隠し事
ハンと話をするにはヒース一人の方がいいだろう。そうビクターに言われたので、こちらに戻ってくるジオはビクターとニアに引き止めておいてもらうことにした。ビクターが何気にいい男なのがヒース的には非常に気になるところではあったが、背に腹はかえられない。
ニアはあれからジオを気にするような素振りは一切見せなくなったが、だからといって急にジオに対する気持ちが冷めてしまうことはないだろう。なのでニアをこの場に残していくのも正直嫌だったが、一人にしておけないニアがいるからこそジオの足止めは成功する。ジオが座ったところを見計らって、ヒースはにこやかに立ち上がって言った。
「ちょっとハンとも話してくるよ! 俺会ってからそんなに話してないし」
「おう、片付けまでには戻ってこいよ」
「分かってるって」
思っていたよりも明るく振る舞ってしまったが、わざとらしくなかっただろうか。ヒースは何気ないふりをしつつハンの元へと歩を進めた。
「ハン、ちょっといい?」
それまで別の男達と談笑していたハンがヒースを振り返った。にこやかな笑顔のまま、すっと立ち上がるとヒースの肩に手を乗せた。
「どうしたヒース? 何か相談事か? あっまさか恋愛相談とか!」
おどけて聞いてくるが、その目にははっきりと「合わせろ」と書いてあった。
「そのまさかだよ、だってジオじゃ参考にならないもんな」
「違いないや、ははは」
一行からは少し離れた場所へと二人してのんびりと歩いていく。背後から、「青春だねえ」などといった呑気な声が聞こえる。
ガヤガヤと賑やかな話し声の詳細が聞こえなくなる程度離れた切り立った崖の前で、ハンは足を止めた。もうふざけた顔はしていなかった。
「――どうした」
面倒な駆け引きはハンには必要なかった。ヒースのことは可愛がってくれてはいるが、だからといってジオ程子供扱いはしてはこない。きちんとヒースを一人の大人として対等に接してくれる、それがハンだった。
「これからの計画と、懸念点、全部詳細を知りたい」
もしかしたらジオには話しているのかもしれなかったが、ヒースは結局一切聞いていなかった。だからヒースはまだ疑っていた。獣人族の集落に辿り着く前にまた置いていかれるのではないか、と。
「ジオは俺に隠し事が多過ぎる。でも俺は子供じゃないし、それに他の皆と違ってクリフと一緒に空を飛べる。いざという時に別行動も取れるのに、何も詳細を知らされてないのは勿体ないと思わない?」
はあ、とハンが溜息をつくと前髪をぐしゃっとした。
「やっぱりジオは何も話してないのか」
「てことは、ジオには計画は話してるってことだな」
ハンは頷いた。釜戸の火の明かりはここまでは届かず、従って二人を照らすのは星空から降り注ぐ微かな光のみ。それでもハンが少し呆れた様な表情をしているのがヒースには分かった。
「やっぱりどこかで置いていく気だったんだな」
「か、何だかんだ理由を付けて戻すつもりなのかもなあ」
全くもう、とハンが苦笑いする。だがヒースは笑えなかった。あれだけ言ったのに、なのにまだジオは分かっていないのだ。ヒースから距離を置こうとしているのも薄々感じ取れたが、これは余計なことを話さなくて済む様になのだろう。普段だったら何だかんだ言ってきてすぐぽかすか殴る癖に、やけにおかしいと思ったらやはりそういうことだった訳だ。ニアとずっとくっついているのにも前程何も言ってこなかったのも、結局はそういうことなのだ。
「ヒース、あいつはな、物凄い臆病なんだよ」
「知ってる」
ヒースは即答した。それを聞いてハンが小さく笑った。だがヒースは怒っていた。笑い事ではない。
「臆病な癖に諦めが悪いのも知ってる」
「手厳しいなあ」
「でも事実だ」
シオンを当時の次期妖精王に奪われてしまったのに、街は襲われてしまったのに、それでも一縷の望みにかけて残った。それからは一人だ。満月の夜にシオンに再び会えた時、ジオは何を思っただろうか。もう次期妖精王には愛想を尽かされいつでもこちらに来れる状態になったのに、迫り来る魔族の襲撃により再びシオンを失うのを恐れた。
その時点で、妖精族と魔族の間には子を成せないと知っていたら、状況は変わっていただろうか。
恐らく、それでもジオはシオンを呼ばなかっただろう。魔族に襲われて殺されないとも限らない。であれば、これ以上見向きされない次期妖精王の近くにいれば、安全と同時に他の男に手を出されることもない。
ジオ自身も含めて。
それ程にシオンを失うことを恐れていたのだ。そんなジオだ、勝手に転がり込んできたヒースにも情が移った挙句、怖くなったのだろう。
「ジオは分かってない」
ヒースの声には怒りが篭っていた。ハンは何も言わずに静かにヒースを見ているだけだ。ハンに言ったって仕方ないのは分かっている、だが言わずにはいられなかった。あれだけ全身全霊を込めて共に行くと伝えたのに、それでもヒースを置いていこうとするジオに心底腹が立っていた。
「ジオが俺を死なせたくないのと同じに、俺だってジオを死なせたくないことをジオは理解してない!」
ハンが子供をあやす様な笑みを浮かべて肩を撫でた。
まだ言い足りなかった。言っても言ってもジオには伝わらない。分かって欲しいのに。
「俺はもう大事な人に庇ってもらいたくはないよ、もう俺の所為で大事な人が死ぬのは嫌なんだ。だから一緒に行ってジオの助けになりたいのに、ジオはジェフと一緒で俺を守ってやらなきゃいけない子供だと思ってる!」
肩を撫でるハンの手が止まった。
「だから早く思い出してこれ以上心配されない様にしないと、ジオもジェフみたいに俺を庇って……!」
ハンがヒースの両肩をガッと掴んだ。
「ヒース、落ち着け。言っている意味が分からない」
「だってジェフは思い出せないならいいって言ってて、そのまま俺を逃して死んだ!」
「ジェフってあれか、奴隷の時にヒースを逃してくれた人か?」
ハンの手に力が篭る。
「そうだよ! ジェフは思い出せなくていいって俺を心配し続けて、子供扱いしたまま死んだ! 早く思い出して、それでジオに子供じゃないんだって分からせないとジオが死んじゃうよ!」
目頭が熱くなってきた。時折ふいに聞こえる、ジェフの最期の言葉。あの合言葉を言いながら、ずっと一緒にいられたらいいな、なんてふんわりと思っていた。奴隷生活は自由もなければきつかったが、明るいジェフといると楽しかった。
なのにジオは託されたんだと言った。ヒースは何も託されたくはなかったのに、ただ一緒にこの先もヒースの近くで笑っていてくれればそれでよかったのに。
ヒースの目から涙が溢れ出した。昨日から泣き過ぎだ。嫌になるがどうしたらいいのか分からなかった。
すると、情けなく眉を垂らしたハンが、ヒースの頭をぐしゃっと撫でてから軽く抱き寄せた。ヒースは自分が情けなかった。ハンの方がもっと沢山辛い思いをしただろうに。
こういうところがジオがヒースを子供扱いしてしまう原因なのだろうか。
「……俺はジオを死なせない」
「うん」
「ニアもクリフも」
「うん」
「……ハンも」
ハンがふ、と笑った気がした。ハンが抱き寄せていたヒースの肩を掴むと、身体を離して顔を覗き込んだ。ハンの背はヒースとあまり変わらないので何だか違和感があった。
「ヒース、教えてくれ」
「……何を?」
「隠していることを全てだ」
ハンがにっこりと笑った。
次話は明日投稿します!




