざりした顔になった。だがシーゼルは容赦ない。
「出来れば翌日に残らない程度に沈めといて下さい。見つかると面倒だから」
「お前な、その微調整がどれだけ難しいか分かってるだろ?」
「僕だと皆殺しちゃいますし」
しれっと言う辺り、やはりこの男は危なそうだ。何かの間違いで万が一ヨハンがヒースを気に入ったりしたら、その直後にヒースの命は尽き果てそうだった。
「……シーゼル、最近は人は殺してないよな?」
ハンが尋ねると、シーゼルはくす、と妖艶に笑った。この男には妙な色気があった。身体は細め、しなやかそうな筋肉が付いていそうな感じは服の上からでも見て取れるが、ぱっと見は優男風だ。奴隷のあの場にいたら、間違いなく真っ先に狙われる。
そして多分、音もなく抵抗される間もなく相手を殺すのだろう。
「隊長命令なので、最近はしてませんよ。あ、でも、しつこかった人が一人いたのでそれは排除しましたけど」
ハンの表情が曇る。
「……誰をやった」
シーゼルは首を傾げる。
「さあ? 名前までは。ルミアさんのところの人でしたけど」
ルミア。初めて聞く名前だ。他の班の班長なのかもしれない。
「前回の作戦の時か……済まないハン、てっきり敵にやられたものだと思っていた」
ヨハンが頭を抱えて溜息をついた。だがシーゼルは気にした様子はなく、あまつさえ追い討ちをかける様なことを言った。
「僕以外にも相当絡んでましたよ。どこの子かな? 一人は事後に泣いていたところを見かけたから、慰めてあげました。そいつ、僕が殺るところも横で見て笑ってたし、だからほら人助けですって、人助け」
「やめてくれ、シーゼル」
ハンが遮った。シーゼルが、笑みを浮かべながら身を乗り出しハンを下から覗く。
「この坊やに聞かせたくないんですか? 隠してどうするんです? 今の世の中どこ向いてもこんなのなのに、それを覆い隠してないことにするんですか? 何の為に?」
ハンの顔には怒りが窺えた。ハンが怒るところなど、初めて見た。
シーゼルは続ける。楽しそうに。
「必要あります? この坊やの顔を見て下さいよ。平然としてるじゃないですか。坊やだって、国がなくなった後は子供だったんだから、もっとあったでしょ? そういうこと」
どう? と笑いかけられた。ヨハンは目を瞑って眉間に皺を寄せていた。言っても無駄、そういう表情だ。
ヒースはそのまま伝えることにした。
「狙われたことは山の様にある」
「ほーら。ハン、心配し過ぎですって」
「俺は庇ってくれた人がいたから大丈夫だったけど、間に合わなかった奴もいた。自らその道を選んだ奴もいた。俺は少数派だったよ」
「うんうん、だから知ってるよね? 隠す必要ないですよねえ、ハン?」
シーゼルは満足そうだ。ヒースは続けた。
「それは起きたことで、俺は見てるしか出来なかった。庇ってやる義理もないし力もなかったし、手を出したら逆に自分が危ないから。でも」
シーゼルの笑みが消えた。少し苛、としているのが分かる。怒らせたい訳でもない、でもハンを笑うのは違うと思った。
「それが正しいことだったとは思わないし、誰か大人がクリフを狙ったら俺は今度こそ戦うつもりだよ。そしてハンの気持ちは別に間違っちゃいないと思う」
細い目が睨む。
「そこにあったら全部見ないといけない?」
「……腹立つ餓鬼だよ」
す、と立つと、シーゼルは洞穴の外に出て行ってしまった。ヨハンが顔をようやく上げた。
「済まなかったな、ハン、ヒース」
「俺は別に大丈夫だよ」
ああいうのはどこにでもいる。ああしないと自分を保てない奴だとヒースは思っている。自分と同じ場所まで引きずり下ろそうとするのだ。そしてその屍を床に積み上げ、上に乗って這い登ろうとする。
「素直になればいいのに」
「……どういうことだ?」
ヨハンは本当に分かっていない様だった。では、ここでヒースが語るのはさすがに拙いだろう。
ヒースから見たら一目瞭然なのだが。ただ構って欲しくて振り向いて欲しくて、役に立てる様考えて、でも上手くいかなくて。
ヨハンはキョトンとしてこちらを見ている。まあこれだけ鈍感だから、普通に拒否とかしそうではある。言いたくても言えない、そんなとこだろう。
ヒースはハンにクリフを渡すと、立ち上がった。
「夜までに仲直りしないとだろ。話してくる」
少しだけ、自分とニアを見ている気がした。仲はいい筈なのに、この全く相手にされていない感。でもヒースは少なくとももう少し接触出来る。今日なんてキスもしてきた。だからまだマシだと思いたかったが、思う側の心境は多分シーゼルと自分は一緒だ。
もっとこっちを向いて、だ。
ちゃんとこっちを見て、笑いかけて、好きだって言って欲しい。そうしたら、相手の為にだったら何だってやるのに。
外に出ると、崖にシーゼルが足をぷらぷらとさせて暗くなった空を見上げていた。
ヒースが近付こうとすると、近くにいたそばかすの若い男がこそっと言った。
「今は近づかない方がいいよ」
「……教えてくれてありがとう」
「マジで死ぬよ。俺も残りの片玉潰されそうになったし」
ヒースの歩みが一瞬止まった。これがカイラを襲った男か。想像していたよりも遥かに幼い雰囲気だった。
「潰されない様に気を付ける」
「それがいいよ」
シーゼルの背後まで来た。
背中から怒りが立ち昇っているのが見える。近寄るな、そう言われているのも分かる。
「シーゼル、隣座っていい?」
「……断る」
「どうせ後で二人きりになるだろ、今だって一緒でしょ」
「……勝手にしろ」
ヒースは隣に座った。そっぽを向いているシーゼルは、頬杖をついている。目を合わせる気はないらしかった。
ヒースは勝手に喋ることにした。
「俺の好きな子さ、俺のこと完全に子供扱いでさ」
少しだけ、反応があった。
「なのに触ってもあんまり逃げないし、ああ、これは全く相手にされてないなっていうのは思ってる」
「はは、ざまあないな」
馬鹿にする様な笑いには、少しだけ気の抜けた感じがあった。
「……言わないの? 言ってみたら変わるかもよ」
すると、ようやくシーゼルがヒースを見た。
「最近の子は柔軟だね。……あの人もそうならよかったのに」
「ガッチガチっぽいよね」
「ヒース、それを見抜くなんて見込みあるよ」
「はは」
シーゼルが寝転がった。
「多分、ずっとガチガチのままだよ、あの人は」
「年取る程頭は固くなる」
あはは、とシーゼルが笑った。少し離れた場所にいる隊員達がこちらの様子を窺っているのが分かった。この人は、多分恐れられているのだろう。
「あの人がさ、もうあとちょっとで死ぬって分かったらさ」
「うん」
「そうしたら、その時はもう気にしないでいくよ」
「……うん」
ふう、とシーゼルが息をつく。
「だから僕は、あの人の死のその瞬間まで横にいるさ」
シーゼルの目尻が、少し光った気がした。
次話は明日投稿します!




