ウォーターベッド
厠から出てきたニアは、状況がよく掴めないのだろう、不思議そうな表情を浮かべていた。
カイラは足にしがみついたクリフを抱き抱えた後は、顔を埋めてしまっている。ニアにもカイラの声は聞こえていた筈だ。後で部屋に戻ったら説明しようとヒースは思った。
「ニア、俺も厠に行ってくるからカイラの傍にいて」
「う、うん分かった」
先程の獣人はもう近くにはいないだろう。獣人の身体能力は高い。獣人の種類にもよるが、跳躍力もかなりある。何をしにここまで来たのかは分からないが、見慣れぬ奴らがいる、とこちらの様子を窺っていただけかもしれない。
なるべく急いで用を済ませたヒースは、ようやく埋めた顔を上げてヒースが来るのを待っていたカイラに声を掛けた。
「カイラ、この話は他の人には」
「今はまだ、控えてくれるかい?」
「分かった」
先程の獣人が斥候という可能性があるのではないかとも思ったが、カイラの動揺ぶりを見ていたらそんなことは言えなかった。
「ハンには、明日には話すから」
絞り出す様に言うと、悲しそうな表情を浮かべつつ家に戻り始めた。
連れ立って玄関まで戻ると、ジオが外で待っていた。不安げなその表情に、ヒースは急いで笑顔を作ってみせ駆け寄る。
「どうしたのジオ」
「いや、何となくよ、お前の様子がおかしいからよ」
「俺?」
カイラの声が聞こえたから出て来た訳ではないらしい。確かに家の前にいるとガヤガヤと中から騒がしい男達の声がしてうるさい。これなら少し離れた場所にいたカイラの声は聞こえなくても当然かもしれなかった。
ヒースはそのまま笑顔で首を傾げる。
「そうか? 俺、普通だぞ」
だがジオは笑わなかった。眉間に皺を寄せ、ヒースの目の更に奥を見るかの様な目つきでじっとヒースを見つめてくる。居心地が悪くて仕方がない。ジオは、カーッとなってポカスカ叩いてくる位が実は丁度いいことに気が付いた。
「お前、何か隠してねえか」
「え」
見透かす様なその表情に、ヒースは思ったよりも動揺してしまった。別に隠しているつもりはない、ただ覚えていないから言えないだけなのだが、そんなヒースの心の内も見えているかの様なその言葉は確かにヒースの心を揺さぶった。
横に並ぶニアが、窺う様にヒースを見上げるのが分かった。
「隠して、ない」
「……目が泳いでるぞ」
ジオが目を細めた。自分のことでジオから笑顔を奪いたくない。だってこんなことを言ったらジオは絶対凹む。でも今もやり切れない顔をしている。
どうしたらいいか、分からなくなった。
すると、ニアが助け舟を出してくれた。
「ジオ、ヒースは昨日よく寝れなかったみたいよ? 疲れてるんだと思うな」
そっと背中に触れる細い小さな手の感触は、小さい筈なのにヒースには物凄く大きな物に感じられた。大丈夫、そう言われてる気がした。
ヒースの顔に、本物の笑顔が浮かんだ。
「あのハンモックってやつ、俺には合わなかったみたいでさ。上にクリフも乗ってたし、この俺が早起きしたからな!」
「おう? まあ確かにお前の方が先に起きてたな……」
ニアもにこやかに言う。
「だからカイラが今日はクリフと寝てくれるんだって」
するとジオがブフォッと吹き出してからヒースに詰め寄った。
「お、お前そうするとニアと同じ部屋で寝る気か!?」
「そうだけど」
そういえば部屋は空っぽで寝具らしい物は何もなかった。ごろ寝するのだろうか?
