ニアの生い立ち
今日は歩き疲れたのだろう、スープを飲み干したクリフはまたすやすやと眠ってしまった。
鹿であるクリフに鶏肉入りのスープは如何なものかと思ったが、人間の姿をとっている時は人間と同じ食事でも問題ないだろうとはニアの診断だ。また額をくっつけて何かをぶつぶつ言っていたから、間違いはあるまい。
「じゃあクリフはしっかり面倒みるからね!」
嬉しそうな顔をしたカイラが、ヒースの腕からクリフを受け取った。元来が子供好きなのだろう。本来であれば孫がいてもおかしくはない年齢だ。アイリーンの姿をクリフに重ねているのかもしれなかった。
クリフにぐりぐりしながら立ち去ろうとしたカイラを、ヒースは呼び止めた。
「カイラ、ハンには話したのか?」
カイラの足がぴたっと止まり、暫くしてから背を向けたまま無言で首を横に振った。
「……明日、話すから」
「カイラ、その、俺から言おうか? 俺も見たし」
するとようやくカイラが振り返った。口には薄らと笑顔が浮かんでいる。
「ヒースは自分のことだけ考えてればいい。私のことまで背負うんじゃないよ」
「いや、別にそういうつもりじゃ……」
ただ、言いにくいのかなと思っただけだ。
「ちゃんと、明日は言うから」
「……そっか」
アイリーンの居場所が分かるかもしれない、だが違うかもしれない。確かめることは、カイラにとって恐ろしいことかもしれなかった。
ヒースの母の生存の有無と同じく。
「ちゃんと寝るんだよ、おやすみ」
また前を向くと、カイラは自分の寝場所へと戻って行った。
「おやすみ、カイラ」
暫くカイラの背中を見送った後、ヒースが振り返ると。
「おわっっ!」
すぐ目の前にニアがいた。大きな瞳でじっと見上げてくるが何も言わない。どうしたのだろうか。
「ニア?」
更に一歩ヒースに近付くと、ヒースの目、次いで頬の辺りから服の肩にかけてじいっと見ている。何だろう、また何かの実験だろうか。またがぶりと噛まれるとか。
この状態になったニアは、普段の可愛らしいニアと違って少し怖い。何をするか分からない怖さがあるからだ。
「あの?」
ヒースが引き攣った笑いを見せると、ニアがぎろりと睨んできた。何だどうした、何故このタイミングで睨まれなければならない。全くもって意味不明だった。
「ヒース、泣いたなら言ってよ」
ヒースはハッとして、自分の頬を指で触れて確認した。水分はない。跡でも残っているのか? そう思って自分の服を見下ろすと、涙が流れ落ちた痕跡がまだ残っていた。
「目が腫れぼったいし」
「あ、それでか」
ということは、きっとカイラにもバレバレだったのだろう。気遣いする様な台詞を言う訳だ。
「ヒース、こっち来て」
ニアがヒースの手を取り中へと連れて行く。中に置いてある荷物の中には、水属性の短剣がある。目が腫れぼったいなら、あれを使って魔法で冷やしたりしてくれるのかもしれない。少し、そんな優しさを期待している自分がいた。ハンに洗いざらい話してしまったことで、少し心が疲れていた。
ニアに促されるがままベッドに腰掛けると、ニアが少し屈んだかと思うと、ヒースの瞼の上にいきなりキスをした。
「えっ」
始めは左、次は右に。まさか泣き止んだ後でもおまじないをされるとは思ってもみなくて、ヒースは心底驚きニアを見つめ返した。
ニアはまたあの優しい微笑みを返すと、ヒースの頭に頬を乗せ、
「笑顔になあれ」
と撫で始めた。するとふいにまたあの感情がヒースに押し寄せてくる。
ここにいるニアは本物だろうか、これはヒースが見ている幻ではないだろうか、と。あまりにも不安になって、胸が痛くなる。
「いい子いい子」
声が頭の上から優しく降ってきて、ヒースは自分がニアに完全に子供扱いされていることを知らされた。
