嘘
ヒース達はそれぞれ一つずつ部屋をあてがわれた。今夜はハンにヒース達の到着を知らせるのでカルはいなくなるとのことだったが、念の為ヒースとクリフは同じ部屋だ。ハンには鹿にも手を出さない様に命令しておいてもらうそうなので、次に会う時には襲われる危険はなくなってると思いたい。
部屋ひとつひとつは狭かったが、それぞれに分厚い布を張ったハンモックがあった。干し草のベッドもいいが、ハンモックは未体験だったのでヒースはここで寝るのが楽しみになった。
「この後畑に野菜を採りに行くから、ヒー……ジオ、お前が荷物運びだ。ついて来い」
「おう? まあいいけど今ヒースって言いかけ……」
「間違えただけだよ。ヒースとニアは井戸の水を汲んでおくこと。いいな?」
「分かった」
「任せて!」
ヒースだけを連れて行くと、どうしてもニアとジオが二人きりになってしまう。クロはそれを避けようとしたのだろう。来て早々気を使わせてしまって悪いようだが、こればっかりはヒースもさすがにジオには言えない。言える訳がない。
「じゃあ一旦荷物を置いたらちゃっちゃと動けよ、もうすぐ暗くなるぞ」
クロはそう言い残すと居間の方へ戻って行った。ジオはここに泊まるのは初めてではないのだろう、慣れた様子でさっさと荷物を置くと急いでクロの後を追った。表情が明るかったので、あれこれ積もる話を話したいのかもしれない。
ヒースも荷物を置くと、クリフと一緒に廊下でニアが出てくるのを待つ。話すなら今だろうか。正直気が重いが釘は早めに刺しておきたかった。このまま気を遣って進む道中などうんざりだった。それに動きづらい。ジオとニアを二人きりに出来ないと作戦も立てにくいし行動もしにくいし、ハンの仲間には勿論男がいる筈だ。どんな人物か分からない以上、信用出来得ると確証が出来るまでは、ジオかヒースかどちらかがニアと常に居るべきだと思った。ニアに何かあってからでは遅いから。
だが、森の中のあの場所にニアを置いていく選択肢はなかった。であれば、嫌だろうがハン達と合流する前にニアと話をするしかない。それがニアの安全の為ならば。
カチャ、とニアの部屋の戸が開いてニアがひょっこりと顔を出した。
「お待たせ、さあ働きましょうか」
半袖を腕まくりする仕草をして笑いかけてくるニアの笑顔には曇りはない。だが、ヒースは声が出なかった。するとニアが怪訝そうな顔をする。
「どうしたのヒース? もしやまださっきの鳥の影響が残ってる?」
そう言うと、また何でもないかの様にヒースの額に手を当てた。ニアの手はひんやりとしていて気持ちよく、つい目を閉じてそれを感じたくなった。
だからヒースは嘘をついた。
「うん、まだそうみたいだ」
目を閉じたまま、額に触れるニアの手を上から押さえた。ニアがはっと息を呑む音がして、手を引っ込めようとするのでそれを掴んで阻止した。
言いたくない、離したくない、言ったらまたきっと泣く。
泣いたらまたおまじないをしてもいいだろうか? ニアは怒らないだろうか? 目を開けないでこのまま言おうか。でもそうしたらニアが納得したかどうか判別つかないかもしれない。
「ヒース、あの、その」
困った声が聞こえてきて、その振動が額を通して伝わってきた。
「ちょっと、は、離してくれる?」
またぐい、と引っ張る。ヒースはニアの手をぎゅっと握ると、額から剥がして下げた。手は握ったままだ。逃げられない様に。
開けた目に入ってきたのは、心配しているのか混乱しているのか、焦った顔のニアだった。ジオには触る癖に。ヒースにもこうやって何でもない様に触って、でも同じことをしようとすると逃げる。
「ニアは勝手だ」
つい唇が尖ってしまった。違う、そういうことを言いたかったのではない。だが止まらなかった。
