蒼鉱石
ジリジリと差す太陽の熱がやや和らいできた頃、一行はようやく谷が作る影に入ることが出来た。そびえる岸壁の根元には、こじんまりとした家屋が確認出来た。ハンはそれを指差す。
「あれが拐われた鍛冶屋の家だよ」
「何であんな谷の入り口に住んだんだ?」
谷の奥には獣人族が住んでいるのが分かっている筈なのに、あえてあの場所に住もうと思う気がしれない。比較的大人しい獣人族とはいえ、谷を出てすぐに人間の住処があったらどうしたって気にはなるだろうに。
するとジオが言った。
「この谷は、採れるんだよ」
「採れる? 何が?」
「蒼鉱石だ。森で採れる金属よりも固い。その分取り扱いも大変だし一本鍛えるのに時間もかかるが、魔石を使わなくても蒼鉱石自体に魔力が含まれているから魔族も傷つけることが出来るんだ」
「へえ。どんな属性が付くんだ?」
魔石以外にもそんな効果を持つものがこっちの世界にもある様だが、ヒースは初耳だった。
「属性はねえ。ただ、使用者の能力値を底上げする」
「属性がないのに魔力があるのか? そんなこともあるんだ」
これまでのジオ、もといハンの説明では魔剣は属性ありきだった筈だが、どうやら他の種類もあるようだ。するとハンが教えてくれた。
「ジオが言った様に、一本鍛えるのにかなり時間がかかるから殆ど流通してないんだよ。魔力は帯びているけど、体力やら筋肉量を一時的に底上げしてくれるだけさ。更に属性を付けることも出来るは出来る様だけど、そこまでやった物は今までお目にかかったことがないなあ」
「ああそれはな、下手に魔力の上に属性をつけようとすると弾くんだよ」
ジオが言った。ハンは知らなかったのだろう、驚いた顔をしている。武器商人でも知らないことはあるらしい。
「弾く? 何だそりゃ、俺はそんなの聞いたことないぞ」
「上手くいく時もあるようだけどな、失敗することの方が圧倒的に多いらしいな。折角時間をかけて鍛えた魔剣が粉々に砕けるのは誰だって避けたいからよ、だからまあ一般的に蒼鉱石の魔剣には属性は付けない」
「成程なあ」
ハンが感心した様に頷いている間に、家屋の前に到着した。平家だがそこそこ大きい。裏手にある柵の中には、馬が数頭放されていた。
「ナスコ達は着いている様だな」
他の男達がいる、そう聞いてヒースは咄嗟に隣を歩くニアの手を掴んだ。ニアがびくっとしたのが分かったので、耳元に口を近付ける。
「ハンの仲間だから大丈夫だとは思うけど、安全だと分かるまでは俺から離れなるなよ」
「え、でもハンの仲間でしょう? 大丈夫なんじゃないの?」
「念の為だから」
「でも……」
ハンには悪いが、実際に為人を確認して安心だと分かるまでは信用出来ない。ハンの仲間をやっている位だ、何かしらちゃんとした大義はあるのだろうが、だからと言って久々に見る若い女につい手を出そうとしてしまわないとも限らない。そうなってしまった時に、ヒースはハンごと許せなくなってしまうだろう。だがヒースはハンが好きだ、だからその事態はヒースの為にもニアの為にも絶対避けなければならなかった。
なのでニアに言った。
「俺の為だと思って、頼む」
「ひっえっそのっ」
「どうしたの? 大丈夫?」
辺りは日陰な所為もあり夕方な所為もあり、ニアの顔色まではよく見えない。だが目を伏せてしまったので、多分赤くなってしまっていることは予想がついた。手を繋ぐのは恥ずかしいのかもしれない。でもこれは安全が確認出来るまでは離す気はなかった。
「とにかく一人で行動しないこと。分かったな?」
「あ、う、うん」
