泣き止む為のおまじない
記憶を頼りに。
ヒースは泣きじゃくるニアを自分の寝床に座らせた。
「ちょっと待ってろ、周りを探してくる。どこまで探した?」
「部屋、部屋に書き置きがあって……!」
泣きながらそう言うと、ニアは手に握り締めていた紙をヒースに渡してきた。ぐしゃぐしゃになっているそれを皺を伸ばしながら広げてみると、書いてあったのは。
「『ヒース、家は任せた』……ええ!?」
「どうしようヒース! ジオ一人で行っちゃったんだよお!」
うわあんとニアが泣くので、ヒースは自分の服の腹の部分をたくし上げてニアの涙を拭いてやった。
「クリフが何か見てないか聞いてみようか」
クリフは外で寝ていた。ジオがいつ位に出て行ったのかを見ている可能性は高い。
ヒースだってこの書き置きには驚いているが、ニア程パニックにはなっていない。突発的な何かが起きた時、一番やってはいけないのはパニックになることだ。長年の奴隷生活で、パニックになって頭が真っ白になり突拍子もないことをやらかし処分される人間を見てきたヒースは、こういう時に冷静になる術を身に着けていた。
「ニア、とりあえず動こう。考えを止めるな」
「ううっわがった」
もう一度溢れ出している涙を服で拭いてやると、ヒースはニアの腕を掴んで立たせた。泣きじゃくるタイミングで小さな頭が揺れるのが見ていて辛い。ヒースはニアの手を掴むと、子供を連れて歩く様に引っ張った。
「クリフの所に一緒に行くぞ」
「う、うんっ」
そう言うとニアはヒースの服の肩の部分で涙をグリグリ拭いた。え? と思ったがヒースは何も言わないでおくことにした。多分、混乱して何も分かっていないのだ。ヒースを何だと思っているのか分からないが、とりあえず男として見られていないのは何となく理解した。
手を繋いだまま表に出ると、外はもう明るい。いつもはジオに叩き起こされるが、今日はそのジオがいない。太陽の角度を見てみるとそこそこ上の方にあったので、どうやらヒースはかなりたっぷり寝てしまったらしい。
こんな時間になってもクリフが何も言ってこないのもおかしい。いつもなら早く小屋から出せと壁をどんどん蹴っている頃だ。しかも昨日柵を自分で開けられる様改造もしたのに。
嫌な予感がしたヒースは少し足早に裏手のヤギ小屋へと向かうと、とんでもない物が視界に飛び込んできた。
「クリフ!」
「んんんー!」
何とクリフがヤギ小屋の柱に後手で括り付けられ、しかも口には布が巻かれ騒がない様にされていた。目からは大粒の涙が出ている。ここでも涙だ。ヒースは大慌てで駆け寄ると、急ぎ布を剥ぎ取った。
「ぷはあっ!」
「大丈夫か!? これまさかジオが」
「ジオだよ! クリフがどこに行くか聞いたらジオが!」
先程まで泣きじゃくっていたニアはこの光景を見て涙が引っ込んだらしく、クリフに繋がれた縄を解きにかかっている。
「ジオが出て行ったのってどれ位だ?」
「まだ暗い時! もう少ししたら明るくなる時! 早いからどうしたのってクリフ聞いたのに! うわあああん!」
ニアが縄を解き終わると、自由になったクリフがヒースの首に飛びついてきた。
「ジオのバカああああ!」
「よしよし、そう泣くな」
ニアが泣き止んだと思ったら次はこっちだ。だがこっちはあまりみぞおちにぎゅっとはこなかった。何故だろう?
