自分が居る場所
ヒースはクリフに跨り、いざという時の為に弓を右肩に掛けた状態で周囲の様子を観察していた。
ニア達がいる坑道跡は遥か上空に位置し、狭い曲がりくねった谷間をゆっくりと前に進みながら降りていく。徒歩組が谷底の獣人族の集落まで馬の足で半月はかかる、と言っていた意味がよく分かった。
坑道跡は、崖に沿って人工的に作られた通路に沿って点在している。時には木板を渡らせただけの部分もあり、気を付けねば踏み外す可能性もありそうだ。蒼鉱石を掘り進めていく為に作られた道筋なのだろう。そこに安全という言葉はなかった。奴隷時代でも坑道跡などには何度か作業を割り振られたことがあったが、大抵どこの坑道でも、作業者の為の通路は必要最低限の幅しかなかったことをふと思い出した。
作業効率を求めた故の結果だろう。時折人が落ちていくのを見ることもあったので、あれは内外共に過酷な現場であった。つくづく、奴隷から解放された自分は恵まれていると思う。
時折突風が吹くとハンが煽られた様にふらつくことがあったので、ハンのあの飛翔用の魔具は安定性にはやや欠けているらしい。クリフはこれまで大して空を飛んだ経験などない筈だが、そこは野生動物の勘なのか、羽ばたく際上下に揺れてヒースの胃の中身を揺さぶることはあっても、左右に煽られる様なことはなかった。
鹿の姿に変わると、ニアにもらった羽根が付いた紐で首が絞まらないかな、と少し不安だったが、なにがどうなってそうなったのか、頭部の天辺からぴょこんと羽根が飛び出てひらひらと風になびいている。何かを首にぶら下げると、こうやってどんどん頭部からぴょこぴょこ出てくるのだろうか。面白そうなので後で何かやってみよう、そんな悪戯心がちょっと湧いた。ニアの実験好きが感染ったのかもしれない。
もう一度、背後の谷の上の方を見る。勿論人影など見える訳などないのは分かっていたが、あの方向にニアがいる、というのは何となく肌で感じ取ることが出来た。ニアの羽根は弓と首に、ニアの髪の毛は弓とヒースの髪にある。逆にこれしかないが、少しだけでも心の距離は近くなれただろうか。
恐らくあのメンバーの中には危ない行動を取る人はいない。これまで見てきた僅かな時間でも、それは何となく分かった。皆、比較的穏やかなのだ。それはナスコの影響か、それともそういった人間を集めたからか。荒々しいタイプの人間はナスコの班にはいない様に思えた。それにあそこにはカイラもいるしジオもいる。あまりこれ以上後ろばかり気にするのはやめよう、今は前を向いていないと危険だ。
「ヒース、あそこに少し広い平坦な場所があるから、あそこで一旦休憩しよう!」
ハンが声を張り上げる。ヒースと違い、ハンはかれこれ一時間以上ずっと自身の魔力を使い続けている。いくらビクターの言う通りハンの魔力が凄いものだとしても、全く疲れないということはないだろう。
「分かった! ついて行く!」
両手が塞がっているハンは、武器を持つことが出来ない。そもそも戦闘員ではないので、腰に気持ちばかりの剣を一振りぶら下げているだけだ。ある程度獣人族の集落に近付いたら、飛ぶことは避けた方がよさそうだった。それか、先にヒースが行くかだ。
ハンは崖に飛び出した台座の様な場所に、器用に降り立った。クリフも前に言いつけておいたことを覚えていたのだろう、今回は着陸の仕方は柔らかく、ヒースの胃がひっくり返ることもなかった。
ヒースはクリフから降りると、クリフに一声かける。
「クリフ、ご苦労様。抱っこしようか?」
「するー!」
あっという間に人型を取ったかと思うと、足にしがみついてきた。ヒースは笑顔でクリフを抱き上げる。
「疲れたか?」
「うーん、分かんない」
「まあ休んでて」
「うん!」
