追いかける
子供といえど、さすがは獣人だ。その身体能力は、鍛えられているヨハン達を軽く凌駕するもので、ヨハン達が足場なしには降りられない高さも、ぴょんと軽く飛んでは着地している。
あっという間に先頭に立つと、後続のヨハン達を振り返った。
「おじさん達、遅いよ! ヒースに何かあったらどうすんのさ!」
「ヒースヒースうるさいくそ餓鬼だな。ビクター、こいつを離さない方がよかったんじゃないか?」
「俺だってあんな子抱えてこの崖は降りられないですよ」
はは、と爽やかに笑うビクターとは対照的に、ヨハンは苦虫を噛み潰した様な顔をしている。後から突いてくるナスコ班の他の男達は、ヨハンやビクターよりも年齢層が上だ。その所為か、かなり遅れ気味になっていた。これはヨハン隊のただサイラスに気圧されて言われるがままに一緒に逃げることになってしまった隊員達の助命を行なうには、都合がいい。
だが、今は胸の奥が嫌な感じにざわついてしまい、どうしても笑う気分になどなれなかった。
「ヨハン、落ち着いて。いつものヨハンらしくないですよ」
「これが落ち着いていられるか」
ヨハンは、ふん、と再び前を剥いた。
どいつもこいつもヒースヒースとあの生意気な金髪の餓鬼のことばかりを口にするのが、ヨハンは面白くない。いや、正直に言おう。ヨハンが全てだと思っていたシーゼルすらもあの子供をやたらと可愛がるので、それが面白くないのだ。
そこへ来て、この獣人の子供の通ってきた道だ。シーゼルだったら、獣人の子供を殺すことはないにしろ、あっさりと捕らえてこちらに通すことは絶対にしないと断言出来る。だから言える。この子供は、シーゼルに会わなかったのだ。あの気配に聡いシーゼルだったら、多少離れた場所にいたって気付いて追う筈だからだ。つまり、シーゼルはあの場所にはいなかった。
だが、あの場にいなかったとすると一体どこへ行ったのか。この子供が言っていた様に、子供が崖の途中で道を間違え横道に逸れた時に行き違ってしまったのだとは推測されたが。
シーゼルは単独行動を好む傾向にあるが、基本ヨハンの命令には逆らわないのだ。あの場からシーゼルを動かさない為に下したヨハンの命令に自己判断で背くことなど、本来ならばあり得ない。
となると、考えられることはただひとつ。あの金髪のくそ餓鬼が、恐らくは下に降りるとでも主張したのだろう。あの場には、剣の腕前が確かなカイラが残っている。何故かあの金髪を可愛がるシーゼルとしては、ひとりで行かせることなど出来なかったのだ。
「シーゼルの優しさにつけ込んだか……」
ヨハンがボソリと呟くと、獣人の子供が怪訝そうな顔でヨハンを見た。
「おっさん、独り言なんて淋しいことすんなよな」
今すぐ剣を抜き薙ぎ払ってやりたい気持ちが起こったが、必死で押さえ込んだ。こいつを今ここで斬ってしまうのは簡単だが、今後の獣人族との交渉において、それは交渉をこちらから断ち切ることに等しい。
「俺はおっさんじゃない、ヨハンだ。くそ餓鬼」
すると、獣人の子供はあかんべえをして言い返してきた。
「俺はくそ餓鬼じゃねえ、リオだ!」
「あーはいはい、リオな」
「あーこんなおっさんと何で一緒に行動しないといけないんだよー! ヒースってば大丈夫かなあ」
人のことをおっさんおっさんと繰り返し呼ぶのはいい加減にしてほしいが、髭がおっさんくさいと全員に肯定されてしまった以上、あまり言い返すのも大人げない。
いつからこんなに余裕がなくなってしまったのかと我ながら情けなくなったが、全てはシーゼルとの関係が変化してから起きたことであるのは、自分でも気が付いていた。
あの美しい獣を完全に自分のものとしたのはつい昨夜のことだというのに、あれはすぐに自分の腕の中からすり抜けて行ってしまうのだ。なりふり構ってなどいられない。あれを失えば、もう二度とあんな愛しいものは手に入らないのが、ヨハンには分かっていた。
問題なのは、シーゼルと金髪のくそ餓鬼が崖下に降り、サイラス達と先に出会ってしまうことだった。
