黒歴史の一頁に刻む
坑道跡の穴に戻ってヒースが荷物を分けていると、ニアが寄ってきてヒースの首に羽根がついた紐を掛けてくれた。クリフも同じ様に掛けてもらうと、ぴょんぴょんベッドの上で飛び跳ねている。
「ありがとうニア」
「ううん、大して何も出来ないけど」
ニアが微笑む。ヒースは急に寂しくなった。
「ねえ、ニア」
「ん?」
自分から言うのは恥ずかしいものだ。でも、ハンだって甘えろと言っていた。であれば。
「おまじない、して」
「へ」
ニアが目を見開いてヒースを見つめた。そりゃそうだ、ヒースは泣いてもいない。泣いた後でもない。
「えーと、寂しくて心が泣いてる」
我ながらこっ恥ずかしい台詞が口から飛び出してきた。これはヒースにも何となく分かった。後から思い返したら絶対恥ずかしくなる、所謂黒歴史になりかねないやつだ。
「ひっ」
例のひ、が出た。でもここは譲れない。例えどんなに恥ずかしかろうが、恥ずかしがられようが、黒歴史の一頁に刻まれようが、絶対に譲れなかった。
ヒースは祈る気持ちでひたすらニアを見つめる。すると、頬を赤らめたニアがコホン、と咳払いするとヒースに指示をした。
「わ、分かった。じゃあそこに座って」
「うん」
ヒースは言われた通りにベッドに腰掛けた。ニアがそそ、と恥ずかしそうに寄ってくる。大胆な時とそうでない時のニアにあまりにもギャップがあって、どちらが本当のニアなんだか分からなくなる時があった。どちらのニアも可愛いことに変わりはないが。
ふう、と息を吐いたニアが、ヒースの肩に両手を乗せる。体重がかかり、まずはヒースの左頬にキスをする。ふに、と柔らかい唇が触れ、ヒースの心が弾んだ。反対側に移動しようとしている唇が目に入り。
ヒースは咄嗟にニアの片腕を掴むと、少し腰を浮かせてその勢いでそこに触れた。
ニアがこれ以上ならないだろう、という位大きく目を開くのが至近距離で見えた。ああ、やってしまった。もう時は戻せない。ならば。
「ひっひっヒース」
あわあわと唇を震わせているので、ヒースは両腕を掴み直すと、もう一度ニアの唇にキスをした。今度はちょっと長めだ。暫く離れていても、ヒースのことばかりを思い出す様に。
ニアが思い切り固まってしまったので、ヒースはようやくニアを離した。頑張って笑顔を作り、荷物をクリフごとさっと背負うと軽く手を上げた。
「じゃ、いってきます」
「あ、あ、ああはい、いってらっしゃい……」
呆然としているニアをその場に残し、ヒースは坑道跡から出て行った。
荷物を背負ったハンが、外で待っていた。にこりと微笑むと、尋ねる。
「きちんと挨拶出来たか? 暫く会えないもんなあ」
少し済まなそうな表情だ。ヒースはしっかりと頷いてみせた。
「した」
「ん? 何て言ったんだ? 教えろよヒース」
今度は揶揄う様に肘で脇腹を突いてきたので、事実を伝えることにした。
「キスをした」
「う? うおおえええ⁉︎」
「落ち着いてハン」
「いやだって、えっ! どこに!」
「口に決まってるだろ」
するつもりはあの瞬間まではなかったが。
「ちょ! ヒースなんでそんな平然としてられるんだっ」
「言っただろ、顔に出さないのは得意なんだ」
「ええええ! なあ、どうやって、何言ったらそんな流れになったんだ!」
ハンがぐいぐいくる。ヒースは先程の自分の言動を思い返した。
言えない。無理だ。
「内緒」
「くおおおお! 気になるうううっ」
「ほらハン、出発しよう」
「俺は諦めないぞ! 絶対聞き出す!」
ハンが魔具をシャキーン! と出しながら言っている。クリフはそれを見て鹿になり、そして翼も出した。
あれは言えない。将来黒歴史になる恥ずかしい台詞第一号だ。
「ハンってば」
可笑しくなって、ヒースのそれまでの冷静な表情が崩れ、キシシ、と笑ってしまった。
