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『笑顔になあれ』

少しずつ埋まって行く隙間。

 ニアは落ち着いた表情だった。でも顔には疲れが窺える。


「ヒースは、私を守ろうとしてそれで周りに警戒してたんだよね? アシュリー様がヒースのことを悪く言わなかった理由が、ようやく私にも分かった」


 ニアは靴を脱ぐとベッドの奥に這って行き、仰向けに寝転がり外套を上から掛けた。ヒースもそれに倣って横になる。明かりは燭台の蝋燭と窓からの月明かりだけだが、そこまで暗くもない。


「アシュリーは俺のこと何て言ってたんだ?」

「ふふ、私は『人間の男なんて信用出来ないです』って言ったんだけど、そうしたらアシュリー様はジオとヒースは違うと仰ったの」


 実際はアシュリーよりもニアの方がヒースやジオと接している時間は長い。アシュリーとはあの妖精の泉で僅かに言葉を交わしたのみだ。その短い時間でアシュリーは一体ヒース達に何を見たのか。


「ジオはシオン様がよくご存知だったから元々信用はされていたようだけど、そのジオとシオン様の仲を取り持とうとしている姿を見て、アシュリー様はヒースは裏表がない方だと仰られていた」

「裏表……」


 確かにあまりないかもしれない。下心はあっても。


 ヒースは、ベッドの枕元にあるチラチラと眩しかった燭台の炎を吹き消した。部屋が窓から差し込む光だけになる。ベッドの水は冷たくはなく、少し沈む様な感覚だがそれがヒースを夢の世界へと(いざな)う。


「ヒースは、私が泣くのが嫌なのがよく分かった」


 その言葉にヒースはニアの方を向いた。ニアの顔を月明かりが浮き立たせ、おでこから鼻筋、唇を(えが)く曲線は只々(ただただ)美しかった。閉じそうになる瞼を一所懸命開けるが、半分しか開かない。


 でもまだニアの言葉を聞いていたかった。


「……ニアは、泣かさないよ」


 飛んでいきそうな意識の中言うが、恐らく呟き程度にしかなっていない。ニアがこちらに顔を向けた。逆光の顔には、昔見た教会にあった聖母の様な笑みが浮かぶ。


 子供の頃に、そんな物実際にどこに行ったら見られるんだと思った笑みが、そこにあった。


 ニアの方に手を伸ばすが、もう限界だった。どんどん暗闇がヒースに押し寄せる。


 消える意識の中、ニアの手が自分のそれに重なった気がした。



 足元に飛び散り、脈と合わせて吹き出る液体。


 それに触れたくない。それが全て抜けたら目の前に横たわっている父が死んでしまう。触れなかったら生き続けるのではないか。ぐるぐると考えが巡るが、視線は否応なく倒れ伏した父の先へと向かう。


 憐れむ様な顔でこちらを見下ろす、硬そうな耳を立てた竜人の男。


 これまで竜人など見たことがなかった。その男が竜人という種類の魔族だとこの時点でヒースは知らない。


 だから分かった。これは夢だ。


 そう気付いた瞬間、ふ、と夢の中の身体から意識が離れ、景色が遠のいていく。待ってくれ、あそこで何があったのか、あの後何があったのかをヒースは知らなければならない。


 忘れてしまったが故に、ジオにあんな顔をさせてしまった。ジェフはいいと言っていた、でもいいと言ってくれたジェフは自分の為に死んでしまった。


 思い出さなければ。


 必死で手を伸ばす。あそこに戻って続きを見るのだ。足掻く。泳ぎ戻ろうと掻くが、どんどん遠のいていく。


 まただ。また出来ない。いつも思い出せるのはここまでだ。繰り返し繰り返し、ここでまた戻る。


 教えて、何で先が見れないの。何故あの竜人の隣にいる人は見えないの。


 もう失いたくないのに、この先に進めない。どんどん後ろに引っ張られ、振り向かせようと誰かがヒースの肩を揺する。


「離して……戻らないと、戻らないと!」

「ヒース!」


 ゴン! と額に何かがぶつかり、ヒースは一気に現実に引き戻された。


「ヒース、落ち着いて、お願い」

「え……?」


 状況がよく分からない。ヒースの上にニアが跨っているのは瞬時に理解した。そして何故か両腕が力一杯ヒースの頭の上に押し付けられている。今ぶつかったのは何だろうか。


挿絵(By みてみん)


