懐かしい猪突猛進
あちこちで、何だこれはと騒いでいる声がする。
「ちょっとニア! 持っていき過ぎだよ!」
白い粒子の奥で、アンリが焦った声で言うのが聞こえた。
「わ、私は何も!」
ヒースの手を握ったままのニアが、同じ様に焦った風に答える声も聞こえる。ヒースがニアにキスをしたりする時に出す声とあまりにも一緒で、段々と消えていく光の中、ヒースは笑いを堪え切れず吹き出してしまった。
「ぷ……っあは、はははは……っ!」
「ヒ、ヒース!? さっきから何を笑ってるの!」
ニアの輪郭が見えてきたかと思うと、粒子は空気中に溶ける様にどんどんスーッと消えていく。
身体を起こそうとしたが、起き上がれなかった。多分、血を出しすぎたのだろう。自分の胸の辺りを見ると、服がぐっしょりと赤黒い血で染まっている。口の周りもどうもガピガピしているので、口から出てきた血が伝った分もあるのかもしれない。それにしても凄い量だ。
「ニア」
繋がれたニアの手を、ぎゅっと握る。案の定、ニアの顔は焦った表情を浮かべていた。
「ニアは大丈夫?」
ヒースが尋ねると、いつの間にか床に座り込んでしまったアンリが、這いずりながらヒースの元にやって来る。
「ちょっと、ヒース……? それ、ニアに聞く? 僕の方を心配しないの?」
アンリは、前に見た時よりも、もっと青い顔をしていた。魔力がなくなると、こうなるのか。ニアが妖精界ではその魔力の属性の所為で疎んじられていると言っていたが、それはきっとこういうことが起きるからなのだとようやく納得する。
「あ、アンリ、借りたよ」
「借りたよ、な量じゃないよ……」
はあー、と王族にしては随分と情けない溜息をつきながらヒースの横まで来たアンリは、ぶちぶちと文句を言い始めた。
「見てよ、僕立てないんだけど」
「アンリが細すぎる所為も在ると思うよ」
ニアを介して行なったことではあるが、この結果をニアの所為にはしたくない。だから、極力アンリ自身に問題があると話を捻じ曲げようとした。勿論、アンリはそんなことお見通しなのだろう。
身体を起こしているのも辛いのだろう、アンリはヒースの横に同じ様に寝転がると、ダンゴムシの様に丸まった。
「ヒース、あんなに持ってって、なんでヒースは寝転がったままなのかな。転がりたいのは僕の方なんだけど」
この王族は、随分と嫌味っぽい。もっとサバサバした感じの人だと思っていたが、そういえばヒースの魔力について観察したいだの何だの言っていた時はかなり粘っこい視線でヒースを見ていたから、元来がこういった性質を持つ人なのかもしれなかった。
ヒースは、多くは答えないことにした。淡々と事実を説明するに限る。
「多分血が出過ぎたんだと思うけど」
服の間から覗く血だらけの胸には、もう穴は空いてない。これはニアが閉じてくれたのだろう。だけど、ニアが治せるのはヒースとクリフだけだ。
だから、願い、願ったらアンリの魔力がニアを介してヒースによって周囲に解き放たれた。
正直、あんなことになるとは想像すらしていなかったが、これもきっとアンリの魔力量が規格外な所為に違いない。つまり、ニアは何も悪くない。
「アンリ様、もしかして魔力殆ど吸われちゃいました?」
ようやく何が起きたのか、冷静に考えられる様になってきたのだろう。それまでただ驚いた顔をしていたニアが、例の研究大好きなニアの顔に変わっていく。
「ニア、さっき物凄い勢いで腕輪を外してたよね?」
アンリの視線の先を追うと、あれは放り投げられたのだろうと簡単に予想出来るニアの腕輪が床に転がっていた。
「僕は体力ないって言ってるのに、僕を掴んで引っ張ってきたよね?」
「そう、そうなんですアンリ様!」
ニアが、急に目を輝かせ始める。
「アンリ様の腕を掴んだら、それまでよりもどんどん吸い込めたんです! つまり、直接触れる方が効果が高いってことじゃないですか!」
「う、うん……」
前のめり気味のニアに対し、あのアンリが引いている。頑張れニア。心の中で、ニアを応援した。
「そこからひらめいたんです! 私と髪の毛で繋がっているヒースとも、直接触れた方が効果が高いんじゃないかって!」