「ニアはジオにも俺にも触ってくる癖に、俺が触るとすぐ逃げる」
「あ……ごめん、つい心配で……」
「前にジオが言ったよな? 男に簡単に触るなって」
ニアが目線を落とした。
「うん……そう、でした。ごめん、二人共優しいからつい忘れちゃって。今度こそ気を付ける!」
顔を上げたニアが笑顔を作ってみせた。でも今のヒースはそれにつられなかった。
「ニア、ジオは駄目だ」
「え? あ、うん。勿論ジオにもちゃんとするから」
ニアの笑顔が引き攣る。ちゃんと伝わらなかったらしい。はっきり言うしかなかった。
「ニア、ジオにはシオンがいる。ニアが入る隙間はない」
「へ? な、何言ってんのよ、意味分からないんだけど」
ニアの顔から笑顔が消えた。少し怒った様な顔は、強気なニアの性格を表している様だった。
「ニア、ジオを困らせないでくれ」
「……!」
「俺はジオに感謝してるんだ。だから頼む、ジオに気付かせないでくれ。お願いだ」
ジオは鈍感だ。しかもかなりの奥手だ。人のことを世間知らずとか色々思っている風だが、ヒースは男だらけではあったがずっと他の人間とずっと接してきた。だから多分、周りの人間の心の動きにはずっと一人でいたジオよりも気付き易いのだと思う。
ヒースはすぐ目の前にいて手を掴まれて逃げられなくなっているニアを見下ろした。紺色の宝石みたいな瞳が所在なさげに揺れている。驚いた様なその瞳に涙は見えない。ヒースは、ふと思った。
「……自分の気持ちも分かってなかったのか?」
「ヒースが何を言ってるのか、分からない」
今度はヒースを睨みつけてくる。恐らく気付いていなかったのだ。だけど今ヒースの言葉で気が付いた。気付かされたのだ。
ヒースの足元でクリフが座り込んで欠伸をした。
「違うっていうならそれでいい。だったらジオに勘違いさせる様な態度は取らないでくれ」
「触ったことを言ってるなら、もうやらないって言ったでしょ」
「じゃあ約束してくれ、ニア」
「何をよ」
顔が段々怒ってきた。
「ジオは諦めてくれ」
「ヒースの思い違いよ、私はそんなこと思ってない」
そう言わされてるのだ。目の前のヒースによって。こんなこと頼めた義理じゃない。人の恋心なんて制御出来るものでもないと聞く。だけど言わずにはいられなかった。
「約束してくれ、ジオを好きにならないって」
「なってないしならないわよ! しつこいわね」
「どうしても我慢出来なくなった時は、俺のこと殴っても噛み付いてもいいから」
「はあ? 何で私がヒースにそんなこと」
睨みつけながらも笑ったニアの顔を直視出来なかった。酷いことを言っているのは分かる。こんなのはヒースの勝手な願いだ。それをニアに押し付けようとしているのも分かっている。
「全部俺の所為にしていいから、だからお願いだ」
ニアの手を離した。
「何でもないふりをしてくれ。気付かなかったことにしてくれ。全部俺が悪いから、俺を好きに使っていいから」
ニアがヒースを見上げた。
「ジオを幸せにしてやりたいんだ」
暫くニアは無言だった。目は直接見えないが、口が開いては何かを言おうとしてまた閉じるを繰り返しているのが見えた。唾を呑み込む細い首。そして、ニアの口の端がゆっくりと上った。一所懸命上げたのが分かった。罪悪感がヒースを襲う。
「……大丈夫だよ、ヒース」
急に大人びた声を出した。ようやく目をあわせることが出来ると、ニアはにこっとしてヒースを見ていた。
「約束するから、そんな顔しないで」
「ニア……」
「でも何でもするんだよね? じゃあ早速水汲みを」
「……うん」
話は終わった。痛む心を胸に、ヒースも笑顔を作った。
次話は明日投稿します!




