勝利の後
赤壁にもたれかかったサイラスの身体が、ずるずると崩れ落ちていく。
その動きと共に、シーゼルはサイラスの胸を大きく切り裂いていた蒼鉱石の剣をスッと抜いた。途端、支えを失ったサイラスの身体が地面に投げ出される。
まだ脳は活動をしているのか、目が動いた。その目が、呆然としてヨハンの後ろに立っているリオをぼんやりと見つめる。
「……ルク……迎え……のか……」
ゴプ、と口から血を吹き出すと、サイラスの目がゆっくりと閉じていく。ツウ、と片方の目尻から涙が伝い、口の端がほんの少し上がった。
そして、サイラスは動かなくなった。
シーゼルが、鞘に剣を納める。地面に座り込むヨハンをゆっくりと振り返った。ヨハンは、相変わらず夢の中にいる様な目つきのままだ。
――叩いてやりたい。ヒースは、心から怒りを覚えた。一歩踏み出そうとすると、ヒースを庇う様に立っていたヴォルグがそれを阻止する。
「――ここから先は俺が話す番だ」
「ヴォルグ!」
「お前は口を出すな」
ヴォルグはヒースを後ろに押すと、自分は前へと踏み出した。ヨハンの前に立ち、後ろに立っているリオと、更に後ろでハアハアと粗い息をしてヴォルグを見上げているカイネを見る。再び視線をヨハンに戻すと、ヨハンの頭上から問うた。
「この騒動の責任者はお前か」
ヨハンが、暫く考えているのか静止し、その後のろのろとヴォルグを見上げ、答えを返す。
「……そうだ」
「お前の監督下にある人間が、俺の部族の仲間を傷付けた。それについて、どう責任を取る」
ヴォルグの言葉に、カイネが慌てて叫ぶ。
「ヴォルグ! 僕は問題ない! 大丈夫だから!」
ヴォルグは厳しい顔つきで顔を上げると、カイネにひと言告げた。
「カイネは黙っていろ」
「ヴォルグ!」
「黙っていろと言っている!!」
ヴォルグが怒鳴ると、カイネがビクッと身体を震わせる。ヴォルグは再度ヨハンを見下ろすと、尋ねた。
「……もう一度聞く。どう責任を取る」
ヨハンは、ヴォルグを見つめながらゆっくりと口を開いた。
「そうだな……全ては、俺の甘さが招いたことだ。サイラスの様な男の良心を信じたいと願ったのも、俺が現実から目を逸し続けたからだろう」
「俺にはお前の言っている意味は分からん」
ヴォルグが冷たく言い放つと、ヨハンがフッと笑う。
「そうだな、そちらには関係のない話だ。同じ人間として信じたいと願ったのは、俺の勝手だからな」
ゆっくりと立ち上げると、剥き出しだった剣を鞘に納めた。ヨハンもかなり背が高くがっちりした武人といった体型だが、それでもヴォルグと比べるとひと回り小さく見える。
「俺の愚かな願いが、シーゼルが無言を貫くしかない状況を作ったのも分かった」
「た、隊長……ちが、僕……」
生命を失ったサイラスの身体の前で突っ立っているシーゼルが声を掛けるが、また力のないものに戻ってしまっていた。
ヒースは急ぎシーゼルの元に駆け寄ると、シーゼルを支える様に腕を回す。
「シーゼル! しっかりしてよ!」
「ヒース……」
ボロボロと、シーゼルの瞳から涙が溢れた。唇は小刻みに震え、手もガクガクと震えてしまっている。ヒースはシーゼルを腕の中に抱くと、背中をとんとんと叩いた。どうしよう、シーゼルが泣いてしまった。こんなに悲しそうに泣く姿など見たことがない。触れているからか、その悲しみが、絶望が、ヒースにも滲んできた。
「どうしよう、ずっと隠してたのに、どうしよう、嫌われちゃうよ、ヒース、僕……っ」
持っていかれるな、一緒に悲しみに沈んでは駄目だ。唇をきつく噛み、シーゼルに呑まれるのを必死で堪える。
「シーゼル、大丈夫だ、シーゼルは何も悪くなんてない……!」
「うう……っ!」
シーゼルが、ヒースの肩に顔を埋めた。ヒースは必死でシーゼルの背中を擦るが、むせび泣く振動が伝わってくるばかりだ。
