化ける
君は誰?
ニアは真剣そのものだった。ヒースはそんなニアと、ひたすらヒースに甘えてすりすりしてくるクリフを交互に見た。ちょっとよく分からない。
「ニア、意味が分からないんだけど」
クリフが化ける? 化けるとは一体どういう意味だろうか。ニアがクリフの目を覗き込んだ。
「……でもこれだけ慣れてるなら大丈夫かな」
「ニア? 俺の質問は?」
「意識もしっかりしている様だし」
「ニアってば」
「クリフ、君はどうしたいの?」
「……おーい」
ニアはクリフに近付くとクリフのおでこに自分のそれをくっつけて目を閉じてしまった。ヒースは完全に蚊帳の外だ。どうしてこうどいつもこいつもヒースを無視するのか。皆思い詰めると周りの声が聞こえなくなる様だ。ヒースはそういった経験が少なくとも自分ではないと思っているので、ある意味その集中力は羨ましいと思った。
これは多分奴隷時代の影響だ。常に周りの雰囲気を感じ取って即座に反応しないと、命取りになることも多々あった。年配者から付け狙われていたもっと幼い時は特に。だから寝る時は絶対安心だと思える場所でしかぐっすり寝れなかった。ジオがヒースのことをよく寝ると言うのは、きっとここが安心出来る場所だからだ。ジェフの近くにいた時は安心した。でも物音で起きたから、きっとそういうことなんだと思う。
周りの音が聞こえなくなる程集中したら、咄嗟の時反応出来ない。つまりジオもニアもヒース程緊張の日々は送ってなかったということだろう。
素直に羨ましかった。勿論、ジオにも辛い時期はあったのは知っている。ニアだってかなり迫害されてきた様だ。だが身の危険はなかった。それは二人の為にはよかったことだ。それも分かる。だけど何故それが自分にはなかったのか、ついそう考えてしまうのはいけないことだろうか。
ヒースは大人しく待った。するとようやくニアが目を開けて顔を上げた。
「ヒース、もう一つ果物あるかな?」
昨日もらった荷物の中にまた入っていたので、ジオが果物置き場に置いていたのを見た。
「あると思う」
「じゃあ、それをクリフにあげる」
「え? いいのか?」
ニアが頷いた。
「あと少しで化ける所まで来てるの。クリフはヒースの役に立ちたいって。だから」
クリフがヒースの役に立ちたいと思っている?
「え、ニアってクリフの言葉分かるのか?」
「少しだけね。私はまだまだ未熟だから」
「すっげえなあ!」
「……ありがとう」
妖精というのは随分と人間とは違う様だ。そう考えると人間というのは一番弱い種族なのかもしれないなとふと思った。
「じゃあちょっと取ってくる! 待ってて!」
ヒースは急いで家の中に戻ると、ジオが棚の前でびくっとして急いで何かを隠した。怪しい。
「どうしたんだジオ」
「どうもしねえ、魔石を確認してただけだ。急に入ってくるから驚いたんだよ。お前こそどうした」
確かにジオの前には昨日もらったばかりの魔石が並べてあった。では、説明書があると言っていたのでそれを読んでいただけか。
「ニアがあの果物取ってこいっていうから一個もらってく」
「んあ? ああ、あれな。何に使うんだ?」
ヒースは果物置き場の籠に入っている果物を一つ手に取った。
「クリフが化けるんだって」
「ああん!?」
「ジオも見る?」
「あー、結果を教えてくれ」
「分かった」
あまりノリがよくないのは魔石をどうしようか考えているのだろう。ヒースはそう思うことにした。干渉し過ぎると一人に慣れているジオはすぐうるさがるのだ。
「じゃあ後で」
「おう」
ヒースが扉の前でジオを振り返ると、ジオはまた視線を落として何かを読み耽り始めた。
「クリフ! ニア! お待たせ!」
