覚悟
いざ!
ヒースは急いで旅支度を整えた。ジオは馬鹿だ。ジオの方が馬鹿だ。万が一ヒースが追ってきてしまっても道中困らない様に、ちゃんと何が必要か書き出しているのだから。
ジオが何故ヒース達に何も言わず出ていってしまったのか、その理由は明白だった。ヒースがニアとクリフを置いていこうとした理由とそっくりそのまま一同じだったから、すぐに分かった。ハンも言っていたじゃないか、ヒースみたいな子供に戦場は見せたくないと。ヒースは成人しているのに、ジオからしてみればまだ子供に毛が生えた位にしか思えなかったのだろう。
ジオには奴隷時代のことは多くは語らなかった。過去を語るよりも、この先を見ている方がヒースにとっては重要だったから。今となってはその判断も間違っていたに違いない。言えばよかったのだ、ヒースがこれまでどれだけの死を目撃してきたかを。確かにまだこの手で誰かを殺したことはない。だけど、誰かを助ける為にそれが必要なのであればヒースはその覚悟を持って獣人族の居住地域に向かうつもりだった。そのことをきちんと伝えなかったのはヒースの怠惰だ。ジオにきちんと伝えなかったから、ジオはヒースに逃げ道を残して置いていったのだ。殺すことに向き合わなくてもいい様にと。
考えてみれば、ずっとジオの様子はおかしかった。ハンに用意させた地図をヒースにろくに見せてくれなかったのも、そもそも始めからヒースをここに置いていくつもりだったのだろう。ここにはクリフもいる。クリフは連れて行けないからと言っていたのも、ヒースへの逃げ道の一つだ。
ジオには恩義がある。助けてもらわなければ確実に落としていた命だ。その恩人が長年思い煩ってきたことから解き放てる機会がようやくやってきたのだ、それに手を貸さない程ヒースは恩知らずではない。それこそクリフは子供でまだ子鹿で、そもそも草食動物が他の動物は殺さない。だからクリフは連れて行きたくなかった。だけどそれは本当にクリフに誠実と言えるだろうか? それにここに置いていっても、きっとクリフは追ってくる。それ程にヒースとクリフの絆は深い。
ヒースは食器類をまとめているニアをちらりと見た。
ニアはどうだろうか? 女だから、泣き虫だからと何も確認せず無条件に置いていこうとしていたヒースは、ジオにとってのヒースと同じではないだろうか? 何も言わず置いていって、ニアが納得するか? 自分が納得しなかったのに。
「ニア」
「なに?」
少し怒った風な表情でニアが振り返った。ニアもジオに対し怒りを感じているに違いない。じゃなきゃあんなに泣くことはないだろう。責任感の強いニアのことだ、アシュリーに託された任務を遂行出来ないとなれば地団駄を踏んで悔しがるに違いない。
「俺の考えでは、ニアは俺の武器に属性を付与することでアシュリーから託されたことは達成したと思っている」
「……どういうこと」
「ニアが生きて俺と繋がっている限り、俺は怪我をしても他の奴から吸い取れば怪我も治るんだろ?」
「そう、だと思うけど」
ニアはヒースの意図せんとしていることが分かっていない様だった。
「だったらニアがここに居てくれたら、俺は死ぬことはない。そうじゃないか?」
ヒースがそう言った途端ニアの表情が怒り一色になり、ニアは駆け寄ってくるとヒースの胸ぐらを掴んで怒鳴った。
「あんたも私を置いていこうっていうの!?」
「そうじゃないよ」
「じゃあどういうことよ!」
ニアの顔は怒っているのにまた涙が滲んでいる。でも今は笑顔にさせる場合じゃない。まずはきちんと確認せなばならないだろう。
「殺す覚悟はあるか?」
「誰に向かって言っている。私はアシュリー様の側近だ。これまでに狼藉者は何人もこの手で退けてきたんだ。馬鹿にするな」
軍人風な口調に戻ってしまったが、成程、腕は立つ様だ。もしかしたらヒースよりも遥かに。
「武器は?」
「剣があればいい」
「……よし、じゃあそれも探してみよう。多分幾つか残っていた筈だ」
柄の部分に革紐の巻きつけが終わらなかったのがまだ少しあった筈だ。ジオが持っていってなければきっとある。ヒースは作業場へと向かうと、道具箱として使っている物置きを覗き込んだ。
「ジオ……」
そこには、道中必要になるであろうナイフ二振りと、すでに柄の部分もきちんと完成させた長剣も二振り置いてあった。弓が使えなくなった時、近距離戦になった時に戦える得物がないとどうしようもない。それをハンが心配していたから、恐らくハンがジオに伝えていたのだ。
言うことを聞かないヒースが困ったことにならない様にと。
背後からニアが物置きを覗き込んできた。ヒースは一振りずつをニアに手渡した。
「後を追うぞ」
ニアがそれに小さく頷いた。
ヒースはクリフを探した。
「クリフ、どこだ?」
「クリフいるよ! ヤギさんにお別れ言ってたんだ!」
ヤギ小屋の奥からひょっこりと顔を出したクリフは鹿の姿だった。だが、その背中にはあり得ないものが付いている。
「見てヒース! クリフ格好いい?」
「お前……どうしたんだそれ?」
クリフの背中に付いていたのは、明らかに魔力で作られたと思われる半透明の翼だった。
「クリフもニアみたいにお空飛びたいなって思ったら、出来た」
「出来た、って……」
「クリフにヒース乗ってね!」
「クリフ、それ……! 凄いじゃない! 二段階変化なんて!」
ニアがクリフに近付くと、最初の時の様に顔を近付けクリフを凝視した。何かを探っている様だ。
「……そうか、私とヒースが繋がることで、ヒースと繋がるクリフにも影響が……でも魔力は? あ、そうか、昨日のカモの命がクリフにもきっと影響を」
「ニア? おーい」
「成程、これは一考の価値ありね、これから先どう割り振られていくか」
「ニアってば」
眉間に皺を寄せて考え込んでしまった。こりゃ駄目だ。ヒースは諦めてクリフに向き直ると、改めて聞いた。
「クリフ、人がいっぱい死ぬ所に行くぞ。大丈夫か?」
「クリフ、ヒースを守るんだ! ヒースとずっと一緒!」
「そうか。分かった」
ヒースはクリフの首を撫でると、自分の考えに没頭し続けているニアのおでこをツン、とつついた。
「ひっっ」
「行くぞ。戸締まりをしたら出発だ」
「わ、分かった!」
夜明け前に出発したジオとは大分距離が開いているが、クリフに乗り、且つニアも自分で飛んでいけば恐らく大分早い段階で追いつけるのではないか。
一体どこで待ち合わせしているのかもろくに聞いていないが、西だということは分かっている。だったら太陽が沈む方向に直線で進めばいいだけだ。森の中をクネクネと進むよりも、空から行く方が恐らく大分早い。注意しないといけないとすれば、あまり高く飛び過ぎないことだろう。それはハンがジオに注意されていたのでヒースも覚えていた。高く飛び過ぎると、近くに飛行できる魔族がいた場合攻撃される危険性が高まる。万が一に備え、弓は荷物の一番外側にすぐに外せる様にしておいた方がよさそうだった。
ヒースは荷物を抱え武器も持ち戸締まりをきちんとすると、家の前で待っていたクリフに乗った。いつもの鹿の姿の時より一回り大きい気がするが、そんなことも自由自在ならあの果物は物凄い効果なんだろう。
「行こう」
「うん!」
「ジオに追いつくぞー!」
ニアも羽根を出し、三人は空へと旅立ったのだった。
次話は明日投稿します!




