実験結果
なんとかなるもんだ。
その頃、ヒースは川辺りで気持ちよさそうに昼寝しているカモを狙っていた。
幼少期に自分の母親に恐怖を抱いていたことに今更ながら気付いたヒースだったが、それについて凹んだところでもうどうしようもない。母に会ってそのことを正すにしても、肝心の母の顔を覚えていない。何故今頃になって昔の記憶が戻ってきたのかヒースなりに考えたが、母という女性の後に実体としてヒースの隣に初めて立った女性がニアだったからかな、と思った。逆にそれ以外思い当たることがなにもなかった。ちなみにアシュリーは向こう側にいたから、鏡の向こうを見ている様な感覚だった。
もしそれが当たっているなら、今後ニアと共に過ごせば過ごす程過去の思い出したくないことまで思い出すことになるかもしれない。でもニアは母ではない。これはニアの所為でもない。
ニアは細い。あの細さが余計に母を思い出させたのかもしれない。ヒースとしては母のことは無理に思い出したいとは思わなかった。だったらどうすればいいか?
「ニアを太らせるんだ! 目指せぷるぷる!」
その掛け声と共に、何度目かとなる矢を放った。もう何度も何度も矢を打ったが、勢いが足りなかったり明後日の方向に飛んでいったりとちっとも定まらない。父が弓使いだったからといって自分に適正があるかないかなんて考えもしなかった浅はかさを今更呪ってももう遅いので、後は鍛錬を繰り返すしかないのだろう。
指にも羽根が刺さってしまって人差し指は血だらけになっていた。ハンはああ言ったが、やはり保護布は必要そうだった。
バサササッ! という鳥の羽ばたく音。また外したか!? ヒースがカモを見る。すると、羽根の部分に矢が辛うじて刺さっておりカモを地面に縫い付けていた。やった!
ヒースはカモに近寄った。無事だった仲間のカモ達はどこかへ飛んでいってしまったので、この一羽を逃すとまた一から探し直しだ。
「カモ……しっかり食ってやるから、ありがとう!」
そう言うと、ヒースは至近距離から矢を放ってとどめを刺した。カモが鳴き声を上げて力なく羽ばたいた後、動きを止める。ジオに野生動物を捕まえる為の罠のしかけ方、捕まえた動物の下処理も全て叩き込まれた。ヒースが可愛がるクリフとこいつらに大差はない。ないのだが、でもヒースにとっては違った。このカモにもし助けられたなら、ヒースはこのカモだって可愛がる様になっていたかもしれない。でもそれはもしもの話だ。
生きる為には必要だった。皆生きる為に殺し殺されるのだ。生きるとはそういうことなのだとジオが教えてくれた。
ヒースは動かなくなったカモに近付いた。すると。
「うわっ」
赤の様な橙の様な色がカモから浮き出始めた。何だこれは、触っていいものなのだろうか? 思わずヒースが一歩後ずさると、浮き出た色が一気にヒースに向かって飛び込んできて、ヒースは思わず頭を庇って目を閉じる。
「……あれ?」
何もない。ヒースは恐る恐る目を開けると、両頬から垂らされたニアの髪がその色に発色しているのを見た。ヒースはそれをツン、と指でつついたが特に何ともない。すると、先程ニアに噛まれてまだヒリヒリしていた肩がほんのり温かくなった。ヒースは首を捻ると肩の傷を確認してみる。
「あれ?」
ない。見事に歯型の形に赤くなっていた傷が、ない。指を見ると、こちらも綺麗に傷跡が消えているが血はこびりついたままだ。
「治った……!」
ということは、散々ニアに振り回されたが実験成功だ。
ヒースはカモの羽根を貫通し地面に突き刺さっていた矢を抜くと、既に絶命したカモを手に持った。くたりとしたその感触は正直言って好きではないが、そうも言っていられない。
