意地悪
嫌な言い方。
なだらかな下り坂になっている街の中心へと案内を始めたクロは、半ば崩れた土壁や石壁で出来た街の中を進んでいく。ここは元々大通りだったのか、道幅はそれなりに広い。時折横に曲がる細い道があったが、その殆どは土砂や灰色に薄汚れた家財道具で埋もれていた。
「俺一人じゃ街を守ることは出来なくてな。悪いが知らん奴の家が盗難に合うのまでは止められなかった」
「盗難?」
クロの横を、未だに首にしがみついて顔を見せようとしないクリフを抱えながらヒースが尋ねた。クロが眉間に皺を寄せながら頷いてみせた。
「始めの頃さ。始めは襲ってきた魔族が立ち去る際に奪った。次に生き延びた奴らが他所へ行く際に奪った。後は噂を聞いたんだろう、盗賊団も来た。でもそいつらも奪う物がもうないと分かると来なくなった。時折人も魔族も迷い込んでくるが、今となっちゃあそれも殆どない」
クロは崩れかかった白い階段を軽やかに降りる。例の中央教会が段々近付いてきた。上の方にある窓枠からは当時の様子を思い浮かばせる黒い煤が上に向かってこびりついていた。それが雨でだろう、下にも伸びているのが痛々しい。
「ようやく誰も寄り付かなくなった頃、ハンが仲間を連れて訪れる様になった。あいつらは悪い奴らじゃねえ、それは俺にだって分かるがな、ただ復讐心に燃えてやがる」
「ああ、地下に潜っているとかいう」
クロがしかめ面をしたまま頷いた。
「そうだ。よくも悪くも好戦的だからな、俺はだからジオにあいつらを会わせたくなくてジオにここには来るなと言った。そしてハンにもあいつを巻き込むなと。会いたいならお前が会いに行けと言った」
先頭を行く二人の後ろからニア、ジオの順で続いている。後ろのジオには聞こえない程度の小声でクロが言った。
「あいつはお人好しだからな、人のことが放っておけない。一緒に戦おうと誘われたらその内好きな奴の元から離れて戦いに身を投じるんじゃないか、俺はそう思ったんだよ」
「あ、そうか、だからここに来るのは久しぶりだって」
「あいつはお前にゃ言わなかったか。まあそういう奴だ」
ふ、とクロが笑った。その笑顔には、ジオに対する優しさが込められている様に見えた。そう、ジオは人の所為にしない。だからヒースにも言わなかったのだ。クロに街に来るなと言われたとは、言えなかった。多分、口に出しはしなかったが実は来たくて来たくて堪らなかったのだろう。今回はその口実が出来たから堂々と来ることが出来た。それがまた嬉しかったのだろう。先程クロに向かって駆けて行ったジオの後ろ姿を見たら分かった。
つまりヒースのした気遣いは余計なお世話だったということだ。全く分かりにくいことこの上ない。ヒースは思わずくす、と笑ってしまった。
「自分の師匠ながら、本当ジオって不器用だなあ」
「違いねえ」
「都合悪いとすぐぽかすか頭叩くし」
「まあヒースの頭は叩きやすそうではあるな」
「そういう問題?」
クロは話し易かった。どことなく話し方もハンと似てる様な気がするのは先入観の所為だろうか? 会話のテンポが似ているな、そう思ったのだ。
ハンは一人街で墓守りをする弟が何だかんだで心配なのだろう。ちょくちょくクロにも会いに来ているに違いない。何故ならクロからは孤独の匂いがしなかったからだ。何だか温かいものに繋がっているんだろうな、そう思わせる何かがあった。
中央教会が見上げられる程近付くと、クロはその横を通り過ぎ、墓場からは中央教会を挟んだ所に位置する大通りへと入っていった。すると、この通りは先程迄の通りと違って比較的綺麗だった。家屋は崩れてはいるが、木材や石材は一箇所にまとめられ汚らしい感じはしない。
