武人と子供
ヨハンは、後ろから付いてきているナスコ班の男達からなるべく距離を置こうと、降りる速度を早めていた。
崖には、所々人間の足跡が残っていた。それもつい先程付けられたのだろうと分かる様なものが。やはり、サイラス達はここから谷底へと向かって行ってしまったのだ。
正直、獣人族などヨハンにとってはどうでもいい。だが、あそこはカイラの亡き娘、アイリーンの家族がいる。聞けば、捕らえられた筈の鍛冶屋のザハリは、あそこで恋人を作ってしまったとも聞いた。
ザハリとは数回会話を交わした程度の仲でしかなかったが、飄々とした雰囲気の持ち主のあの男は、あの感じで魔族ともあっさりと馴染んでしまったのだとすんなりと納得してしまった。
そういう意味で、獣人族の個体には興味はなかったものの、あの集落の置かれた立場や状況を鑑みて、それこそハンの言うように、今後の魔族との戦闘において要となりうる重要な位置にあると判断した。従って、無益な争いは避けたい。
すると、上の方から男達のどよめく声が聞こえてきた。ヨハンは崖上を見上げたが、赤い岩壁ばかりが目に移り、男達の頭しか見えない。
「な、なんだお前は!」
「獣人だ、気を付けろ!」
獣人、という言葉を聞きつけ、ヨハンは降りた道を再び登り始めた。
「おい! 手を出すんじゃない!」
下からそう叫ぶが、男達に聞こえただろうか。今獣人族と争っては、折角の魔族の国への足がかりをあっさりと失いかねない。
鍛え続けた身体は、ヨハンをどんどん上へと押し上げてくれた。一番近い男の足がすぐ目の前に迫り、再び男達に声を掛ける。
「おい! 手を出しては……っ」
「離せっこら! 俺を子供扱いすんなー!」
可愛らしい子供の声が聞こえてきた。子供? こんなところに? 急ぎヨハンがよじ登り男達と同じ高さまで戻ってくると、浅黒い肌をした男、確かビクターとかいう名前の優しげな雰囲気の男が、暴れる子供の腰を抱えて戸惑った顔をしていた。
明るい茶色の髪をした、大きな目をした可愛らしい男の子が、そこにはいた。そして、頭からぴょこんと飛び出ているのは、耳だ。
「……獣人の子供? なんだってこんなところに」
「ちょっと! 何なんだよあんた達! なんだよ、人間てこんな乱暴なのか!? ヒースと全然違うじゃないか!」
ジタバタと暴れる子供の獣人に足をゲシゲシ蹴られているビクターが、ぴくりと反応する。
「ヒース? お前、ヒースを知っているのか?」
「そうだよ! 俺ヒースのことが心配になって探しに来てやっただけなのにっ! 何で俺を捕まえるんだよー!」
自分の腰を掴むビクターの腕から抜け出そうと暴れ続けている獣人の子供は、まあ元気いっぱいだ。
「俺はヒースの様子を見に来ただけなんだって! ヒース、ヒースうーっ!」
男達は、皆ぽかんとしてビクターに捕らえられた子供を見ている。獣人は本来は敵ではあるが、まずこの子はまだ幼い子供で、見たところ武器も携帯していない。
そして、ヒースの名を連呼しているところを見ると、本当にただ単にヒースを探しに来ただけらしい。
「ちょっと迷って横道にそれたりしたけどさ、頑張って人間が固まって焚き火してた所まで行ったら、なんか血の匂いがしたから! だから俺、ヒースに何かあったんじゃないかってすっごく心配なんだよ!」
血の匂い。あそこにはニールの遺体と、傷付いたネビルが寝ている。それ以外にも、ハンが斬られた時に出した血も残ってはいただろうが、それにしてもそんな簡単に分かるものなのだな、とヨハンは関心した。さすがは獣人だ。鼻の利き方が、人間とは違う。
だが、あの場にはカイラとジオと、それにヨハンのシーゼルもいた筈だ。ジオとかいう無口で無愛想な男はともかく、武芸の達人のカイラとヨハン一筋のシーゼルが、こんな騒がしい獣人の子供の気配に気付かない筈がない。
カイラはネビルの横に付いていたとしても、ではシーゼルは一体何故この子を通したのか。
――いや、もしやシーゼルはあそこにいなかったのでは。この子供は、迷って横道に逸れたと言っていた。もしや、その間に崖下に降りて行ってしまったのではないか。