ハンに言われたばかりのことを思い出す。もう少し甘えろと。
そしてどうせ甘えるなら、ニアに甘えたかった。どうせ子供扱いだ、多少のことは目を瞑ってくれるかもしれないし。
だが、甘え方が分からなかった。余りにも縁遠過ぎて。
「なあニア」
「うん?」
「甘えるってどうしたらいいんだ?」
「へ?」
何とも色気のない返事が返ってきた。ヒースは目を瞑ってニアの頬の体温を感じながら、続ける。
「ハンが、俺はもっと甘えろって」
「ええ……私もよく分からないよ」
ニアの困った声。
「ニアは、家族は?」
そういえば、ニアの家族構成については一度も聞いたことがなかった。ニア本人を知ることで精一杯だったから。
ニアが顔を上げた。急激に寂しさがヒースを襲い、咄嗟に目の前に立つニアの腰に腕を回した。
「ひっ」
「行かないで!」
「ヒース……」
身体が震えていた。離れていかれるのが、こんなにも怖いとは。ニアの身体から力が抜けたのが分かった。頭を撫でる動きが再開される。
「……母と、妹が一人。腹違いの妹達は他にもいるけど、母が同じなのは一人だけ」
「一夫、多妻制ってジオが言ってた」
声も震えていた。情けない。
「そう、父は妻が三人いた。研究者で変人で有名な人だったから、他の男性はもっと沢山妻がいるのが普通なんだけど。寄ってこなかったみたい」
ふふ、とニアが笑う。研究者。ニアが実験好きな原因がここにありそうだった。
「だった、てことは」
「うん、私が小さい時に事故に遭って死んじゃった」
「そう……なんだ」
ニアの声はひたすらただ優しかった。
「父はこんな属性を持つ私でも可愛がってくれて、大好きだったな。私も変わり者だしね。でも、父がいなくなってしまって、一番の年長者だった私が働かないといけなくなって、それでダメ元で元々私に目をかけてくれていたシオン様に尋ねてみたの」
ヒースは無言のまま、続きを待った。
「職はありませんかーって。今思うと無謀よね」
「シオンに直談判したのか?」
「うん、そうよ」
それは凄い。でも猪突猛進なニアらしいといえばらしい行動ではあった。
「そうしたら、まさかのアシュリー様の側近として大抜擢。言ってみるもんだと思ったわ」
くすくす、と楽しそうに笑うと、額が触れているニアの細い腹部が揺れる。段々、震えが治まってきた様だ。
「お城に住む様になったから、家族ともなかなか会えなくなったけど……。そうね、でも私は父にはいっぱい甘えていたわ」
「どうやって?」
うーん、とニアが考えた後、羅列する。
「材料集めに一緒に連れてけ」
「うん」
「疲れたからおんぶしろ」
「ははは」
「私もやる」
「ニアっぽい」
「好きって言って」
「……おお」
「材料集めで野営した時に、怖くて寝れないから子守唄歌え、とか」
「ついて来た癖にか。ニアだなあ」
「仕方ないじゃない、怖かったんだもの」
幼い、ちょっと意地っ張りのニアが目に浮かぶ様だった。きっと、とてもとても可愛い元気な女の子だったに違いない。
「そうだ! 子守唄歌おう!」
「へ?」
今度はヒースが色気もくそもない返事をする番だった。何となく話の流れでニアがそう考えたことは分かったが、一応もうこれでも成人男性のヒースに子守唄だと?
「ちょっとそれは……」
「何でよ。案外いいかもしれないわよ」
「俺、そんなに子供かなあ」
あまりにも子供扱い過ぎて、少し凹んだ。でも腰に回した手は離さない。
「甘え方を聞いてきたのはヒースの方でしょ。ほら、横になって! トントンしながら子守唄歌ってあげるから!」
嬉々としてニアが言い放った。これはもう否定出来ないやつだ。ヒースは渋々腕を解くと、ベッドに横になった。
次話は明日投稿予定です。挿絵描きます…




