好みを知るのは重要なこと
主人公ヒースは直球です。
ニアの禁断の果実を服越しではあるが肌で感じ取り、ヒースの憂いは晴れた。今朝まで悶々としていた事実が嘘のようだ。
ニヤニヤと何かを想像しているカイラはクロとは違い何も聞いてこなかった。正直ありがたい。
起き上がったニアは、ヒースが立ち上がると頭から背中までパンパンと砂を叩いて落としてくれた。ちょっとこそばゆいが悪い気分はしない。何だか小さな子供になった気分だ。後頭部に手が触れ、確認する様に撫で始めた。何をしているのだろうか。
「コブはないようね」
「そう? よかった」
頭をぶつけたとニアに言ったことを思い出した。あれは正真正銘の嘘だ。咄嗟に頭は庇ったので、背中は痛いがその衝撃ももうとっくに消えている。ヒースのすぐ後ろに立ってまだパタパタとあちこちを叩いてくれているニアを振り返って見下ろすと、すぐ近くにニアの真剣な顔があった。思わぬ近さに心臓が飛び跳ね、ヒースは純粋に驚いた。心臓が壊れたかと思った。ヒースが余程変な顔をしていたのだろう、ニアが首を傾げる。
「……大丈夫?」
「あ、う、うん」
笑ったら安心するかな、そう思って笑いかけてみた。するとニアの顔にも笑みが浮かんで、心臓のあたりがぎゅっとなった。何だ何だこれは。さっきから身体がおかしい。どういうことだろうか。ニアの紺色の宝石みたいなキラキラした瞳から目が離せなくなっていたが、ふと視線を感じてそちらを見ると、家の前でニヤニヤとしながらクロがこっちを見ていた。
「お前らやっぱり怪しいなあ」
「あら何、夫婦じゃなかったのかい? 確かにこの子は大きいから親子じゃないのかなとは思ったけどねえ」
「ふっ夫婦じゃないしっ!」
ニアが真っ赤になってぱっとヒースから距離を置いた。温もりが離れて行ってしまったようで、急に寂しくなった。でもからかわれているニアは照れてはいるが特別嫌そうではない。
ヒースははっと気が付いた。そうだ、ジオが気になってしまうのはあの筋肉の所為なのだ、きっと。妖精族の男は魔力が強い程体つきが立派だと言っていたから、どうしてもそういう風に見えてしまうのだろう。だがヒースだって筋肉がない方ではない。むしろジオの元に来てから、かなり増えた。ということは、ニアの目をジオから逸らすのには、ヒースがもっともっと筋肉を付ければいいのではないだろうか。そうしたらヒースは妖精族にもてる様になるかもしれないし、それにニアをこちらに向かせられればジオへの助けにもなる。次第にニアの目線がもっともっともっとヒースに向く様になれば、偶然を装わなくてもまた禁断の果実に触れることが出来るかも知れないじゃないか。
「――よし!」
身体を鍛えるという目標が出来た。とにかくニアが泣かない為にはジオを見なければいいだけなのだ。何でそんな単純なことに気付かなかったのか、自分の阿呆さ加減に少し呆れる。ニアが泣きそうになったら、ジオが優しくする前にヒースが優しく慰めればいいのだ。そうしたら、ヒースの脳裏に浮かぶニアの顔は泣き顔から笑顔に変わるに違いないから。
「何がよし、なのよ」
まだ少し顔を火照らせたままニアが聞いてきたので、ヒースは出来得る限りの最高の笑顔で言った。
「何でもない。ニア、叩いてくれてありがとうな」
「あ、う、うん」
「水汲み、一緒に行こうよ」
「あ、う、うんそうね」
さり気なくニアの肩に手を起き、井戸へと向かった。井戸は家の裏手にある。背後にクロ達の視線を感じたがここは気付かないふりをしよう。そしてニアにもわざわざ気付かせたくはない。
「なあニア」
ニアの肩に手を乗せたまま、ヒースは話しかけた。こうすると少し距離が近いまま歩けることに気が付いたので、ジオの目が光ってない時は今後こうしていこうと思った。触るなと散々言われたが、こうでもしないとニアは逃げていってしまう。
