ビクター
カルが捕まえてきた獲物を、男達は次々と処理しては叩き切って骨ごと鍋へと放り込んだ。乾燥させた野菜と一緒に煮込んで出来上がった料理には時折むしり忘れられた羽根が見え隠れしているが、それでも鍋から立ち昇る香りは食欲を十分唆るものだった。
ヒースが目を輝かせながら配られたお椀の中の香りを嗅いでいると、隣でジオがうえっという顔をしている。自分のお椀の中から羽根を摘み上げると、横にぺっと投げ捨てていた。
「次から俺が調理した方が良さげだな」
そうぶつくさと文句を言っている。ジオとは反対側のヒースの隣に座るニアは、羽根が入ったままのお椀の汁をそれはそれは美味しそうに飲んでいるのが対照的で何だか可笑しかった。
「ジオは鍋を作ったりお椀を作ったり釜戸を作ったりって忙しかっただろう?」
同じ鍋をつつくナスコの仲間の一人が笑って言った。男達は四つ程の小グループに分かれそれぞれ鍋をつついている。この鍋の調理担当は、今日ずっとジオと馬上で会話をしていた、人の良さそうなキリッとしたなかなか見目のいい中年のこの男だ。名をビクターというそうで、この辺りの出身ではなく元々ハンとは行商人同士で顔見知りだったという。黒髪によく日に焼けた褐色に近い肌は、彼の出身地に多く見られたそうだ。金髪に白い肌のヒースと並ぶと特にその差が際立った。
ビクターの出身は西ダルダン連立王国の南東部にある漁港だそうで、十年前の魔族による襲撃によって街は壊滅状態となった。その頃丁度廻船で他の街に行商に出かけていたビクターは、海上から自分の街に上がる黒い煙を見たという。
「うちの街の海の男達は特に気性が荒いので有名でね、外洋で大物を捕る際に使う打ち込み銛を使って魔族が乗ってきた敵船を沈めたりして結構善戦してたんだけど、奴らの抵抗が少なかったのは女子供と使える人材を連れ出すまでの間だけだったんだ。それに気付かなかったのが敗因だな」
湯気が立ち昇り消えていく赤い壁の上空に見える星空を、ビクターは仰ぐ。
「竜人族が竜の姿になって街の上空を飛び回って火を吹いたり雷を落としたりするのを、俺はただ海から見てることしか出来なかった。あいつら、破壊力半端ないんだもんなあ。腰抜かしちゃったよ、ははは」
そうビクターは笑うが、鍋を囲むヒース達は一緒には笑えない。笑える訳がなかった。
「たった三匹の竜の所為で街は人が住めない場所に変わった。奴らの数が少ないお陰で俺達がまだ生きてられたと思うと、世の中ってのは上手く作られてるんだなあと思ったよ」
「どういうことだ?」
ヒースが尋ねた。ビクターが笑う。
「弱い奴ら、この場合は俺らだな、俺ら人間の方が繁殖しやすい。強けりゃ強い程、繁殖力は弱い。世界はそうやってバランスを保っているんだなってことさ。俺はそれをハンを見て常々思ってたし、あの瞬間その考えは確信に変わった」
「ハンを見て?」
ハンが長寿なことだろうか。
「ヒースは知らないか? ハンには亜人の血が混じっててな、とんでもない長寿なんだよ」
「それは聞いたよ。ハンの弟から」
ああ、という表情でビクターが頷いた。
「クロか。あの爺さんよりも年上なんだぜ。信じられないよなあ」
ビクターは別の鍋をつつきながら笑っているハンを遠目に見て笑った。その笑顔に見えるのは羨望か。
「長寿な上に物凄い魔力の持ち主だからね。あいつの風魔法はそりゃあ凄いんだ」
「空を飛ぶのは見たけど」
「はは、あんなのは序の口だよ」
「そうなのか?」
ジオが乗り出して尋ねた。そしてまたぶつぶつと文句を言い始める。
「あいつは本当いっつもいっつも肝心なことを言いやしねえからよ、長い付き合いだってえのに」
