説明完了
どうにかこうにか。なのに。
井戸の前に突っ立っているハンが手に持っていた桶を落とすと、滑車がカラカラと回って井戸の底にパシャンと音を立てて落ちた。
「え?」
不思議そうに交互にヒースとニアを見比べている。ヒースが笑顔になった。
「ハン、着いたんだ!」
「あの人が?」
そういえばニアはハンにまだ会ったことがなかったのだった。ヒースがニアに笑って頷いてみせると、ニアがぺこりとハンに向かってお辞儀をした。
「初めまして、ニアです」
「あ、ハンです……ってヒース! この子誰だよ!」
「ニアは妖精族で、俺の弓に属性を付けてくれた人」
「あ! お前髪の毛短くなってるし!」
「あ、これはニアに切られて、それでジオが整えてくれて」
「髪にニアちゃん? の髪付いてるじゃないか! ちょっと待て、何がどうなってる!? 俺は聞いてないぞ!」
「だってあれから会ってないだろ」
「ほんの数日じゃないか! 何があったんだ! 気になる!」
興奮気味のハンが畳み掛ける様に尋ねてきた。
「しかも今! 肩に手を乗せてなかったか!?」
「ハン、説明するから落ち着いて」
「しかも距離やけに近くないか!?」
「ハンってば」
「うおおおっ青春だ青春! 羨まし過ぎる!」
すると、話し声が聞こえたからか、表の方から「ヒースー!」とクリフが叫びながら突進してきた。後ろから激突される前にさっとクリフに向き直り勢いのまま抱き上げる。ひょっこりと家の影からカイラが顔を覗かせていた。
クリフが無邪気にハンを指差す。
「あっハンだ!」
顎が外れるのではないかという位大きな口を開けたハンは、三人を見比べると叫んだ。
「俺は何を見せられてるんだ!? なんでヒースに子供が!? 俺は何年旅をしてたんだ!?」
「ハン、落ち着いて」
「俺は記憶喪失なのか!」
「ハンってば」
「そうだ、ジオは!?」
「中にいるよ」
「ジオに説明を求め……いやあいつはしない!」
そういうところは冷静なままだ。可笑しくなってヒースが笑い始めると、相変わらずハンは明るいな、と思い更に可笑しくなり、ヒースは久々に腹を抱えて笑ったのだった。
◇
暫くして冷静さを取り戻したハンとついでにクリフを追ってこちらまでやってきたカイラに一緒に一から説明をすると、ようやくハンはほっとした顔をした。
「俺はてっきり知らない間に数年経ったのかと思っちゃったよ」
「馬鹿だねえ」
カイラが苦笑する。
「だってまさかクリフが子供の姿になってるなんて思わないし」
百聞は一見に如かずである。ヒースは説明する前にクリフに鹿の姿になってもらった。ついでにニアにも羽根を出してもらうと、その後の話はすんなり出来た。カイラが知らなかった部分はハンが説明し、ハンが知らなかった部分はヒースとニアとで説明したことで、ようやく二人共全体像が見えたらしかった。ニアにジオの恋バナを説明してもらわなくて良くなり、正直ほっとしてしまった。
「ということで、ジオがちゃんと言えないと接点が閉じてもうシオンをこっちに連れて来る機会がなくなるかもしれないから、俺がジオを見張ることにしたんだ」
ヒースがキッパリと言うと、ハンが深々と何度も繰り返ししつこい位頷いた。
「ヒースの判断は正しい!」
やはりハンもそう思うのだ。同意者がいてヒースは正直嬉しくなった。不安でなかった訳ではないので。
「ヒースはあれだな、ちゃーんと冷静に物事を見て判断出来るな。自分の周りのことでも俯瞰して見れてる。これは結構貴重なんだぞ」
ハンは基本的にヒースのことはベタ褒めだが、今回は真面目に言っているのは何となく分かった。
「俯瞰て何?」
「あー、一歩引いて周りの状況を見られるってことかな?」
するとニアも頷いた。