ヒースの反対の手はクリフを支えているのでこれで両手が塞がってしまったが、腕の筋肉を鍛える意味では抱っこし続けるのは効果ありかもしれない。筋肉といえば、先程ハンが言っていたことが気になっていた。蒼鉱石で作られた魔剣の効果についてだ。確かにハンは言っていた。筋肉量を一時的にだが底上げする、と。
ちらりと横目でニアを見る。ニアは腕と胸にもう少し筋肉があるのが好みだと言っていた。ということは、その魔剣を手に入れることが出来たら持っている間はもっとムキムキになるのではないだろうか。ニアの目をジオから逸らすには筋肉の増加が必須だろうが、そう簡単に増えるものでもない。少しずつ増やしていく間に、瞬間でも増やせるなら是非ともその魔剣は欲しかった。
「おーいナスコ、入るぞ」
ドンドン、と玄関の扉をハンが叩くと、中から扉がギイ、と音を立てて開いた。
「早かったな、ハン」
扉の奥から顔を覗かせたのは、見事に禿げ上がった渋い顔をした男性だった。年は見た目はハンよりは少し年上だろうか。中肉中背、頭以外は特に目立った特徴がない男だ。この男が馬を手配したというナスコだろう。
ナスコはじろりとヒース達を見回し、視線が通り過ぎたところでニアに視線が戻ってきた。ヒースがニアの手を後ろに引っ張り、自分の背後にニアを隠す。ナスコは驚いた様にそれを見ていたが、片眉をくい、と上げてにやりと笑うと何も言わずに家の中に戻って行った。口笛をぴゅい、と吹いたのはどういう意味だろうか。
「ほら、ヒース達も入って入って」
振り返ったハンが、ヒース達の繋がれた手を見て「お」という口をした。照れた様に頭を掻くと、何も言わずにすい、と中へと消えていった。
「あの、ヒース、手」
ナスコにもハンにも意味ありげに見られたので気になってしまったのだろうが、今は安全の確保の方が大事だ。
「中にまだいるだろうから、駄目」
小声で言うと、背後からニアの「ひいいいっ」という小さな声が聞こえた。何と言っても駄目なものは駄目だ。ヒースは一切譲る気はなかった。
「でもヒース、私だってちゃんと戦える。危ない時は自分の身は自分で守れるから」
ニアはそう言うと、腰にぶら下げた剣をポンポンと叩いてみせた。だが違う、そういうことじゃない。ヒースは家の中に聞こえない様に気を配りながら言った。
「ニア、仲間の男に襲われたらニアは躊躇なくそれを使って殺せるか?」
「そ、それは」
「剣を持ってない時は? 力で勝てるか?」
「……」
悪いがどう見てもニアは細くて弱そうだ。実際に剣の腕がどうなのかはまだ知らないが、ヒースですら力でねじ伏せられると思える見た目をしている以上、他の知らない人間がそう思わないことはないだろう。ましてやこれから合流するのは恐らく歴戦の強者達だ。
「俺はハンとは仲違いしたくない。でもニアに手を出す奴がいたら俺は躊躇しないから、だから」
優先順位なのだ。ジオの幸せ、ニアを泣かせないことがヒースの中では上位にある。ハンは好きだが、ニアを泣かせてまで関係は維持出来ない。
ニアは分かってくれたのか、諦めた様にふう、と息を吐いた。
「俺の側から離れないでくれ」
ニアは知らない。知るよしもない。男だらけの世界で春画一枚がどれ程の価値を持つのか。それが本物が目の前に現れてしまった時、男達のタガが外れる可能性がどれだけ高いかを。
ジオにはシオンがいる、そしてニアはアシュリーから託された大事な人だからヒースもニアが大事だ。
でも他の奴らは分からない。カイラがいることを考慮すると大丈夫だとは思うが、それでも誰でもいいと考える奴は必ず一定数いる。奴隷時代、ヒースはそれを嫌という程見てきた。
「……分かった」
ポツリとニアが返答した。
次話は明日投稿します!




