師匠は初心
なんだかおかしい。
拳を胸の前でぎゅっと握り締めて潤んだ目でジオを見つめるニアは、お世辞抜きに可愛かった。
ヒースはまたあの変な感覚に襲われた。何だこの可愛い生き物は、というみぞおちがぎゅっとなるやつである。何とかして泣き止ませたい、でもジオとクロの前でキスなんてした日には生きたまま墓場に埋められるかも知れないから絶対に出来なかった。
「ジオは全然悪くなんかない! 悪いのは街を襲った魔族達じゃないの! ジオはこんなに素晴らしい人なのに!」
ニアがうるうるとジオを見つめながら言うと、ジオの頬がぽっと赤くなった。
「す、素晴らしいってニア、勘弁してくれよ」
「だって本当のことじゃないの!」
ニアがジオの太い腕に手を置いて更に続けた。あ、また触った。
「奴隷だったヒースを匿って弟子にして、いきなりこっちの世界に来た私の面倒だって嫌な顔一つせず引き受けてくれて! シオン様をお守りしようと今だってこうやって……!」
「ニ、ニア、ちょっとおい、落ち着けって」
「ジオはもっと自信を持つべきだと思うわ!」
ニアに至近距離で大きな潤んだ瞳で見上げられつつそんなことを言われたジオは、それこそゆでダコの様に真っ赤になった。その様子をただ見ているヒースにクロがすすすっと寄ってくると、小声で尋ねてきた。
「おい、シオンって奴は確かジオの恋人かなんかだったよな? 今もそうか?」
「そうだよ」
あれが恋人かというと正直ヒースには疑問だったが、想い合っていることに間違いはない。
「じゃあ姉ちゃんはジオの何なんだ?」
「えーと、一応シオンを助ける為と俺を助ける為に妖精界から来たんだけど」
「ジオの方じゃなくてお前さんの方?」
「そうな筈だけど」
「にしちゃあ姉ちゃんの態度はちっとおかしくないか?」
「……やっぱりそう思う?」
「どういう種類かは知らねえが、ありゃあ嫌いじゃない態度だよなあ」
「やっぱり?」
薄々とヒースも感じていたことを、クロがはっきりと口にした。やはりヒースの思い違いではなかった様だ。ニアが実際にジオのことをどう思っているかはさておき、とりあえず見た目にはニアがジオを好いている様に思える。
ジオとニアはまだごちゃごちゃと何か言い合っている。それを横目で見つつ、クロが小声で続けた。
「ヒース、だっけ? お前さんあれじゃあ姉ちゃんをジオに取られちまわねえか?」
「別に俺達そういう関係じゃないんだけど」
「お? そうなのか?」
「そりゃまあ女の子なんてずっと見たことなかったから、ちょっと触ってみたいとかはあるけどさ」
「うんうん、分かる。女ってだけでちょっと気になっちまうよなあ」
「だろ?」
見ている間にジオがじりじりと後ろに下がり始めた。それをニアがあの健気そうな目で追い詰めている。ああなったら暫くは止まらないことを、ヒースは早くも学んでいた。出来れば傍観したままにし、関わり合いになりたくはない。
クロが腕組みをしつつ顎をくいっとして見せた。
「でもなあ、あれをシオンって女が見たら怒るぞ、きっと」
「それはどっちに?」
「そりゃあジオにだよ、当たり前だろうが」
クロが呆れた顔をしたが、ヒースにはその原因がよく分からなかった。
「だってジオは逃げてるじゃないか」
「それでも怒られるのは男の方なんだよ。隙を見せる方が悪いってな」
「何だか奥深そうだな」
「ま、お前さんはこれからだからな、分からなくても仕方ない」
女が絡むと人間関係が複雑になるらしい、ということは何となく理解出来た。
「ただシオン様がシオン様がって姉ちゃんもさっきから言ってるから、別にシオンて奴からジオを奪い取る気はなさそうだけどなあ」
「俺はよく分かんねえ」
