覇権争い
世界の成り立ち。
幸い森の中で魔物に出会うことはなかった。ヒースがあからさまにほっとした顔をすると、ジオが教えてくれた。
「あいつらはこんな人がいねえ所には滅多に出ねえよ」
「そういうもんなのか?」
ジオが頷く。
「あいつらは基本争いがある所を好むってハンが言ってたな。食い物が豊富にあるからじゃねえか?」
食い物。つまり死体のことだろう。
するとニアが物知り顔で話し始めた。
「妖精界には魔物はいないの。人間界にしか生息しない種族だから、魔族と関わりがあるかもしれないって人間界の研究をしている学者が言っていたわ」
「人間界の研究なんてしてる奴がいるのか?」
後ろから飛んでくるニアを振り返りつつヒースが聞いた。
「そりゃあいるわよ! 人間界と妖精界は切っても切れない間柄だし。それに伴侶探しにあぶれた妖精族の女性は適齢期になると人間界に行くこともあるから」
そういえば妖精王の別の后も人間と駆け落ちしたとアシュリーが言っていた。
「人間の男、特に西ダルタン連立王国は女性を大事にすると妖精界でも評判だから、周りにろくな夫候補がいない場合は検討することもあるのよ。まあ西ダルタン連立王国が魔族に支配されてからはそれも途絶えたけど」
西ダルタン連立王国は、その名の通り複数の国家が一つになりその頂点に総帥を据える体制をとっている。連立王国建国前は戦争の耐えなかった王国間の覇権争いに終止符を打ったのが初代総帥グレゴリー・オットである。ろくに教育など受けていないヒースですら当たり前の様に知っていることだが、だが実は西ダルタン連立王国の外については何も知らなかった。
木立の間から草原が見え隠れし始めた。森の境界線へと辿り着いたのだ。
「なあジオ、西ダルタンってことは、他にもダルタンって名前の国があるのか?」
「ヒース、ダルタンってのはこの大陸の名前だ」
「そうだったのか!」
知らなかった。
「他の国はもうねえ。昔は少数民族の国家が点在していたらしいがな、魔族の奴らが侵略を始めた辺りからもう名前を聞くこともなくなった」
ニアもこくこく頷いた。
「魔族が台頭し始めてからはそちらの接点は封鎖されたと聞くわ。恐らく初期の段階で呑まれたんだと思う」
「呑まれた……」
「吸収されちゃったってことね」
「そうなんだ。じゃあ接点として残ってるのは魔族側にはないのか?」
「少しはあるようよ。西ダルタンも魔族に襲われて事実上瓦解している様なものだけど、それでもまだ人間と接触している接点も複数あるし」
西ダルタンの国土は広大だ。殆ど魔族によって町ごと殲滅されたとはいえ、ジオやハンの様に逃げ延びている人間は実は他にもいるに違いなかった。
「あれから十年も経つのにな」
十年は長い。侵略し屈服させたければ地下に潜んでいる人間を片っ端から捕まえていそうなものだが。ヒースのそんな疑問に今度はジオが答えてくれた。
「これはハンの奴が言ってたんだけどな、各地にまだ人間が生き残っていられる一番の理由は、魔族自体の総数の少なさなんだとよ」
「総数?」
「人口だな。奴らの侵略のそもそもの理由はお前も知っての通り女性の確保だ。戦争を仕掛けてくる程切羽詰まっていたって考えると、人間側の男女比よりももっと偏った比率なんじゃねえかって話だ」
成程、種族としてもうにっちもさっちもいかない状況まで追い込まれていたから戦争を仕掛けたと考えると、魔族の人口自体が少なかった可能性は高い。確かに奴隷の作業現場の監督者も広い敷地に数名の魔族しかいつもいなかった。
「つまり人間の男を滅ぼしたくても人手不足で手が回らないってことか」
「少なくともハンはそう言っていた」
しかしそうなると益々不思議でならない。