「クリフ、頼むな」
ポン、と首を撫でると、クリフは短い尻尾をぴょこぴょこさせつつ尋ねた。
「ヒース、どこに行けばいいの?」
そうだ、クリフにはろくに説明をしていなかった。自分はあれだけ当事者になろうと必死だったのに、こうしてついてきてくれたクリフへの扱いたるや。
「ごめんクリフ、ちゃんと言ってなかったな。クリフが分かってるかどうかも、確認すらしなかった」
「クリフ、ヒースといればいいよ」
ヒースがクリフに跨り、見えないだろうが首を横に振った。
「クリフ、ちゃんと分かってないと駄目だよ。だって、俺が急にいなくなったらどうする?」
「探す」
身も蓋もない。ハンがこくりと頷くと、崖の上からふわりと浮き上がった。クリフも翼を羽ばたかせるとその後に続く。
「じゃあ、俺が怪我をして動けなくなったら?」
後ろを振り返ると、ニアがジオと並んでこちらを見ていた。ヒースは軽く手を振った。ニアの手が、躊躇いがちに少し上がった。
ジオが数歩進む。そして立ち尽くした。
「うー。クリフが敵をやっつけて、ヒースの怪我を治す」
「クリフ、クリフが敵を倒しても、俺の怪我は治らないよ。多分」
恐らく、ニアの属性は逆流はしない。ニアとヒースは繋がっているから相互で補完出来るだろうが、ニアとクリフは直接は繋がっていない。ヒースを介し魔力がクリフに流れることはあっても、クリフからはない、と思う。
クリフが技を出した時にヒースの背中の傷が光った現象が実際はどういったものなのか、それはまだはっきりとはしていないが。
「えーと、そしたらヒースを連れて飛んで逃げる」
ジオの顔が、遠いのにはっきりと見えた気がした。寂しそうな、心配する様な顔だ。
涙が出そうになった。だから代わりに、大きく手を振り、そして振り返るのをやめた。これ以上はもう、見ていられなかった。
「俺が死んだら?」
「死なせない」
即答だった。
「クリフがヒースを守る。ヒースはクリフを守ってくれたから、クリフはヒースを守る」
初めて会った日のことを言っているのだろう。だが。
「クリフ、いざとなったら逃げてくれ」
「やだ」
「やだじゃない」
「やだ」
強情クリフが出た。でも、これは我儘なんかじゃない、クリフの本心だろう。クリフは幼い上に鹿だ。だから嘘なんかつけない。あるのはただの素直なクリフの思いだけだ。それがヒースにはよく分かるだけに、ちゃんと納得した上で行動してもらいたかった。
それがクリフの愛情に対する自分の役目だと思った。そう、役目だ。
前を行くハンは、谷の隙間を縫う様にゆっくりと降りて行く。谷は深く入り組んでおり、先は全く見通せなかった。
「クリフ、その時はお前にしか出来ない役目があるんだよ」
「役目? 何?」
声が怒っている。少し可哀想だが、何かあってからでは遅い。伝えるなら今だ。
「俺が行けと言ったら、ジオとニアの所に行ってほしい。そして二人を守ってほしいんだ」
すると、クリフが益々怒り始めた。
「やだやだやだやだ!」
説得失敗だ。とにかくクリフはヒースヒースヒースなのだ。ヒースは言い方を変えることにした。
「俺が死にかけてたら、ニアが頑張れば俺の怪我も治るだろ?」
「そうだ!」
納得してくれたらしい。内心ほっとした。
「じゃあ、いいね」
「分かった! クリフ、ヒースを助けるもん!」
クリフは母鹿のこともしっかりと覚えていた。幼かったから忘れてくれてないかな、そんなヒースの浅はかな願いは、魔鳥と会った時に儚く散った。
ヒースとクリフは同じだ。
大切な存在の死を目にし、もう次は耐えられない、それが本能的に分かっている。
「頼りにしてる、クリフ」
「うん!」
クリフが嬉しそうに言った。
次話は明日投稿します。