胸が苦しかった。息が出来ない位悲しくて、どうにかなりそうだった。
ふと視線を感じて視線の元を辿ると、ヨハンが悲しそうな顔でヒース達を見ている。――この人は、この期に及んでまたシーゼルを突き放そうとするのか。怒りが沸々と沸いてきた。何でシーゼルが泣いてるのか、この人は本当に理解しているんだろうか。
「ヨハン! 何か言ってやってよ!」
すると、ヨハンが小さく笑った。何故この状況で笑うのか。意味が分からなかった。
「謝罪してもしきれん。――済まなかった、シーゼル」
「そうじゃないだろ! 何で分かんないんだよ!」
「そうだ、俺は馬鹿だからな、周りを傷付けてからじゃないと気付くこともない。俺の理想なんてクソみたいで、見てきたのはシーゼルが俺に見せてくれていた夢だったってな」
ヨハンはそう言うと、目の前に立つヴォルグにはっきりと言う。
「――この通り、俺は統率するには相応しくない人間だ。全ての責任は、俺にある」
ヴォルグは何も答えず、じっとヨハンを見下ろしたままだ。
「他の奴らは、俺に従っただけだ。だから、俺ひとりの命で勘弁してもらいたい」
ヴォルグの眉がぴくりと動いた。
「……お前は、それでいいのか」
「生きてまた同じ失敗を繰り返す未来しか見えないからな」
はは、とヨハンが笑うと、それまでヒースの胸の中で泣いていたシーゼルがフッと顔を上げ、ヨハンの方にふらふらと移動する。ヴォルグとヨハンの間に入ると、ヴォルグに向かって手を大きく広げた。
「……駄目だよ、ヴォルグ」
「その男の意思を尊重しようとは思わないのか」
「だって……だって、ようやく手に入れたと思ったのに……!」
シーゼルが泣き顔で見上げる。ヴォルグは呆れた様に溜息をついた。
「どけ」
「嫌だ!」
すると、今度は背後からヨハンがシーゼルに声を掛ける。
「シーゼル、頼む。俺はお前を不幸にしかしていない。きっとこれからも、生きていたらお前を繰り返し我慢させて苦しめるだけだ」
「嫌です! 嫌だ! 隊長がいない世界なんて要らない!」
シーゼルが叫んだ。ヴォルグが嫌そうに告げる。
「お前は関係ない。責任がないとこの男も言っているだろう。さっさとどけ」
「嫌だってば! だったら僕と一緒に隊長を刺せばいいだろ!」
涙でぐしゃぐしゃのシーゼルは、必死で訴える。ヴォルグは困った表情を見せた。
「それは約束を違えることになる」
「何だよ、決まりが全てみたいな固い頭だから、それで好きな奴にも嫌われるんだよ! 強さが一番とか、ばっかじゃないのか! そんなんで好きな人が守れるか!」
ビキ、とヴォルグがこめかみを震わせる。
「お前……誰に物を言っていると思っているんだ!」
「ヴォルグだよ! 頭でっかちの馬鹿な獣人にさ!」
「黙れ!」
シーゼルの挑発に、ヴォルグが激高した。それをシーゼルは嘲る様に笑って煽る。
「なんだ、責任者は誰だーとか言って、日頃弱い弱いって言ってる抵抗もしない人間も斬れない位弱いのか、獣人ってのは!!」
「いい加減その口を閉じろ!」
「僕は!」
シーゼルは、背中をとん、とヨハンに預けた。ヨハンが、おっかなびっくりといった様子でそれを受け止める。
「僕は! 生きるも死ぬも、全部隊長と一緒じゃないと嫌なんだ!!」
「そこをどけ!」
ヴォルグが剣を出した。シーゼルは、泣きながら自分の胸を押さえる。
「ほら、心臓はここだ! そんな簡単なことも出来ないなんて、やっぱり獣人は――!」
「……このっ!!」
挑発され頭に血が昇ったヴォルグが、剣を構える。
「望み通り、一緒に斬ってやる!」
一緒に、殺されたい――!
シーゼルの全身から溢れる切ない程悲しい願いが、ヒースの足を一歩踏み出させた。
「ほら! やってみろよ獣人!」
――違う。駄目だ、駄目だ駄目だ!
次の一歩は、自分の意思で動かした。
次話は木曜か金曜目指して頑張ります!