「全体像を見れる人間は組織には結構重要なのよ。誰と誰が仲がいいとか悪いとか、戦闘になった時に誰が突っ走りやすくて誰が口だけとか」
「ニア、随分具体的だけど」
ヒースが尋ねると、ニアがそれはそれは嫌そうな顔をした。
「目の前のことしか見れない様な人の前にはそういう人が集まるのよね。アシュリー様の苦労ったらもうそれは大変で」
誰のことを言っているのかそれですぐに分かった。アシュリーの父、現妖精王のことだろう。
どちらかというとニアも目の前のことに突き進むタイプじゃないかと言おうとしたが、後が怖いのでやめておくことにした。それに俯瞰して見られるニアよりも、目の前のことに夢中になるニアの方がニアらしくて可愛いに違いない。多分。
「成程なあ、状況はよく理解した! てことは獣人族の所にはニアちゃんとクリフも追加ってことか」
ハンがうんうんと頷くと、カイラが胡座の上のクリフの頭を撫でながら尋ねた。クリフはすっかりカイラに懐いてしまった。
「ナスコ達とはどこで待ち合わせなんだい?」
「谷の入り口だ。あいつらが馬をかき集めて来て、全員揃ったところで奥へ進むことになってる」
知らない名前が出て来たが、話の流れから馬の手配をしてくれている人だと分かったのでヒースは静かに聞くことにした。
ハンが指を折り数える。
「人数が増えたなあ。馬足りないかも…」
「クリフがヒース乗せる!」
「私は飛べるし」
ニアがさらっというが、ニアだけ一人には出来ない。ヒースはすぐさま言った。
「ニアは俺とクリフに乗る。いけるよな? クリフ」
「クリフ強いもん!」
「よおし偉いぞー」
「ヒース大好きー!」
クリフがヒースの首に飛びついてきたので、ヒースはクリフを抱き締めた。するとカイラが少し寂しそうな顔をしたのでまたすぐに貸し出そうかと思った。
「ヒース達はいつ着いたんだ?」
「昨日の夕方」
「じゃあ休めているな。俺も久々に風呂に入りたいから、風呂入って飯食ったら出発するかあ」
ハンが伸びをしながら言った。
「あ」
「うん? 何だ?」
ヒースは一つ気になって、だけどそれを聞いてもいいのかどうかが分からなくなり、先を続けられなくなった。
ハンがにこりと微笑む。
「何だ、言ってみろ」
「あのさ……ええと」
そういえば初恋の人の話はハンが言うまで聞くなと言われたのを思い出したが、もう今更遅い。ヒースは焦った。どうしよう、人の悲しい顔は見たくない。特にハンのは、今までそんな顔を見たことがないから余計に。
「いいから言ってみろ、怒らないから」
覗き込む様にされて、今となってはハンが語った以上にハンのことを知った上でこんなに優しく言われてしまい、ええいもう仕方ない、とヒースは覚悟を決めた。後で謝ろう。
「お墓参り、はしなくていいのか?」
ハンの表情が一瞬固まった。ああやってしまった、どうしよう。ヒースは思わず唾をごくりと呑み込んだ。
すると、ふ、とハンが笑った。
「……そうだ、それがあったな。ヒース、思い出させてくれてありがとうな」
カイラも笑顔になると、ヨイショと立ち上がる。
「そういえば私も墓参りはさぼってたな。いいこと言ったねヒース。私からもありがとうだよ」
ハンも笑顔で立ち上がると、伸びをした。
「じゃあ順番にやってくか! あ、そうしたらヒース達には花を積んでおいてもらおうかな? いいか?」
「分かったわ、この辺りはいっぱい生えてるし、任せて」
ニアがにっこりと請け負った。「じゃあ後で」とハンとカイラが家の方に消えていく。その姿を見送ったニアが、くるりとヒースの方に向いた。
何も言えずただ止まっていたヒースの頭にぽんと手を乗せ、撫でて言った。
「いいこいいこ」
優しく微笑むニアに対しても、何も言うことが出来なかった。
次話は明日投稿します!