自分のことは棚に上げていることに気付いていないらしいが、ぽかりとやられたくはなかったのでヒースはそのまま黙って聞くことにした。
「はは、ジオはハンと仲がいいみたいだね。ありがたいよ」
「ありがたい? 何でだ?」
ジオが眉間に皺を寄せる。何言ってんだこいつ、といった表情である。ヒースはニアがお椀の中身を飲み干したのを見て、自分のとニアのお椀にお代わりを注ぎ入れた。温まって少しピンク色になったニアの頬が可愛らしくて、ヒースは渡す際ににっこりと笑いかけた。ニアも笑顔で返してきたので何だか嬉しい。やけにぽかぽかしてきているのは温かい食事のお陰だろうか。
ビクターが少し前かがみになってハンに聞こえない様にだろう、声を落としてジオに言った。
「あいつは寂しがり屋な癖になかなか本音を言わないからな、ジオみたいに遠慮なくぶつかってくれる人がいると俺は嬉しい」
「大体いつもくっちゃべってるのはあいつだけどな。ていうかビクターだって十分遠慮なさそうだがな」
「俺は遠慮はないけど、ハンとは反乱組織の仲間でもある。そうなると、付き合い方は自然と友人ではなく、何ていうんだろうな、同僚だ同僚、同僚になる」
ふんふん、とヒースは納得する。つまりあれだ、仲良くしてはいても、同じ場所で働く以上そこには利害関係が発生する。ジオはそこに含まれない貴重な人間ということを言いたいのだろう。
ビクターがジオに笑いかける。ジオが女だったら惚れてしまう様な爽やかな笑顔だ。ヒースは一瞬心配になって横のニアを盗み見たが、ニアの視線の先はお椀の中身にあった。よかった。
「ハンは、家族も住む場所もなくして足を止めていた俺に、道を見せてくれたんだ」
「道?」
ジオの片眉が上がる。
「そう。もう生きる気力がなくなってた俺に、ハンは反乱組織で一緒に戦って人間の世界を取り戻すっていう未来を指し示してくれた。ハンがいなかったら、俺はとっくにその辺で野垂れ死んでただろうな。だからハンは俺の同僚であり、同時に恩人でもある。本当に感謝してるんだよ」
「……そうか」
目線を伏せたジオを下から覗き込んで、ビクターがにこやかに続けた。
「だからさ、ジオ。こんな所で死ぬなよ。ハンの為にもさ」
ジオは苦虫を噛み潰した様な表情をしてビクターを軽く睨んだ。
「俺は戦う気はねえよ、用事が済んだらさっさとトンズラするつもりだからな。余計なお世話だ」
くい、とお椀を一気に飲み干すと、「厠に行ってくる」とひと言残してジオが立ち去っていってしまった。そんなジオを暫く見つめていたビクターは、ヒースの視線に気付くとあははと笑った。
「逃げられちゃったか」
「ジオはこういうの苦手だから」
「俺だって得意じゃないけどさ、無茶をされてハンが悲しむのは見たくない」
ふう、とビクターがまた空を見上げた。
「ビクター、ジオは怒った訳じゃないから。照れてるだけだから」
「はは、弟子の方は素直なんだな」
素直。阿呆と言われるよりは遥かにまともだ。ヒースはジオが厠の壁の奥に消えたのを確認すると、声を潜めてビクターに言った。
「その件でお願いがあるんだ」
ビクターのこめかみがぴくりと反応し、爽やかな笑顔から少し迫力のある笑みに変わった。
「……師匠には内緒でか」
「敢えて言う必要はないと思ってる。これだけ近くにいたら気付くとは思うけど」
「うんうん。それで? 何をして欲しいんだ?」
お代わりも綺麗に食べ終わったニアを手で呼んでから、ヒソヒソと会話を続けた。
「出来る限りの情報が欲しい。――ジオを安全に妖精界の接点まで連れて行きたい」
一瞬驚いた様な顔をしたビクターだったが、ヒースとニアを交互に見た後、にやりと笑って無言で頷いた。
次話は明日投稿します!