「な、なにヒース」
ニアは目を伏せているが時折ちらちらとこちらを見ている。あ、何だかその仕草は可愛いかもしれない。
「俺に筋肉あった方がニアはいいと思う?」
一応確認だ。鍛えてむきむきになった後、これは好みじゃないと言われても困ってしまう。
「はい?」
何言ってんだこいつという顔で思い切り聞き返されたが、ヒースはもう一度尋ねることにした。重要なことだからだ。勿論肩に置いた手は離さない。井戸まで少し距離があるので、出来るだけゆっくり歩いた。どうせハンが来るまでは待機だ、時間はある。
「だから、俺が筋肉をもっと付けたらニアは俺を格好いいなって思うかってことを聞いてるんだ」
「かっひっヒースを!?」
「そう、俺のことを」
ニアの顔が真っ赤になり、耳まで赤くなって可愛い。
「あ! ヒースってば夫婦ってからかわれたから冗談でそんなこと言ってるんでしょ!」
「冗談じゃないよ」
夫婦と言われたのは別に全く問題なかった。あまり実感が湧かないということもあったが、クロにアシュリーに対する気持ちは憧れだと言われてからは何かがストンとはまった感じがした。アシュリーは憧れのぷるぷる、でもニアは目の前に実在する女の子だ。そして小ぶりではあったが物凄く、物凄く柔らかかった。
「ばっなっひっっ」
「何言ってるか分からないよニア」
これ以上はならないだろうという位赤くなってしまったニア。その瞳は泳ぎまくっていて、視線が合わない。
「ねえ、どう? 格好いいって思うならちょっと頑張ってみようかと思うんだけど」
「ど、どうして」
顔を背けてしまうので、ヒースはニアの肩に乗っていた手で反対を向いてしまった頬を持って自分の方に向けた。どうかジオに見られませんように。そして頬はやはりふにふにだった。
ニアと目がようやく合ったので、ヒースは思っていたことをちゃんと伝えることにした。ジオにああだこうだ言っても自分が出来ないのじゃ意味がない。ここはヒースがきちんと出来ることを証明すべきだろう。
「俺はニアが泣かなくていい様にしていきたいんだ」
まだ泳ごうとしていたニアの目が定まった。
「ニアが泣くとこの辺りがキュッとなるんだ」
ヒースは自分のみぞおちの辺りを反対の手で押さえた。
「ニアが俺をいっぱい見てくれる様になったら、泣かないで笑ってくれるかなって思ったんだ」
「ヒース……」
「俺さ、それでもニアが悲しくなったら、ちゃんと慰めてまた笑える様にしたいんだ。それでも泣くなら、せめて俺がニアの隣にいて前みたいに俺で涙を拭けばいいと思うんだ」
そうしたらヒースはニアの泣き顔は見なくて済むから。
ヒースはにっこりと笑いかけた。ヒースを見上げるニアは少し首が痛そうだった。
「だからどれ位鍛えたらニアはいいと思う?」
最重要案件である。足りなくても駄目だろうし多過ぎても駄目だろうから。ヒースが真剣な顔でニアの答えを至近距離で待っていると、それまで固かったニアの表情が和らぎ、ぷっと笑った。
「ヒースってば」
「ねえ、教えてよ。俺結構本気で頑張る気なんだからさ。どこはがっちりがいいとかあるだろ?」
「そうだな、腕はもう少し太い方が好みかな。あとは胸の筋肉かな」
くす、とニアが笑うその顔が眩しかった。ヒースもつられて笑うと言った。
「分かった。そしたら頑張るから、泣きたくなったら俺の所にすぐ来いよ。な?」
「……ありがとう、ヒース」
ニアの好みもこれで分かったのでひとまずは安心し、改めて井戸を見ると人影がある。
口をあんぐりと開けてこちらを見ているハンが、そこにいた。
次話は明日投稿します!




