サイラスの目的
後ろから、ヨハン達が追ってきている。
サイラスの心には、焦りがあった。現在サイラスと行動を共にしているヨハン隊の仲間とて、いつ何時裏切るか分からない。
自分の他に、付いてきているのは五人。皆、これまでずっと行動を共にしていた仲間ではある。だがそれ故に、互いの残虐さと自己都合主義なところをよく理解していた。いつ寝首をかかれるか、分かったもんじゃない。
先頭を切って逃げている以上、背中にも注意を払わねば危険だとサイラスは考えていた。死んでしまったニール以外、この世に信用出来る人間は元々残ってはいなかった。
だから、もうこの世に信頼できる人間はいない。
「なあサイラス、お前さっきからどこに向かってるんだ……?」
「そうだよ、なんで下に降りるんだよ! 戻るなら方向が違うだろ!?」
ヨハン隊の中では比較的明るい性格のウェインとエドが、寝不足な顔に刺さる陽の光に目をしょぼしょぼさせながらサイラスに尋ねる。
こいつらは、殺せと言われただ素直に目の前の命を屠ってきた。だが、どうやって生きていこうなんて考えちゃいないのだ。
目的はどこにあるのか。
何の為に生きているのか。
学のないサイラスでも考えたことなのに、こいつらはただ今その時を生きる為だけに生きている様にサイラスの目には映った。
サイラスは、鼻で笑う。
「お前ら馬鹿か、あのまま元来た場所に戻るにしたって、飲水もねえだろうが」
「え、じゃあこれってまさか獣人族の集落に向かってるのか?」
「他に生き延びる道があるか?」
逃げながら各々の持ち物を確認したところ、ほぼ全員が腰に帯びていた剣以外は置いてきてしまっている状態なことが分かった。すでに数日をあの場で過ごしていた所為で、咄嗟に動ける体勢を整えていなかったのだ。
常日頃一箇所に留まらない彼らにとって、数日留め置かれることは異例のことだった。
数日もの間を、飲水も食べ物もなしに炎天下を歩き続けることは無謀のひと言に尽きる。馬で追ってきているナスコ班の奴らに追いつかれ、いずれなぶり殺しにされるのがオチだ。
完全に失敗だった。それが分かった時点で、サイラスの中にひとつの目的が生まれた。
だが、こいつらはサイラスのその真の目的を知らない。それに巻き込まれようとされていることなど、馬鹿だから考えない。
だったら、それを悟らせない様に騙すだけだ。
「せめて水属性の剣でもありゃあよかったんだがな……」
ヨハン隊のメンバーは、基本皆魔力が少ない。その代わり、剣の腕を磨きここまで生き残ってきた。
ヨハンの右腕であるあの氷の様に美しく恐ろしいシーゼルが得意とするのが水魔法だった為、隊員は基本水分確保をシーゼルに一任していた。勿論、シーゼル不在時用に水属性の剣は用意されてはいたが、それは調理道具が置かれた場所に置きっ放しにされていたのだ。しかも昨晩は、水魔法が得意なナスコが水を用意してくれていた為、誰も剣になど注意を払わなかった。
「元はと言えば、サイラスがあのババアに変な色目を使うからだろ? どうしてくれるんだよこの状況!」
日頃から愚痴っぽいトロイが、ブチブチとサイラスを責め出す。
馬鹿だ。今更サイラスを責めたところでどうしようもないというのに。こいつのこういうところが、サイラスは大嫌いだった。何でも人の所為、自分で動こうとはせず、声がでかい奴の後をただ付いていくだけのくだらない人間だ。
「ちょっとからかっただけだろうが。刃物ちらつかせりゃビビるかと思ったんだけどな」
今思い出しても腹が立つ。人を馬鹿にした様なカイラのあの眼差し。
あれを見て、抜くつもりのなかった剣を抜いてしまったのだ。
あの目は、かつて王都でサイラスを蔑む様に見ていた人間達のものと一緒だった。頭を下げられない、今思えばくだらない矜持の為にまっとうな職につけなかったサイラスを底辺の人間として見下していた、あいつらのものと。
一度は正そうと思った心根は、その日の内に業火に焼かれた。ニールの励ましも、余計なものとしか受け取れなかった。
二度捻じ曲げられたそれは、もう真っ直ぐには戻らない。
だったらサイラスは、己の捻じ曲がった信念を貫くだけだ。
「湧き水でもなきゃあ、あそこに集落がある訳がねえ。ばれねえ様に拝借したら、人間の国に戻ればいいんだ」
「で、でも、隊長がそんなこと許すかな……?」
隊の中では気弱なゾーイが、ビクビクと後ろを確認しながら集団から離れないように駆け寄ってきた。こいつは、この怖がりの所為で目の前の敵を排除しようとする。それが人間だろうが魔物だろうが、恐怖となった対象はただ目の前からいなくなってもらう為に殺すのだ。ある意味非常に危険な奴だったが、言いくるめるのが楽な分、使いやすい人間だった。
「隊長なら話は通じるかもしれねえけどな、ナスコ班の奴らは俺らを恨んでる。許す気なんてねえだろうな」
「じゃあ、俺ら全員殺されるのかよ!」
「だから逃げる準備をするんだろうが」
「うう……っ」
こいつらは本当に馬鹿だ。あの場に残り、サイラスと敵対することを覚悟していれば、今頃命の危険には晒されていなかっただろうに。
日頃からサイラスの高圧的な態度に慣れていたから、ああいう場面で甘っちょろい隊長よりも身近なサイラスの方を選択してしまったのだ。
サイラス達は、崖をなるべく急いで降りていく。集落からは大分離れているが、ここに崖下に行く道があるのを、サイラスは知っていた。洞穴で、誰も聞いていないと思ったのか、シーゼルがヨハンに報告しているのを聞いたのだ。
あのクソ生意気な銀髪。あいつはいつも、サイラスを虫けらでも見るような目でしか見ない。だが、サイラスはその理由を知っているから、それが楽しくて仕方なかった。
サイラスをあの目で見れば見る程、サイラスの中でしてやったりという気持ちが湧き上がり、それが常日頃怒りに満ちあふれているサイラスの心を一瞬だけ癒やしてくれるのだ。
きっと、このまま進めばシーゼルと鉢合わせするのではないか。サイラスはそう踏んでいる。
珍しく可愛がっている、あの金髪の小僧に会いに獣人族の集落に行くのでは、と睨んでいた。
大して強くもなさそうな、まだ子供に毛の生えた様なガキだ。男臭さは少なく、暫くご無沙汰だったサイラスから見れば、十分に対象となったあいつは、その弱さ故にシーゼルが守ろうとする。あのシーゼルが、だ。
あの子供は、サイラスがそういう目で見ていることに気付いている節があった。子供の頃から奴隷として生活していたと聞いたので、これまで男たちの慰みものになることもあったのだろう。だったら、それが自分で何が悪い。
冥土の土産にあのガキを自分のものにし、シーゼルの恨みを存分に買い、笑いながら朽ちよう。
サイラスは、後からついてきている顔色の悪い隊員達に一瞥をくれる。
こいつらは、自分らがどこへ導かれているのかを知らない。サイラスの目的を知らぬまま、サイラスが目標を達成する為の肉の盾となってもらう。
ニールもいない。家族ももうとうにいない。
最期に残ったのは、恨みだけ。この恨みを晴らし、そして地獄に堕ちるのだ。
とん、とサイラスは谷底へと降り立った。
次話は、水曜日目指して頑張ります!
 