「なんで魔族は女だらけの妖精族には手を出さないで、女の人数が少ない人間を狙ったんだろう?」
「それは簡単よ、ヒース」
今度はニアが教えてくれる。ジオもニアも物知りだ。奴隷として捕まっていたのだ、ヒースが知らないことが多くても当然なのだろうが、これまでその事実に気付きもしなかった自分を少し恥じた。
「妖精族と魔族の間に子供は生まれないの」
「え?」
「……俺もそれは知らなかったな」
ジオも驚いていた。人間にはあまり知られていない事実なのかもしれない。
「妖精族も魔族も、人間との間には子供を作ることが出来る。魔族と妖精族の間に子供は生まれないけど、でも人間と魔族の混血だとどうなるか? そのことをアシュリー様はとても気にされておいでだった」
また軍人風な口調に戻ってしまったニアの表情は、真剣そのものだった。
「新しい妖精王は人間界への侵略を構想しておられる。それはつまり、魔族と妖精族の人間の取り合いが始まるということなのだろう」
ヒースは恐ろしい可能性に気が付いた。人間と魔族の混血が妖精族と子供が作れる可能性があるとするなら、やがて大人となる混血児が妖精界に侵略して男を殺し、妖精界自体を乗っ取ることも出来るということではないか。
「妖精界も危ないってことか?」
ニアが頷いた。
「前妖精王は温厚な方でおられた。争いを好まず、人間との交流も多くはなかれど続けることを許可されていた。現存する接点は先代王が設置されたものだ。そして過度に増やすこともなく、大きな接点を作ることもなく、互いの世界に干渉し過ぎぬよう気を配っておられた。現妖精王はそんな前妖精王を腑抜けだ、自分が王になった暁には人間を支配し魔族を滅ぼし、世界の王になると豪語しておられたという。アシュリー様はその王のお言葉を聞かれ、反旗を翻すことを決意されたのだ」
「なんだそれ……!」
思わず足を止めたヒースを見て、ニアの顔が悲しそうに歪んだ。
「西ダルタン連立王国が魔族に支配されて十年。このまま放っておけばいずれ混血の軍隊が妖精界に攻め入ってくるかもしれない。現妖精王はそうなる前に先手を打つおつもりなのだ」
「……酷え話だな」
ジオがぺっと唾を吐いた。
「俺達人間の立場なんてどこにもねえ話だ。妖精族も魔族も、人間は敵の懐に入り込んで留めを刺す為の道具としか見られちゃいねえってことだな」
「ジオ、分かっていただきたい。妖精族の殆どの者達は、決してそれを望んではいない」
ニアが悔しそうに唇を噛んだので、ヒースは思わず言った。
「別にニアの所為じゃないだろ? そんな顔するなよ」
「だがしかし、仮にも王宮勤めの者として私は自分が情けないんだ……!」
また目頭にじんわりと涙が浮かんできた。ヒースはふう、と溜息をつく。本当にこの子は泣き虫だ。泣いてすぐヒースを困らせる。おまじないをしようか? だが今はジオの目がある。ジオの前でキスなどしたら拳骨が複数回飛んでくるのは容易に想像が出来た。
ヒースはニアの前に立った。
「ニア」
「……なんだ」
すっかり軍人口調だが、旅の途中だ、風呂を覗く機会は恐らく当分ない。であれば。
「おまじない、またするか?」
「ひっっ」
ニアが真っ赤になって一歩下がった。どうやら涙は一瞬で引っ込んだ様だ。
ヒースは可笑しくなってぷっと笑った。本当にこの子は泣いたり赤くなったりと忙しい。
「少なくともニアとアシュリーは人間の味方だろ?」
「もっ勿論だ!」
「口調」
「……も、勿論よ」
ヒースはいつもジオが自分にする様に、ニアの頭をぐしゃぐしゃっと撫でた。
「じゃあそれでいいよ」
「ヒース……」
くすぐったそうにニアが笑った。それを見てヒースも更に笑顔になったのだった。
次話は明日投稿します!