ハンは魔具をしまうと、地面に寝転がった。
「集中すると疲れるなあー」
ぐーっと伸びをしているのが気持ちよさそうだ。ヒースはハンの隣に座ると、同じ様に地面に寝転んでみた。地面は太陽の熱を吸収し、ホカホカだった。そして、風に当たり続けた所為で身体が冷え切っていたことに気付く。
「ずっと飛び続けるのは厳しそうだね。身体冷えちゃったよ」
「そう! そうなんだよ! 分かってくれたか!」
ハンが嬉しそうに言った。
「他に飛ぶ人いないからさ、理解してもらえなくって」
「確かに」
だがニアは飛べる。あれもどれ位飛び続けることが出来るんだろうか? 妖精族は魔力の塊みたいなものだと聞いたから、もしかしたらこれよりももっと気軽に長く飛べるのかもしれない。
「なあハン、今来た道は馬だと何日分位の距離なんだ?」
「うーん、二日分……三日分てとこかな」
そこそこ来たと思ったが、まだまだ先は長いらしい。
「ここは渓谷の一番端なんだよ。その端の一番上の切れ込みの部分から、中心の広く深い部分に向かってる感じだな」
ただ谷の間を進んで、その奥にちょっと深い穴があると何となく思っていたが違ったらしい。
「谷底、と呼んでいるが、その先は砂漠が広がっている。高低差が激しい地域なんだな。つまり俺達が来たのは山の頂上の部分、これから行くのは山の麓だ」
「へえ……」
あまりにも広大過ぎる説明に、ヒースの想像力はついていかなかった。砂漠の意味は知っていたが、見たことはない。
ハンがくるりとうつ伏せになると、指で絵を描き始めた。
「俺達がいた街は、魔族の国に食い込んだ位置にあったんだ。魔族の国との境界に山があるから、侵略はされにくい場所にある。ただ、近いだけあって他の土地よりは早い段階で侵攻されちゃったってことだ」
そう言って、左側が欠けたでっぷりした三日月の様な絵を描いた。
「南からも国境を超えて魔族の国に行けるが、北からはこの西側の細い入り口から降りていく形になるって寸法だ」
右回りでぐるっと上に向かって弧を描いた。
「つまり、砂漠の先は魔族の国?」
「そう。俺らの街は、そこから侵攻された。獣人族の奴らは大人しくても、通過する奴らは大人しくなかったってことだな。国境付近に住む魔族も人間も、それまでは多少の小競り合いはあってもそれなりに上手くやってたんだよ。気に食わない隣人がいても、皆自分の家族や畑や家の方が大事だからな」
そうだったのか。確かに、必ずどこかの位置では接点が発生する。そこで争ってばかりいては暮らしは成り立たない。自国奥深くに逃げるというのも、その土地で生まれた者にとっては受け入れがたい選択だろう。であれば、気に食わなくとも互いに刺激し過ぎず過ごす他は平穏に暮らす術はない。
「ハンはここの道にやけに詳しいけど、通ったことあったんだっけ?」
「ああ、何度かはな。魔族による侵略が始まる前は、単純に行商で行ったこともあるよ」
「そうなんだ……」
そういえば、前に少し話していたことがあったではないか。混血や亜人種にも知り合いがいる、と。小人族は自分達の作った物を魔族に売ったりしている、と。
誰が売ってるのか? 多分、その内の一人はハンなのだ。魔族と敵対する組織に所属して、武器商人をして人間に武器を配り歩いているのに、それでもハンは魔族達と関わるのを止めないのだ。
きっと、そこには何かしらの理由があるに違いない。
ただ憎むだけでなく、恐れるだけでなく、見定めようとしているのかもしれない。
「ん? 何? どうした?」
いつの間にかハンを凝視していたらしい。
「ううん、何でもない」
ハンといれば、いつかヒースにもその理由を理解出来る日が来るだろうか。
初めて、そう思った。
次話は明日から投稿します。