「だ、だからここまで引っ張ってきたのか……」
どうやら、運び込まれたヒースを見て、ニアはアンリを探し出し、そして途中で気付いて寝かされているヒースの元までやってきて、恐らくは傷口に手を触れてヒースに魔力を注いでくれたのだ。
よく見たら、ヒースと繋がれているニアの手の先は血だらけだった。しかし、いくらアンリの魔力量が多いからといって自分の世界の王子様を原材料代わりに使うなど、さすがはニアらしい発想だ。これでこそ、ヒースをいつも驚かせてくれるニアらしい。
ここのところすっかりニア不足になっていたヒースは、ニアらしさを垣間見ることが出来てすっかり嬉しくなっていた。
「ニア、遠慮なかったよね……」
「アンリ様は、魔力が足りない位が丁度いいからいいじゃないですか! 今だってほら、こんなに近くにいるのに私もヒースも何ともありませんよ! これも、魔力を抑え込むよりも吐き出した方がより効果的という実験結果に」
開き直ったニアは強い。全てが実験材料だとばかりの勢いで言われたアンリは、黙り込んでしまった。
「でも、今の現象は私もよく分からないんですよね! アンリ様、分かってるんですか!?」
ずずい、と寝転がっているアンリを覗き込む。アンリは今は魔力をニアに吸い取られまくり本来の魔力を撒き散らす様な状態ではない筈だが、あまり近付かれても困る。
なので、ヒースはニアの手をぐいっと引っ張った。
「わっ」
よろけたニアの腰を掴むと、その細い腰にヒシ、としがみつく。温かくて、涙が出そうな程幸せを覚えた。
「ひっ」
出た、いつもの「ひっ」だ。驚いている声なのかそれともヒースのひなのかは分からないが、これを聞くのも随分と久々な気がした。
「ニア、俺が分かってるから、俺から説明する」
だから、アンリの方には近付かなくていい。言外にそう伝えたつもりだったが、ニアは勿論気付かない。
「ヒースが分かるの!? さっきの光、あれは何!?」
ニアが目を嬉々と輝かせて尋ねてきた。やっぱりニアはこうでなくちゃいけない。ヒースは引き寄せてキスをしたい衝動を抑えながら、ニアに説明を始めた。
「あれは、アンリの魔力をニアを通して、周りに撒き散らしたんだ」
「え? どういうこと?」
「だって、シーゼルもハンもカイネも怪我をしてただろ? 誰にも死んで欲しくなかったんだけど、そうしたら夢の中でジェフが願えって言うから」
「ジェフ? 夢の中?」
ニアにはジェフの説明はしてなかっただろうか。……していなかったかもしれない。
「ジェフは奴隷時代に俺の面倒を見てくれてた恩人だよ」
「ああ、例の」
ニアは納得してくれた様だ。
「そう、ジェフが俺に言ったんだ。願えばいいって」
ヒースが淡々とそう言うと、ニアの眉間に急に皺が寄った。どうしたのか。
「死んだ人、だよね?」
「……そうだね」
ニアの質問の意味が、よく分からない。ヒースが素直に答えると、ニアがいきなりヒースの手を振り払い、いきなりヒースの服を捲くった。
「え!? な、何!?」
「傷は!? もう残ってない!? 中はどうなの!?」
「中は見えないよ!」
「ちょっとヒース、口を開けて中を!」
「見えないから! 剣が刺さってたの、肺の辺りだから!」
ニアは、何を思ったかヒースの口をこじ開けようとし始める。やっぱりニアは滅茶苦茶だ。
「ニア、大丈夫! さっきは息苦しかったけど、今普通に息出来てるから!」
ヒースが必死で抗うと、ニアはようやく口の中を覗き込むことを止めてくれた。こういう猪突猛進なところがニアらしくはあるが、ちょっと怖い時もある。
「なんだって急に」
ヒースが尋ねると、ニアが今にも泣きそうな目をして答えた。
「だって、それってヒースが死にかけてたってことじゃないの……!」
あれは、ヒースは死にかけていたのか。ヒースのお迎えに来てくれるのがジェフとは、如何にも面倒見のいいジェフらしい。
「ヒース、何笑ってるのよ! 人がどれだけ心配したと思ってるの!」
ニアのその言葉に再び笑顔になってしまったヒースは、またこの後ニアに怒られることになるのだった。
次話は木曜日投稿予定です!
 