 ニアがふう、と息を吐くと、押さえていたヒースの手首を離した。


「起きてるよね? もう大丈夫?」

「……起きてるけど、俺、襲われてる?」


 するとニアの手のひらがぺちんとヒースの額を(はた)いた。どうやら違うらしい。


 ヒースは目をぱちくりさせて尋ねた。


「ごめん、よく分かんないんだけど」


 何故ニアがヒースを押さえつけているのか、何故叩かれたのか。そして何故大丈夫と問われたか。


 すると、逆光のニアがしかめっ面をしながら額を押さえた。


「ヒースが暴れてぶつかった」

「え!?」


 急いで半身を起こすと、ニアが横にぽよんと落ちた。危ない、と思って背中を支える。と同時に、自分の頬を暖かい液体が下に伝って行くのが分かった。


「私はちょっとぶつかっただけだけど、ヒースは大丈夫じゃなさそうよ。ずっとうなされてた」


 どうやら寝ている間にニアに手でもぶつけてしまったらしい。申し訳なさで一杯になった。


「ごめんニア」


 ニアが押さえている部分をそっと上から撫でてみるが、ニアの手があってよく分からない。


「今痛いのは、頭突きした所為だから」

「ゴン! ていったのニアの頭突き?」

「だって手が空いてないから」


 ニアは、ヒースに跨って手首を押さえつけて頭突きをしたのか。相変わらず滅茶苦茶な猪突猛進ぶりだ。


 その事実がヒースを一気に現実に戻した。


「……何やってるの?」


 聞くのは当然だろう。まるっきり訳が分からない。


「だから、ヒースがうなされて暴れてたから」

「押さえつけた?」


 思わずぷ、と笑みが漏れた。ニアの唇が尖るのが薄らだが見える。


「だって、ヒースが泣いてるから」

「え?」


 慌てて頬を確認する。先程垂れたと思った液体は汗ではなく涙だったのか。確かに頬を水滴が流れた感触があったが。


「大丈夫?」


 心配そうに言われても、今は特に何ともない。泣いていた自覚もない以上、どうしようもない。


「何ともないよ」


 まだ若干心臓はばくばくいっているが、これは多分ニアが原因だ。決して夢の所為とは思いたくなかった。


「嫌な夢を見た?」


 心配顔でニアが至近距離で見上げてくる。思わず視線を逸らすと、ニアが両手で両頬を掴んでニアの方に向かせた。手を出されないと分かった途端、これだ。泣かせない程度にはさりげなく触ろうと思っていたヒースからすると、あれ? そういう意味じゃなかったんだけど、である。


 これじゃ異性じゃなくて子供扱いだ。


 余程ヒースが情けない顔をしたのだろう、ニアが苦笑した。絶対に理解はしていないだろうが。


「仕方ないわね」


 寝る前に見たと思ったあの微笑みを惜しげもなく浮かべると、ニアが腰を浮かせてヒースの右頬に軽くキスをした。


 驚きのあまり何も言えなくなりヒースが固まっていると、今度は左頬にキスをされた。


「ええと、『笑顔になあれ』だよね」


 少し照れ臭そうなニアが笑うと、笑い返してあげたかったのに、代わりにヒースの目から次から次へと涙が溢れ始めた。


「え? ヒース? ど、どうしよう」


 喉も胸も締め付けられて痛い。慌てるニアは可愛くて、でも何で涙が出ているのかもその止め方もヒースには分からなかった。


 嗚咽が漏れる。


「ヒース? え、どうしよう? どうしたらいい?」


 ニアが慌てる。何も言えないヒースは、ニアの肩を掴み肩に顔を(うず)めた。困らせたくはない、ならせめて見せない様に。


 ずっとずっと欲していたものが、いきなり目の前に現れた。だから驚いたに違いない。


 困った様に、遠慮がちに頭を撫でるニアの手はただひたすら優しかった。

次話は明日投稿します!

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