「あいつら完全にお前らの仲を勘違いしてるぞ!」
「いや、その方が安全かと思って。だからジオも黙ってたんじゃないのか?」
「そうだけどよ、俺はてっきりクリフも一緒かと!」
ジオは真っ赤になってワタワタしている。余程信用がないのか。
「何もしないよ。それにジオんちでだって俺達同じ部屋に寝てただろ」
「そうだけど! 寝具が問題なんだよ! さっき用意されたのを見てよ、俺は感動してたんだがそんな場合じゃなかったんだよ!」
意味が分からない。ごろ寝するなら端と端に寄って寝れば問題ないと思ったのだが。ヒースが首を傾げていると、カイラがああ、といった顔で話し始めた。
「ヒースはまだあれを見てなかったんだね。ナスコの奴は水魔法が得意でね、睡眠の質は戦闘の質に直結するという持論の元、旅先ではあれをよく用意するんだ。さすがに谷底ではあれは無理だろうけど、ここなら設置も簡単だからね」
「あれ?」
「凄えぞ」
ジオが真剣な表情で頷いてみせたので、ヒースとニアは顔を見合わせながらも家の中に入り、自分達に充てがわれた部屋へと向かった。男達は片付けもほぼ済んだのだろう、居間には二人いるだけだ。カイラ曰く、彼らは寝ずの番をするとのことだった。
部屋に入ると、先程まではなかった物が部屋のど真ん中に設置されていた。窓から差し込む月明かりを反射してキラキラと光るそれは、水で出来たベッドだった。二人が横になって寝れる程大きく、ほぼ正方形だ。
つん、と指で触れてみると、表面は分厚い布の様な感触だ。思わず笑みが溢れ、ヒースはそっとその上に腰掛ける。何と水の上に座っているではないか。
ジオを満面の笑みで見上げた。
「ジオ! 凄いなこれ!」
「だろう? じゃねえ! あのナスコって奴、間に受けて二人用のベッド作っちまってよ」
「ジオのは一人用なのか?」
ジオが頷いた。
「この半分位の幅のやつだな。俺はハンと同室だ。じゃねえよ! そうじゃねえんだ、俺はよ、クリフもいるからまあいいかって思って何も言わなかったんだよ!」
分かった。ジオは、クリフがいないと二人きりになるヒースがニアに何かするのではないか、と心配なのだろう。ジオの家での様に離れて寝るならともかく、これでは離れて寝ようがない。
さてどう言えばいいか。正直今日は本当に疲れているし、ゆっくり寝たい。それを心配性のジオにどう説明したら納得するだろうか。
すると、驚くべきことにニアが再び助け舟を出してくれた。
「ジオ、大丈夫よ。ヒースはね、私が泣くのは嫌なんだって」
「お?」
ジオがニアとヒースを見比べて目をぱちくりさせている。いつの間にそんな話をしたんだ、そうとでも思っているのだろう。ヒースは深く頷いてみせた。
「ニアは泣かせないから、大丈夫」
「おいヒース……」
今無理矢理ニアに手を出したりしたら、ニアは確実に泣く。そんなことはヒースには出来なかった。だから大丈夫だ。
ニアがヒースに傾いてくれるまでは、手は出さないつもりだ。そんなことを口にしたらまたポカリとされそうなので言うのは控えたが、いいと言うものまで断るつもりはヒースにはない。何より興味があった。是非色んな経験をいずれはしたい。その為には土台作りは重要だろう。建築でも何でも土台は命だ。
「約束する。それに単純に今日は疲れて本当に眠いし」
「ジオ、何かされそうになったら大声出すから」
ニアが笑った。カイラがぽん、とジオの肩を叩くと、ジオは渋々頷いた。
「まあ、ニアがそう言うなら」
「少しは弟子のことも信用してよ」
ヒースが口を尖らせると、カイラがうとうとし始めたクリフをぎゅっとしつつ笑顔を見せた。
「そりゃそうだ。ほらジオ、うちらもさっさと寝よう。明日も早いよ」
「う……ヒース、信用してるからな!」
しつこい。しつこいがポカリとされたくはないので無言で頷くに留めた。
不安げな表情のまま、扉が閉められる。振り向くと、ニアが静かに微笑んでいた。
「ヒースが守ってくれようとしてるの、よく分かったから。ありがとう」
ニアが言った。
次話は明日投稿します!