クリフがヒースが持つ果物にとてもいい反応を見せた。跳ねる様にるんるん駆け寄って来ると、手の中の果物をぱくりと食べる。ヒースの手が一瞬で汁でぐしょぐしょになったが、クリフはそれも綺麗に舐め取ると満足そうにヒースを見、すると唐突にクリフ全体が光り始めた。
「クリフ?」
「ヒース、始まった」
「クリフは大丈夫なんだよな?」
身体が光っているが、特にそれ以外の変化はない様に見える。やがて光は段々と収まってきたが、そこにはいつものクリフがいるだけだ。ヒースはいつもの様にクリフの首に腕を回して撫で始めた。やっぱり変わらない。
「何も変わってないんだけど」
「ヒース」
「いつもの可愛いクリフだよなー」
「クリフ可愛い」
「うん、可愛いよなー」
「クリフヒース好き」
「そりゃあ俺達はずっと一緒……え?」
「ヒースクリフ好き?」
「え? 今の……」
声はくっついているクリフから聞こえてきた。ヒースは隣のクリフを見る。次いでニアを見ると、ニアは大きく一つ頷いた。
ヒースは嬉しくなってクリフの首に抱きついた。クリフが喋ったのだ! 何とも可愛らしい子供の声だった。化けるなんて言うから何だと思ってたけど、喋れる様になっただけだった。クリフと意思の疎通が出来る様になったなんて凄いじゃないか!
「好きに決まってるだろー!」
「クリフヒースといる」
「あ、でも今度は留守番な! 危ないから」
「やだ」
「やだって言われても、駄目だって言われてるから」
「やだ」
「クリフ、我儘言わない」
「やだ! やだやだやだ」
前言撤回。面倒くさい。そういえばクリフは結構強情だった。
「クリフも行く」
「鹿は行けないの。食べられちゃうぞ」
「じゃあ鹿やめる」
「鹿やめるって無茶言わないでさ、ちゃんと帰ってくるし」
「クリフヒースみたいになる」
「俺みたいに? 無理だよだってクリフ鹿だし」
「やだ! やだやだやだ!」
クリフは鼻息をふん! と吹くとジッとし始めた。
「んんー」
「クリフ、踏ん張るなら向こうでやってくれよ」
「違う!」
「ん? 踏ん張ってんじゃないのか?」
「ヒースヒース」
するとニアがヒースの肩をツンツンしてきた。思わずゾワッときてしまい、ヒースはぶるっと震えた。何だこれ。
「多分今クリフは化けようとしてるの、踏ん張ってる訳じゃないと思う」
少し背伸びしてニアがヒースに耳打ちした。息が首にかかってこれまたゾワッとする。うおう何だ何だ。ヒースは慌てて一歩離れた。ニアが怪訝そうな顔をした。
「どうしたの?」
「どうしたんだろう?」
「質問を質問で返さないでよ」
「だって分かんねえもん」
「何が? 熱でもあるんじゃない?」
どれどれ、とニアがヒースの額に手を当てる。その時に持ち上げた腕の袖の隙間から、ニアの細くて白い脇の下がちらりと見えた。またゾワワワッときた。あ、駄目だこれ。駄目なやつだ。だってニアはアシュリーと違ってここにいる。ただ見てるだけじゃなくて実際に触れている。あれだけ触れちゃ駄目だとジオが言っていたのに、向こうから触れてきたらどうしたらいいんだろうか。
ヒースは咄嗟に目を閉じた。ふう、これなら見なくて済む。スーハー深呼吸をすると少し落ち着いてきた。暫くするとニアの手が離れていって、何だか少し寂しくなった。
「熱はないみたいだけど、本当に大丈夫? あ、まさか私の近くにいるから元気がなくなった!?」
「いや、むしろ元気に」
「え?」
「何でもない」
すると、急に腰にドン! としがみつかれていやいやニア何してるんだそこは今は拙いぞとヒースが慌てて目を開けると。
「ヒース!」
「――え?」
ヒースの腰にしがみついているのはニアではなく、見たことのない小さな男の子だった。
次話は明日投稿します!




