夕日
ジオが言っていた通り、夕刻頃には一行は片面が急な崖になっている比較的広い場所に出た。所々真っ暗な穴がぱっくりと空いているのが見える。入り口を木の棒で塞いである所はもう掘り尽くされた坑道だそうだ。
廃坑は奥まで行けば入り組んでいて戻ってこれない危険性もあるが、手前にいる分には使用する火の明かりも漏れにくく雨風も凌げる。その為今夜はここで休むこととなった。この中で一番土魔法が得意なのがなんとジオだったということで、ジオは駆り出され各自が使用する坑道入り口部分の補強と大鍋や釜戸の作成に勤しんでいる。その間にナスコがやって来ると、得意げに水魔法で昨日の物と同じベッドを作ってみせた。
「お二人さんよ、昨晩の寝心地はどうだった?」
「凄くよく寝れたよ。クロの家のハンモックは合わなかったけどこっちはいい」
「おお、そりゃよかった。このサイズのベッドは作ったことがなかったから加減が分からなくてよ」
そう言うと、ナスコはガハハと笑って去っていった。
ナスコは一見人相は悪いが、それは眉毛も薄くなっているからだと近くに寄ると分かった。目は優しく、昨日会ってから見ていたところ、全体に目が行き届いていてさり気なく指示をしている様だった。ナスコを入れて八名の小さい集まりとはいえ、一人で見るには七名はそれなりに多い。奴隷時代、作業を行なう際もあまり周りが見えないタイプの人間がリーダーになると作業が滞った記憶が蘇った。まだ班の他の人間の名前は覚えていないが、皆あまり癖がなく気の良さそうな人達なのは何となく理解した。
坑道一つ一つは狭い。基本二人一組に分けられた。カイラは今夜もクリフと一緒、ジオはハンと一緒だ。念の為、カイラとはすぐ隣の坑道にいてもらうことにした。草むらや町中と違い、ここには遮る場所が何もない。用を足す際男だけならあまり気にしないらしいが、今回は旅慣れしているカイラだけでなく若い女性のニアもいる。ということで、なんとジオが土魔法で即席の厠まで作ってしまった。恐ろしく便利な魔法である。ヒースは羨ましくなった。
慣れぬ移動で疲れただろうから飯が出来上がるまで休んでていいと言われたので、ヒースとニアはベッドに腰掛けたり寝転んだりして寛いでいる。クリフも今日は疲れたらしく、寝転んだヒースの腹の前で人型になり小さく丸くなっていた。
「俺もジオやナスコみたいな魔法を使えるようになりたいな」
ベッドに腰掛けて足をパタパタさせているニアに声を掛けた。
「なあニア、自分の得意な属性ってどうやったら分かるんだ?」
水魔法はとりあえず使えるのは分かったが、だからといってこんなベッドの様な凄い物を作れる気が全くしない。
「まあ簡単なのは片っ端からやってみることだけど、適性だけを調べる方法はあるかな」
「え、やってみたい」
そんな便利な方法があるなら是非やりたい。ヒースがわくわくした表情を浮かべたのが可笑しかったのか、ニアがくすくすと笑った。
「でもそれは占い師が視るか、診断用の魔石が必要なのよね」
「じゃあ無理じゃないか」
「そう、だから地道に確認していくしかないかな」
「ちえっ」
ヒースが唇を尖らせると、ニアが実に楽しそうに笑った。そんなニアが滅茶苦茶可愛く見えて、思わずヒースは真顔になりごくりと唾を呑み込んだ。急に動悸が激しくなる。何だ何だ、どうした一体。
どうも昨日から自分の身体に異変が起きている様だ。ニアの禁断の果実に身体越しで触れた時から、何だか変だった。ニアの笑顔はクリフみたいで可愛くて、ほっそりとしたニアの横顔や身体なんて色気がなくてアシュリーみたいにぷるぷるだったらいいのに、なんて思っていたのに。