ヒースはクリフを首にしがみつかせたまま立ち上がると、ニアに向き直った。
「ジオは俺達を置いて先に行っちゃったってことか」
「何で!? どうしてそんなことを……!」
ニアの目がまたじわりと涙を滲ませる。こっちはみぞおちにぎゅっときた。ああもう何が違うのか分からないが、とにかく泣かないで欲しい。困った、どうしよう。
「……泣かないでくれよニア」
「だって……だってええええ!」
またボロボロと泣き始めてしまった。ヒースはワタワタして、抱き寄せたらいいかなとも思ったが今は首にクリフがしがみついているし、ええとええと、と迷い迷って。
昔子供の時、近所の子が泣いてその子の母親におまじないをしてもらって泣き止んでいたのを思い出した。あれはなんて呪文だっただろうか。ええと、確かそう。
「『笑顔になあれ』」
そしてニアのおでこにキスをした。確か大きな音を立てたら子供が笑っていた。だからヒースもなるべく大きなチュッという音を立ててみた。
「ひっっ」
ニアが大きな瞳を目一杯見開いて固まった。口がぽっかり空いているが、笑っていない。音が足りなかったのかもしれない。確かに思ったよりも大きな音が出なかった。ニアの髪の毛が邪魔してるのかもしれないな、そう思ったヒースは。
「ニア、笑顔になあれ」
今度はニアの首の後ろを持ってニアの頬に大きな音のキスをした。ここなら髪の毛も間に入らない。すると、ばっと離れたニアが頬を押さえて口をぱくぱくさせた。陸にあがった魚みたいだ。
「ひっっヒースっこっこれはっ!」
昨日から時折「ひっっ」と言うのは、どうもヒースのひの様だ。とりあえずニアは泣き止んだみたいだった。まだ笑顔にはなっていないが。
「おまじない。でもあんまり効いてないみたいだ」
「おっおまじない!?」
「そう。笑顔になる筈なんだけどおかしいな」
ヒースが首を傾げると、ニアの顔が真っ赤になった。
「き、き、キスがおまじない!?」
「うん、昔お母さんが子供にやってるのを見たことがあって、それを思い出してやってみた。ニア、足りない? どうしたら笑顔になる? もう一回する?」
「しっしないしないしない!」
「だって笑顔にまだ」
「今すぐ笑顔になる! なるから!」
半ば叫びながらそう言うと、ニアは頬を両手でもみもみ揉んだ後、ぎこちない笑顔を見せた。何だか無理やり感満載だ。
「やっぱりまだ足りな」
「足りてます足りてます! ほら!」
そう言うと、照れくさそうな笑顔を見せた。それを見て、ヒースのみぞおち辺りにずん、とあった嫌なものが霧散して、ヒースにも笑顔が浮かんだ。
「うん」
次から泣いたらこうしよう。二回すれば効果がある様なので、左右の頬にすればいいだろう。
ニアが泣き止んだところで、ヒースは改めて家の中の作りかけの荷物を確認してみることにした。昨日用意した分はそのまま置いてある。棚にあった魔石の小箱はなくなっていたので、ジオが持っていったかジオの自室に隠されたかどちらかだろう。そういえば壁に掛けておいた弓がない。弓を扱えないジオが持っていく筈もないので、多分家のどこかに隠されてしまったのだ。ヒースがすぐに追って来れないように。
ヒースはジオの自室に入るとあちこちを探し始めた。ジオは鍛冶屋だ。だから武器を作る大変さを一番よく理解している。そのジオが、ヒースが苦労して作った弓を壊す筈がないと思った。だから隠すとしたらこの部屋に違いない。
対して物のないジオの部屋で大きな物がしまえる場所は少ない。怪しい所を片っ端から漁っていくが、見つけ易い場所には当然のことながらなかった。どこだ? ヒースはぐるりと改めてジオの部屋を見渡すと、一箇所まだ調べていない場所を発見した。ベッドだ。
ヒースはベッドの下の空間を覗く。ない。次に壁に接した部分を覗く。ここもない。布団を持ち上げて敷布団も剥ぐ。――あった。
ヒースの弓は布で丁寧に包まれていた。そこに一枚の小さな紙が添えられていたので、ヒースはそれを読み上げる。
「『馬鹿者』……」
ヒースは思わずくすりと笑ってしまったのだった。
次話は明日投稿します!