ヒースは考えることを放棄した。こればかりはもうさっぱり分からない。女心も分からなければ恋愛の常識も分からない。とにかく経験も知見もなさ過ぎて想像すら出来なかった。
「でもよ、ジオがシオンて奴を助けにいくとか何とか言ってたな? 助けたらジオとシオンはくっつくんだろう? そうしたらあの姉ちゃんあぶれちまうぞ。お前頑張ればあの姉ちゃんとくっつけんじゃねえか?」
「いや、でも俺別にニアとは」
クロがにやりとしてヒースの脇腹を肘で突いてきた。
「なんだお前さん、意中の相手でもいるのか? ん?」
「意中って何?」
「あー、好きな女だよ」
「好き……」
目をつむるといつも脳裏に浮かぶのは、あのふわふわと笑うアシュリーの姿だ。柔らかそうな頬に腕に胸に手を伸ばそうとするが、いつも触る前でその姿が掻き消える。時折ぽんとニアの泣いた顔も現れるが、時折だ。何してるんだろうとか、そういえば今後ろを飛んでるのかなとかそういう風に考えた時に出てくるのがいつも泣き顔だった。
「好き……?」
アシュリーは可愛いと思う。是非とも触ってみたい。出来たらずっと笑いかけていて欲しい。でもそれが好きということなのかどうか、ヒースには分からない。好きか嫌いかと言われたら勿論好きだ。でもそれが男女の好きかどうかと言われても、違いが分からない。
「好きってどういうことだろう?」
思わず首を傾げると、ゴワゴワのクリフの髪に頬が触れた。まだ人見知りしているらしい。
クロがへっと笑った。
「なんだ初恋もまだか。でもまあ周りに女がいないとそうなるのかねえ……」
「いいなと思う女の子はいるよ」
「あの姉ちゃん以外にか? このご時世に」
ヒースは頷いた。
「あの姉ちゃんよりいい女か?」
「うん、可愛い。ぷにぷに」
「おお! そいつは一体どこの誰だ? 可能性あんのか?」
「妖精族の王女様だよ。可能性って何の?」
「いやだからその女のよ……て王女様!?」
クロの顔が呆れたものに変わった。
「お前さんそりゃあさ、好きなんじゃなくて憧れなんじゃねえか? 王女様なんてのは雲の上の人だろう」
「憧れ……」
実際は雲の上の人ではなく泉の向こう側の人だったが、憧れ。成程、しっくりくる言葉かもしれない。
「そうか、『憧れ』か……! クロ、いい言葉知ってるな!」
「うん、お前は馬鹿そうだけど根は良さそうな奴だな」
クロがくしゃっと笑うと、目の下に横皺が入った。その笑い方が余りにもハンそっくりで、ああやはり兄弟なのだとようやくヒースは実感することが出来た。
「おいヒース! ニアを何とかしてくれえっ!」
ジリジリと迫られていたジオが、壁に背をついてとうとうヒースの助けを求めた。やれやれだ。どうもジオは女性に対して強く出ることが出来ないようだった。
ヒースは溜息をついてから、ジオの腕を掴んだままうるうるしているニアの耳元に囁いた。
「おまじないするか?」
「ひっっ」
ニアは大急ぎでジオから離れると、両手で頬をむにょっと持ち上げそれは笑顔なのか微妙だろうという笑顔を作って見せた。
壁に張り付いていたジオがあからさまにほっとしていた。ヒースだってろくに女の扱いは知らないが、こんな奥手で本当にシオンに結婚してくれなんて言えるんだろうか。段々不安になってきた。
「ジオ、やっぱりシオンに伝える時は後ろで応援する」
「え?」
「というか、見張ってる」
「お、おいっ」
「じゃないともたもたしてる内に接点閉じちまうよ」
「うっっ」
よ、と落ちかけていたクリフを抱きかかえ直すと、横にまたすすすっと寄ってきたクロがニヤニヤして言った。
「何か面白そうな話じゃねえか。じっくり聞かせろ、ヒース」
「うん」
「おっおい!」
「おし、じゃあついて来い!」
カカカッと笑うとクロが案内を始めた。
次話は明日投稿します!