とりあえず目の前で転がっているクリフに抱きついてみた。ぽかぽかと温かくて髪はチクチクするが、お陰で変な気分はあっという間に消え去った。
「どうしたのヒース? 疲れちゃった?」
折角落ち着いていたのに、ニアが心配顔でヒースの額をそっと触って熱の確認をするものだから、急にまた汗が出てきた。身体がカーッとしてきた。
何も言えずヒースが固まっていると、ニアが更に心配そうな顔になってヒースの顔色を見ようとしているのだろう、更に近付いてきた。
「日にいっぱい当たると疲れるしね、ちょっと火照ってるみたいよ」
ニアの紺色の瞳に映る夕日が輝いて見えて、ヒースはもっと見たいと思ってクリフを潰さない様に半身を起こしてニアの顔に自分の顔を近付ける。もしかして自分の瞳にも同じ様に夕日が反射しているのだろうか。
「……ヒース?」
問いかけるニアの息が顔に吹きかかる程近くにあった。
「夕日が目に映ってて」
「え? それで見てるの?」
だから自分の息もニアに届いている筈だ。ニアがふ、と目を伏せた。
「あ」
見えなくなってしまった。そして視線がニアの唇へと移動する。
泣かせては駄目だ。だから駄目だ。それは分かっていた、だから代わりに人差し指で軽く触れてみた。見た目はアシュリーの物程ぷるぷるには見えなかったが、それは大きな間違いだった。じん、と込み上げてくる喜び。
「……ぷるぷるだ」
「ひっヒース、な、何をっ」
「触ってみたくて」
「ひっ」
「あ、喋ると固くなるから黙って」
「むっ無理っ」
「もうちょっとだけ」
こうしてニアに触れている間は、あの変な動悸は治る。そうか、またあの変な症状に襲われたら、ニアに触れたらいいのだ。ニアが泣かない程度に。
ニアの唇に触れながら、話を進める。
「水以外の属性も試してみたいな」
黙って、と言われてしまったからだろう、ニアは真っ赤になりながらただこちらを見つめ返すだけだ。あ、また夕日が映った。
綺麗だった。
ヒースはその感想をそのまま口にした。
「綺麗だ」
ニアの目に映る夕日の輝きも、ニアの輪郭を象る夕日も、その曲線も全て。
すると、ニアが言った。
「ヒース、本当に大丈夫?」
目が真剣だった。この場合の『大丈夫』は、頭が大丈夫か、の方だろう。
ヒースはこれまでの自分の症状を鑑みる。急に起こる動悸。普段なら口にしない様な台詞。明らかにこれはおかしい。
なのでヒースは素直に答えた。
「大丈夫じゃないかもしれない」
するとニアがくそ真面目な顔をしてまた手のひらで熱を測り出した。ああ、唇が離れていってしまった。
「うーん、森は涼しかったしね、急な気温変化で体調を崩した可能性も」
「そうかな?」
確かにおかしいからその可能性はあるかもしれない。
「昨日もうなされてたし」
「確かに」
「あ! もしかして私の所為で暑くなって汗かいて冷えたのかも!」
「ニアの所為?」
ニアがこくこくと頷く。
「昨日ヒースの頭をね……あっ!」
「あ?」
ニアが急に真っ赤になる。だから理解した。朝まで頭を胸に押し付けられていたあのことを言っているのだろう。だがあれはヒースが必死で寝たふりをした件だ、ここは知らないふりをするしか選択肢はなかった。
でもちょっとは揶揄いたくなる。
「俺の頭がどうしたの?」
「あっいやっ別にそのっな、何でもない!」
「ニアも疲れた?」
ニアにされたのと同じ様に額に手を当てると、汗ばんでいるのが分かった。これは、ニアも少しはジオじゃなくてヒースの方を気にしてくれているのだろうか。
このままずっと触れていたい、そう思っていたが。
「ヒース、ニア、クリフ! ご飯だってよ!」
カイラの呼ぶ声で、この幸せな一時は終了したのだった。
次話は明日投稿します!




