希望の光
ニアはぽかんとしてヒースを見つめている。ヒースは焦った。しまった、今明らかにおかしなことを口走ってしまった。慌てて取り繕う。
「あの! ニアがさ、俺に優しくしてくれるから! だから俺ばっかりって思ってさ!」
「あ、ああ、そういうこと?」
「な、俺にもどんどん我儘とか言っていいから!」
「う、うん分かった、ありがとうヒース」
「じゃ、ほらニアも支度しないと!」
そう言うと、ヒースはくるりと後ろを向いた。顔が赤くなっているのが自分でも分かった。これ以上こんな顔を見られてしまったら、崖に飛び込みたくなってしまうからもう無理だった。
「皆に朝の挨拶してくる」
「あ、うん、いってらっしゃい」
逃げる様に出て行った。朝だし皆起きてるし一人にしても大丈夫だろう。外に一歩出ると、朝日が眩しい。崖の手前でカイラと話し込んでいたハンが、ヒースを見て笑顔で手を振った。ヒースは念の為周りを確認すると、すでにジオも起き出し厠から出て来たところなのが見えた。ジオがいるなら、多少目を離しても大丈夫だろう。
念の為、声だけ掛けておいた。
「ジオ、おはよう! ニアはまだ中にいるから!」
「おう、分かった」
ジオは昨日乗馬にかなり苦戦していた。その所為だろう、歩き方がいつもよりも更にがに股で笑えた。
「ジオ、歩き方おかしいぞ!」
「うっせえよ! 筋肉痛なんだよ!」
「あははっ」
ヒースは笑いながらハンの元へと歩いて行く。先程までの訳の分からないぐしゃぐしゃな気持ちは、ジオと朝日のお陰でどこかへと霧散した。きっとあれはあれだ、ニアが子守唄で怖いことを言うから、それで変な気持ちになったに違いない。次はもう少し穏やかな子守唄にしてもらおう、そうしよう。
ヒースは無理やり意識をハン達に向けることにした。
「ハン、カイラ、おはよう!」
「おはようヒース、よく寝れたか?」
「うん、朝までぐっすり」
ハンの横でカイラが少しホッとした表情を見せた。心配させてしまっていたらしい。ヒースは努めて明るく振る舞うことにした。
「ハンもカイラも早起きだな」
「俺はもう随分年だからな、年寄りは早起きなもんだ」
「見た目三十路が腹の立つこと言ってんじゃないよ」
「ははは」
穏やかな朝の会話に、どんどんヒースの気持ちは穏やかになっていく。先程まで波打っていた気持ちはどこへやら、今は完全な凪だ。
「そうそう、皆が起きたら、例の獣人の話も含めてハンから再度話をすることになったんだよ」
「皆にも話すってこと?」
カイラが頷いた。ハンが少し悔しそうな顔をする。
「カイラもヒースも、ちっともそんな素振り見せないんだもんなあ。全然そんなの知らなかったよ」
「悪かったよハン。私がヒースに黙っておいて欲しいとお願いしていたんだよ」
カイラが苦笑いする。ハンがぽん、とヒースの肩に手を乗せた。
「ヒースはもっと顔や態度に出ると思っていたけど、案外そうでもないんだな」
「顔に出したらこっそり持ってる物とかばれちゃうだろ」
「こっそりって、何持ってたんだよ」
ヒースは顎に手を当て思い出してみる。
「作業場で見つけた卵をこっそり持っていたことがある。ちょっと孵してみたくて」
ヒースがまだ運搬などではなく給仕やゴミ運搬をしていた少年の頃、とある作業現場で見つけたのだ。ポツンと置いてあったので、他の鳥に巣から落とされたのかな、などと思い、興味本位で手に取った。
ハンが頷く。
「ヒース、動物好きだもんな。クリフ見てても物凄く懐いてるし」
「で、どうだったんだい?」
カイラも興味津々だ。ヒースは話を続けることにした。
「始めからガサゴソ言ってたからもう孵る寸前だったみたいなんだけど、他の奴らに見つかって食われない様にしてたら、二日後位になって孵ったんだよ」