シーゼルは、サイラスが向かってきたら、顔色ひとつ変えることなく斬るだろう。サイラスの剣の腕は、シーゼルの足元にも及ばない。他の隊員達は、はなからシーゼルに勝てるなどとは思っていないだろうから、シーゼルに敵対する態度は取らない筈だ。――普段なら。
だが、あのろくに戦えもしないヒースが、隊員達にとっ捕まってしまったらどうなる。
サイラスとニールは、どうもあの金髪のことが気になっている様子を見せていた。確かに、奴隷をしていた割には健康的な見た目で、ヨハン程ではないと思うが見目もそこまで悪くはない。まだ若いからか、男臭さよりも子供っぽさの方が強い印象だ。
まだ何も知らない無の状態で、シーゼルの気持ちも知る前にあれが目の前で笑っていたら、ヨハンとて触手が動いていない自信はなかった。
そのヒースがサイラスに捕まってしまったらと考えると、暗い想像しか出来ないのだ。シーゼルは、あの金髪を見捨てることが出来ないのではないか。これまでは、自分で自分の身を守ることが出来るヨハンにしか関心がなかったシーゼルが、自分の身を守れないヒースに関心を向けてしまった。その事実が恐ろしくて仕方なかった。
あいつらは仲間だ。仲間であると同時に、常に見張り監視をしなければいけない対象でもある。それ故に、元軍人のヨハンの下に配属されたのだから。
シーゼルが何かをされ、それをヨハンが見てしまったら、シーゼルは消えてしまうのではないか。あれは、ずっと何かをヨハンに隠している気がしてならなかった。隠し事などする必要はないのに、シーゼルは常に自分に弱みを見せまいとするから、その不安をどうしても拭い去ることが出来なかった。
「よっと!」
ぴょん、と最下層まで降り立ったリオは、ヨハンとビクターが降りてくるのを待たずに先に進もうとするので、ヨハンは慌ててリオの襟首を掴んで引き止める。
「こら! 先に行くなと言っているだろう!」
「だってヒースが怪我でもしてたら!」
「してたところでお前には何も出来ないだろうが!」
「うっ……おっさん、性格悪いな!」
ぶすっとしてしまったリオにそう言われても、この子供は自分の重要性が分かっていないのだ。この先の交渉では、ヒースの命よりもこの子供の命の方が余程大事なのだから。
「いいから、歩く時は俺の後ろを歩くんだ」
「おっさん達遅いからなあ」
「早歩きで行く! それでいいだろう!」
「ちえーっ分かったよ仕方ないなあ」
くそ生意気なくそ餓鬼め、と心の中で愚痴ると、ヨハンはまだ上の方でハアハア言っている残りのナスコ班の男達を見上げた。
「悪いが、こいつがうるさいんで先に行っているぞ!」
「俺がついてるから!」
ビクターがにこやかに声を掛けると、男達は軽く手を上げそれに応えた。
ヨハンよりは仲間のビクターのことを信用するのは当然だろうが、自分の仲間を追いかけ、右腕不在の状態で別の班の男達の結束を見せつけられると、これまでのヨハン隊の意義について思わず考えさせられる。
抑えつけてまで生かしておくのが、果たしていいことだったのか。
ヨハンは、その答えは知らない。知ってしまえば、きっと足は止まる。だから知らないままでいいのだと思った。
「ほらおっさん、早く早く!」
「押すな!」
「ヒースにすっかり懐いちゃったんだねえ」
リオに背中を押され、ヨハンとビクターは集落へと続くでこぼこの道を小走りで通る。走りにくいことこの上ないが、それはサイラス達とて同様だ。急げば追いつく。シーゼルとヒースがサイラスに出会う前に、何としてでも追いつかねばならない。
押されるまでもなく、ヨハンは段々と駆け足になっていった。
赤壁に挟まれたこの場所は見通しが悪く、いつ目の前にサイラスが現れるかも分からない。
剣の柄に手を添わせ、ヨハンはいつでも抜ける準備をした。
曲がりくねった道を暫く行った頃。
見慣れた男達の後ろ姿が目に飛び込んできた。
次話投稿は来週月曜か火曜日です!