あの、生意気な金髪の小僧と一緒に。
ギリ、と奥歯が嫌な音を立てた。
「……悪いが、ヒースはここにはいない」
「え!? じゃあどこに行っちゃったんだよ!」
「いや……俺は暫くヒースは見かけていないが、本当にこっちに向かったのか?」
ヨハンが尋ねると、子供は今度はヨハンに向けて話し始めた。ヨハンなら話が通じると思ったのだろうか。
「こっちに戻るって集落を出て行っちゃったんだよ! 何でいないんだろ!? なあおっさん、あんた知らないか!?」
おっさん、と言われたヨハンは、こめかみをぴくりとさせた。
「おっさん……? 今、俺のことをおっさんと言ったか……?」
「ヨハン、今はそれどころじゃ」
ビクターが止めようとしたが、ヨハンは止まらなかった。子供の目の前まで行くと、その小さな鼻を摘んで横に揺さぶる。
「いて! いててて! 何すんだよおっさん!」
「俺は! おっさん、じゃない!」
「髭生えてんだ、おっさんだろー!?」
ヨハンは、ハッとして自分の顎髭に触れた。目の前で、なんとも情けない顔で自分を見ているビクターに、恐る恐る尋ねる。
「髭は……ふけて見えるか?」
「まあ……そうだね」
ビクターが複雑そうな顔で、だが割とはっきりと肯定した。ヨハンは次に、こちらを微妙な表情で遠巻きに見ている残りの六人の男達の方を見る。皆、目が合うと、小さく頷いた。
「そうだったのか……! 俺はてっきり男前度が上がるかと……!」
「まあ、シーゼルがどっちが気に入るかで決めればいいんじゃないすか」
ビクターが、適当そうに言う。いや、シーゼルの好みに合わせては男が廃る。ここは男らしい自分というものをしっかりと確立した上でシーゼルに惚れられなければ、そう考えた。
というか、何故ビクターまでシーゼルとの関係を知っているのか。
「鼻痛えって! おっさん離せよ!」
「おっさん……」
ヨハンの手の力が緩んだ瞬間、子供は顔をのけ反らせてヨハンの手から逃げた。
「……まあ、とりあえず害はなさそうだから、離す……か?」
ビクターが若干憐れみを含んだ目線でヨハンを見ながら、尋ねる。ヨハンよりもやや若く、浅黒の肌で割といい男とも言えなくもないビクターにそういった目で見られると、腹が立った。
つい、きつい口調になる。
「駄目だ」
「でも、この子を連れ歩く訳にも」
「下にはきっと、サイラス達がいる。この子ひとりで先に行かせては、ビクターひとりにあっさりととっ捕まったんだ。ばっさり斬られて終わりになる」
「……こんな子供でも、か?」
痛ましそうな目でヨハンを見つめるビクターに、ヨハンは深い頷きで肯定の意を示した。あいつらは、相手が女だろうが子供だろうが、魔族ならば全て殺す。そういう人間ばかりを集めたのがヨハン隊だからだ。そして、そうでなければ先発隊は務まらない。
「もー! 離せってば!」
暴れ続ける子供の頭を、ヨハンがガシッと掴んだ。
「いいか小僧」
「なっ何だよ! お前、なんか性格悪いな! ヒースに言いつけてやる―!」
どいつもこいつもヒースヒース。段々と腹が立ってきたヨハンは、小さな頭を掴む手に若干強めに力を込めると、言った。
「お前を今ひとりにしたら、下にいる奴らはお前を殺す。それでお前の人生は終わりだ。ヒースに言いつける間もなくな!」
「痛えって!」
ヨハンは手を離すと、崖下に向き直る。
「お前は人間をよく知らないようだが、ヒースみたいな能天気な奴の方が珍しい」
「じゃあお前は意地悪な奴なんだな!」
子供の言葉にイラッとはしたが、ここで怒鳴っては威厳もへったくれもあったものではない。
ヨハンはぐっと堪えると、続けた。
「ヒースは、恐らく崖下にいる。会いたくば、そのクソ生意気な口を閉じて大人しくついてこい――死にたくなければ、な」
「ヒースには、それで会えるんだな?」
「恐らくな」
ヨハンは子供に一瞥をくれると、先程登ってきた道を再度下り始めたのだった。
今週もう一話は投稿したいです。目指せ木曜か金曜日!