「うんうん?」
ヒースは二人に顔を近付けた。
「可愛い小鳥を俺は期待してたんだ。あの辺りは赤い鳥がよく飛んでたから、懐かれたら可愛いかな、なんて思って」
「ヒース、焦らすなよ」
ヒースはにやりとした。
「そうしたら、中から出てきたのはまさかの蛇。俺はもう驚いて驚いて、大声を上げながらその場から全速力で走って逃げた」
「うわ……ヒース可愛い」
目を輝かせてハンが言った。若干気持ち悪い。
「そういう物とか、後は単純に分けてもらったカチカチパンとか、あ、一度おつかいで春画を届ける時は何でもない顔をするのが結構大変で」
「春画……」
ぽ、とハンの顔が赤くなった。ハンは年寄りの癖に結構初心らしい。まあそれはジオも同じだが。
「ジェフが趣味で絵を描いてたから、紙を入手した時は皆こぞって描いて描いてって来てさ」
「は、ははははは」
ハンが横のカイラをちらちらと気にしながら、微妙な笑いをしてみせた。カイラが呆れた風に笑うと、ハンはがっとヒースの肩を掴んで耳元で小声で話し始めた。
「ヒース、春画の話は女性の前でしちゃあ駄目だ」
「え? 何で?」
「……そういうところがなー、ヒースだよな」
「それって褒めてる?」
「褒めてない」
「よく分からないな」
「いずれは分かる日がくるさ」
ハンが遠い目をした。黒歴史と同じ様な部類のものなのだろうか。分からないということは、ヒースの精神は幼いのかもしれないな、そう思った。
ハンがこくりと頷くと、ヒースの肩を話して男達に声を掛けた。
「皆! 朝餉の後、出発前に作戦会議だ! 新しい情報が入った!」
男達がハンを一斉に見る。その中に、ジオもいた。一瞬、ジオと目が合った気がしたが、すぐに目を逸らされた。もうこれでヒースに内緒にしておくことが出来なくなる、それを理解したのかもしれない。
ジオの方を何となく見ていると、ニアがいつの間にか表に出てきていて、ジオに手を振るのが見えた。途端、沸き起こる変な感情。ニアはもうジオに過度に接触したりしないのに、それでもモヤモヤする。
そしてふと、気が付いた。ニアは父親が大好きだったと言っていた。生きていれば、ジオ位の年齢だったかもしれない。
もしかしてニアは、ジオに恋心を抱いているのではなく、知らず父性を求めていたのではないか?
「なんだ、そうか、そうかも」
いつの間にか入っていた肩の力が抜けた。お父さん大好きっ子だったニアが父親を亡くし、働かざるを得なくなり、厳しいであろう王宮で生きてきたのだ。あまり男が周りにいなそうな環境だ、王様に甘えることなんて無理だろうし、ニアはきっと父親的存在に甘えることに飢えていたのだろう。
自然、笑顔になった。ヒースは若い、だからニアに父性を与えるのが難しいのは確かだ。でも、だったらニアの恋心にはまだ空き場所がある。
ヒースが入り込む場所が。
ヒースは嬉しくなって、二人の元に駆け寄った。
「ニア、ジオってば筋肉痛なんだって! 見てよこの歩き方」
「うっせえよ! 余計なこと言いやがって」
「ふふ、本当ね」
「ニアまで!」
ジオが苦虫を噛み潰した様な顔をする。それが余計に可笑しくて、ヒースはニアと並んで笑った。
一通り笑い尽くした後、ジオが釜戸に向かう。ビクターが欠伸をしながら近寄ってきたので、ジオは焦った様だ。
「ビクター! 今日は俺が作る!」
「え? あーうん、よろしく」
どうでもいいらしい。ニコニコと人の良さそうな顔をして、ジオには見えない様ヒース達に向かってウインクをした。もしやこれを狙っていたのか。侮りがたしビクターであった。
次話は明日投稿予定です。




