泣かないで
泣かれるのは嫌だ。
行間修正しました(2021/4/6)
その夜、ジオはヒースにこんこんと言い聞かせた。
「いいかヒース、相手の同意なしに触っちゃいけねえ。裸も見ちゃいけねえ。着替えを覗くなんてもってのほかだ」
「ジオは裸を見ただろ」
「グフォッ」
暫く咳き込んだ後、何事もなかったかの様に話を続けた。
「お前がされて嫌なこと……お前見られても平気そうだもんな……ええと、服で隠れてる所は見ようとするな! 触るのもダメだ! これが人間界の常識だ、分かったか!?」
まるでヒースが人間でない様な言い方だったが、ヒースは素直に頷いた。奴隷時代、時折いた。いきなり股間を触ってくる奴が。確かにあれは不快だったからヒースは急所を蹴り返したりして対処していたが、それをニアにやると蹴られるぞ、そういうことだろう。納得した。それに正直アシュリーに比べて大分中身が少なさそうなのであまりそこまで触りたいとも思わない。
「分かった!」
うんうんとヒースが頷くと、ようやくジオが安心した様に肩の力を抜いて後ろの少し離れた場所に用意された寝床に不安げに座っているニアを振り返った。
「ニア、こいつは物は知らねえが言えば分かる奴だ、もう大丈夫だから安心して寝ろ」
「覗いたのはジオだろ、俺は何もしてないし」
「……ちっ」
思い切り睨まれたが間違ったことは言っていない。それにヒースは相手が嫌がることをしてまで自分のやりたいことを優先しようとは思わない。それは閉じられた人間関係の中で摩擦を生むだけなのを、ヒースは奴隷時代に学んでいた。ジオは心配し過ぎなのだ。
「……本当に何もするなよ」
ジオが自室に戻る前に最後の念押しをしていった。
「……しないよ、おやすみ」
もう眠さも限界だった。ヒースの意識は半ば途切れている。ふ、とジオが笑う気配がしたが、目を開けて確認するだけの気力はもう残っていなかった。
◇
は、と目が覚めた。窓の外はまだ暗い。いつもは朝ジオに文字通り叩き起こされるまで起きないというのに、一体どうしたのだろうか。
暫く暗い寝床で目を開けていると、ヒースはようやくその違和感に気付いた。
声が聞こえた。
か細い、押し殺した様な泣き声だった。
一瞬何がどうなっているのか分からなかったが、ヒースはニアが同じこの部屋に寝ていることを思い出した。ということは、この泣き声の主はニアだ。
ジオに触るな見るなと散々釘を刺されている。声を掛けるのもダメだろうか? いや、これだけ暗いなら、遠くから声を掛ける位問題ない筈だ。
「ニア?」
暗闇の奥ではっと息を呑む音がした。次いでグスッと鼻を啜る音。
「寝れないのか?」
「……悪い、起こしてしまったか」
声が泣いている。泣かれるのは嫌だ。むずむずザワザワして仕方がない。十年前に涙はいっぱい見たから、出来ればもう見たくなかった。自分だってジェフと別れた時は泣いたが、でも人のものは見たくない。
それはあまりに勝手過ぎるだろうか。いっそのこと、さっきの様にトントンやってあげて自分の視界から消してしまう方がマシだと思うのは酷いことだろうか?
「ニアさ、いっつもそういう喋り方なのか?」
「そういう、とは?」
鼻を啜る音も物悲しい。話をしたら気が紛れるだろうか。暗闇の中に涙の匂いがして、辛かった。
「その堅苦しい喋り方」
何だか軍人みたいだ。魔族の奴らを思い出すので正直あまり好きな喋り方ではない。
「……私は城仕えの身だったから、なるべく馬鹿にされまいと……」
「虚勢張ってたんだな」
「お前……! まあ……でもそうだ」
声がしょんぼりした。失敗したらしい。えーと、どうしようか。ヒースはとりあえず話を続けることにしてみた。
「俺にはさ、家族に喋るみたいに喋ってくれよ」
「家族? でも、私はアシュリー様からヒースを助ける様にと、それはつまり公務ということで」
「家族みたいに喋って」
これからきっと長いこと一緒に過ごすことになるのに公務とはあんまりじゃないか。ヒースは段々ムキになってきた。
「いやしかし……」
「うんって言ってよ」
何かないか。そうせざるを得ない何かが。
「でないと風呂を覗く」
「ひっっ」
先程ジオに見られた時も怒っていた。ということは見られたくないということだ。さあこれならどうだ?
ヒースが無言で待っていると、やがてニアがふう、と息を吐いて答えた。
「う、うん。そうするから、お風呂は覗かないで」
思っていたよりも可愛い喋り方だった。ヒースは暗闇の中で思わず笑ってしまった。
「な、なに!」
「いや、別に」
気は紛れたみたいだ。声から涙はもう消えていた。よかった。ヒースの胸を締め付けていた何かも綺麗に消え失せた。
「なあニア」
「……だから、なに?」
「明日さ、これからどうするかジオと三人でちゃんと話そう。俺達の計画ってのもあるし」
「……ああ」
また軍人風になってしまった。
「……風呂を覗く」
「あっいやっあのそのっ……うん!」
吹き出しそうになったが、延々繰り返しそうなのでヒースは笑いを抑えた。近所のチビがこんな感じだったな、と今は名前も覚えていない幼い女の子のことを思い出した。一所懸命ヒースの後をついて来て、揶揄うと怒るのに気付くとまたぴょこぴょこついて来て。
奴隷から解放されて、それまで忘れていたことが少しずつだがヒースに戻って来ていた。何故だろうか。ヒースには分からないが、もしかしたら恐れるものが減ったからかもしれない。
「だからさ」
「うん?」
「今日は寝よう。全部忘れて寝よう」
多分ニアはもういっぱい泣いた。もう今日は十分だろう。ヒースの時は横にクリフがいたが、残念ながらニアに触るなとジオに言い渡されている以上これ以上近付けないからニアには縋り付く者が横にいない。
言葉だけで大丈夫だって伝えるのは難しいものだ。ヒースは今日それを学んだ。
「……ありがとう、ヒース」
「別に。……おやすみ、ちゃんと寝るんだぞ」
「うん」
ガサ、とニアの下に敷かれた干し草が動く音がした。ヒースは暗闇の中、目を開けて待った。
こんな泣き虫な子を連れて獣人族の地域になど連れて行けない気がした。ニアにクリフとヤギの面倒を見てもらうというのもありなのではないだろうか。
ヒースはジオと共に行く。ジオ一人に行かせたら、肝心な時にまたあと一歩が出なくてシオンを連れて来られなかったなんてことになりかねない。ジオはいい師匠でいい人だけど最後の一歩が足りない様だから、その背中をヒースが押すのだ。
それがこれまで嫌がることなく転がり込んできたヒースとクリフを受け入れてくれたジオへの恩返しになる、そう思うから。
やがて小さな寝息が聞こえてきた。ニアが寝れたらしい。
ヒースは口の端を小さく上げると、毛布を掛けて自分も目を閉じた。
次話は明日か明後日に投稿します!