とにかくこれでニア達の元に戻れる。ヒースは少し軽くなった心で家路を急いだ。
◇
木々の隙間から見える家の前では、ニアが不安げに行ったり来たりを繰り返しているのが確認出来た。
クリフは鹿の姿で寝転びながらそれを見上げていたが、物音に気付いたのか、ピクリと耳を動かすと立ち上がって男の子の姿に変わった。そういえば人間に変身するといつの間にかシンプルな服を着ているが、あれはどこから調達したものなのだろうかとヒースは首を捻る。もしかしたらあれも魔力から作られているのかもしれない。
反応したクリフを見てニアもヒースが近くにいるのが分かったのか、目をキョロキョロとさせて森の方を探し始めた。
二人とも、ヒースのことを待っていたのだ。先程逃げる様にして出て行ってしまったことを、少し後悔した。
ヒースは木々の奥からひょっこり顔を出した。手に持っていたカモを高々と掲げて見せる。ニアと目が合いその表情がほっとしたものに変わったのが分かり、ヒースは思わず破顔した。随分と心配させてしまっていたらしい。
「ニア! 傷、治ったぞ!」
「え!? 本当? 見せて!」
ニアも笑顔になると、ヒースの元に駆け寄ってきた。クリフはニアをさっさと追い抜くとヒースの腰にドン! としがみついてきた。
「ヒース抱っこ!」
勝気そうな眉毛が泣きそうに垂れ下がっている。ヒースはその場でしゃがみ込むと、膝を付いて空いている方の手でクリフを抱え抱き上げ立ち上がった。クリフはいつものクリフの暖かい動物の匂いをほんのりさせながら、ヒースの首にぎゅっと抱きついてぐりぐりしてきた。
クリフのいつもの甘える仕草だ。これは人間の姿になってもどうやら変わらないらしい。撫でて、というやつだ。今は手が塞がっているので、ヒースは代わりに頬でクリフの少し固い髪の毛をぐりぐりし返してみた。
するとクリフが更にきつくぎゅっと首に抱きついた。何気に馬鹿力で、少し苦しい。
「どうしたんだよクリフ」
「ヒース、クリフと一緒」
「置いていったのを怒ってんのか?」
「次はクリフも行く」
答えになっている様ななっていない様な返事だったが、クリフの素直なその言葉は何故かヒースの胸をジンとさせた。
「……うん、そうだな」
ヒースとクリフのそんな様子を一歩離れた所で見ていたニアが、もういい? とでも言いたそうな目をしてヒースを見た。ヒースは目だけで頷いてみせると、ニアが背伸びをしてヒースの肩を覗き込んだ。
反対側の肩も確認し傷が残っていないことを確認すると、ニアがぱっと笑顔になる。ニアの笑顔はアシュリーのほわっとした笑顔とは違ってはっきりしている。
これはこれでヒースは好きだった。思わずヒースもつられて笑ってしまった。
「実験成功ねヒース!」
「うん、そうみたいだ。あ、ニアの羽根はどうなったかな?」
「そういえばそうね」
ニアはばっと羽根を出すと、切られた部分を確認する。ヒースが見たところ、左右に形の違いはない様だった。
「こっちも治ってる!」
ニアが嬉しそうにそう言った後、手に持っていた太い腕輪をするっと細い手首にはめ直した。
「これを外しておかないと効果は薄いのかもしれないの」
「それ、外しっぱなしじゃ駄目なのか?」
これから先、戦う度に取ったり外したりとしていたらいつかなくしそうだ。
ニアがふむふむと考え込み始めた。
「うーん? 吸い取ったものを魔力として溜め込むことが出来るならなくてもいけるのかも……」
「ちょっと考えといてよ」
「うん、分かった」
すると、家の中からジオが呼んだ。
「ヒース! 早く肉持って来い!」
こちらも待たせた様だ。ヒースは急ぎ家の中へと入って行ったのだった。
次話は明日投稿します!