大通りに入ってから少し行くと、クロは脇道にスイ、と入った。この辺りは比較的建物の損傷が少ない様に見える。
後ろを振り返ると、ニアは後ろからついてきていたがジオの足が止まっていた。
「ジオ?」
するとクロがヒースの腕を掴んで引っ張った。
「あいつがいた鍛冶屋があるんだ。少しそっとしておいてやれ」
「ジオはクロの家は」
「知ってる、心配するな。――ジオ、先行ってるぞ!」
ジオは手を軽く上げると、大通りをそのまま進んで行ってしまった。ニアがそれを見て、明らかにどちらについて行こうか迷っている。クロの見立てが間違っていなければ、ジオの為にもニアとジオを二人きりにはしない方がいい。ジオに限って手を出すなんてことはないだろうが、前に裸を見てしまった時の様に偶然ということもあり得る。
ニアには悪いが、ジオにはシオンという心に決めた人がすでにいるのだ。
「ニアは俺とおいで」
ヒースがニアに声をかけたが、ニアの足はジオの方に向かおうとしている。これでは駄目だ。ニアにとってヒースはただのジオの弟子でしかないのだろう。だが、アシュリーからの命令はジオを守ることではない。
「ニア」
「うん?」
こっちを向かない。段々腹が立ってきた。想ったところで無駄なのに。それと同時に、置いていかれた感覚がヒースを襲った。一歩だけニアが先に行ってしまった感覚だ。だから、ちょっと意地悪したくなった。
本当は、こんなこと言いたくはないけれど。
「ニア! アシュリーの命令を忘れたのか? ニアが守るのは俺だろ?」
ニアがびくり、と反応した。効果はあった。あったと同時に後悔の念がヒースに押し寄せた。
ニアは今にも泣き出しそうな顔をしていた。
◇
結局ニアはその後大人しくヒース達の後に従った。ズキズキと心が痛むが、でもこれは仕方がない。だって無理だ、ニアには無理なんだから。
黙り込んでしまったヒースとニアをちらりと見てクロはふう、と息を吐きつつとある家の前で立ち止まった。崩れている家が多い中、目の前の家はきちんと補修されておりどこにも損傷は見られない。
「ここがうちだ。入ってくつろいでくれ」
「ありがとうクロ」
「んにゃ。ハンからハン達が到着するまで世話してくれって頼まれてるからな、遠慮するな」
「え? ハンと連絡取ってるのか?」
一体どうやって連絡を取っているのか。クロが頷くと、家の中に入り窓を開け外に向かってピュイーッと指笛を吹いた。ヒースも窓まで歩み寄ると辺りを見回す。すると目に入ったのは遥か上空を旋回している鳥の姿だった。その鳥が、こちらにゆったりと優雅に降りてくると、窓枠に降り立った。
綺麗な鳥だった。身体全体が輝く様な艶のある青一色。大きさはカラス位だろうか、そこそこ大きいが、頭は華奢で小さな鶏冠がぴょこんと生えており、そこと瞳だけ赤い。くちばしは長く真っ直ぐで生成り色をしている。何という鳥だろうか?
すると、それまでヒースの胸に顔を埋めていたクリフがぴくんと反応しぐりっと鳥に向いた。
「母さんを食べた奴と同じ匂いだ!」
「え?」
ヒースはもう一度ちゃんと鳥を観察してみると、確かにただの鳥ではない様だ。目が異様に赤く光っており、この目はあの日煙に追われて母鹿を襲った魔物の目と同じ輝きだった。
「魔物……!?」
なんで魔物がここに? そんな疑問がヒースの顔に浮かんでいたのだろう、クロが教えてくれた。
「そう、こいつは魔物だ。だけど人は襲わないから安心してくれ」
「やっぱり魔物!? でも人を襲わないって……!」
そんな話聞いたことがない。ヒースが驚いていると。
「こいつはハンの使い魔だ。ハンの命令は絶対だ、だから襲わない」
「使い魔……?」
ヒースはクロを見つめた。
次話は明日投稿します!




