見えないものとして
シーゼルは、昨夜は何とかヨハンとの目的を達成することが出来た様だが、ヨハンは外に聞こえることを恐れ相当及び腰だったのだろうと予測した。
すると、やはりヒースの勘は大当たりだった様だ。
「え……何その最高な状況……!」
瞬時にヒースの提案の内容について理解したらしいシーゼルが、実に嬉しそうに両頬を手で押さえてにこにこし始めた。
畳み掛けるなら今だ。ヒースはシーゼルの説得に全集中することにした。ぎゅっと腕を掴んだまま、頑張って笑顔を繰り出す。
「な? いい提案だとシーゼルも思うだろ?」
「確かにさ、他の人に見られるかもって思うと思い切り出来なかったんだよね、昨日」
何が思い切り出来なかったのかは、詳細は聞くのはやめておいた。世の中、知らない方が幸せなことは沢山ある筈だ。
「ヴォルグの所なら、周りの目を気にすることなくヨハンと二人でゆっくり出来ると思うよ!」
「あ、考えたらゾクゾクしてきた、僕……」
頬をぽっと染める姿は艶やかでいいのだが、言ってる内容はいつものシーゼルらしい非常に自分に素直なものだった。
ちょっと嫌な予感がして静かに佇んでいるヴォルグを横目で見ると、眉間の皺が更に深くなっている様に見える。これは多分見間違いではないだろう。
そしてふと、初めてカイネに出会った時も、なんだかんだでこの人の説得の方が大変だったことを思い出した。正に今、同じ状況が繰り広げられている訳だが、道理で既視感があった訳だ。
「んー、でもなあ、説得なんて、あいつら聞くかなあ」
「だけどねシーゼル!」
ヒースは、シーゼルの肩を正面からガシッと掴んだ。シーゼルが自分の目をしっかりと見て話が出来る様に顔を近付けると、シーゼルが言った。
「ふふ、ムキになってるヒースって可愛いね。キスしたくなっちゃう」
「……シーゼル、あのね」
「ちょっとだけ、してもいい?」
シーゼルとヒースは殆ど背の高さが変わらない。シーゼルがその気になれば、ちょっと顔を前に出すだけで、ヒースの唇なんて簡単に奪われてしまうだろう。
だけど違う、そうじゃない。今は人の生死の話をしてるのに、なんだってこの人と話すといつもこうなるんだ。
シーゼルのペースに呑まれてはいけない。ヒースは気を引き締めた。
「シーゼルが今回は何もしてない隊員達の話を聞く前に斬っちゃったら、多分ヨハンはシーゼルを怒るよ」
シーゼルの笑顔が、ピキッと凍りついた。正直怖いが、この人にはこれが一番効く。というか、これ以外は効かないのはもう知っている。
「どうする? 暫くシーゼルは抱きたくないって言われちゃったら」
直球で伝えると、シーゼルの笑顔が完全に消えた。滅茶苦茶怖いが、ここは押し倒すしかない。でないと、多分本当に数人の命が危険に晒される。
「ヨハンは、シーゼルが人間を斬った話をした時、すごく悲しそうな顔になってたよ」
「……でも、あれは!」
ヒースとて、分かっている。シーゼルが人間を斬ったのは、そいつが別の奴を己の欲望のまま蹂躙したからだ。勿論、シーゼルだって、なんの躊躇いもなく即座に斬った訳ではないのだろう。
シーゼルが語らなかった時間の部分に、何かがあったのだ。でなければ、ヨハンに関わっていない男をそう簡単に排除する筈がない。
シーゼルの行動原理は、全てがヨハンだ。ヨハンの為になるかならないかで、シーゼルは動く。
それ以外で動いた話を聞いたのは、初めてシーゼルと会った時にされたものだけだ。あの時は、単に恐ろしい人だと思った。
だけど、今なら分かる。あれは、シーゼルの抑え切れない想いが溢れた結果だったのだと。
男しかいない世界で、これだけ綺麗な人が何もなく無事だった筈がない。自身の身を守るだけでなく、敬愛するヨハンの横に並び立ち共に戦える様になるまで、ヨハンの預かり知らぬところで泣きたくなる思いも沢山経験したのだろう。
その報復行為をヨハンに見咎められて、居た堪れなくなったのだ。
「……分かってる、シーゼル」
「……見てきた様な生意気なことを……」
その台詞はカイネにも言われたな、と少しだけ緊張していた心がほぐれる。
「シーゼルが言いたくないことも、沢山沢山経験したんだろうって、俺は思ってる」
シーゼルは、形のいい唇をギュッと噛み締めていた。噛んだ部分が白くなっていて、血が溢れてしまわないか心配になる。
「だけど、ヨハンは多分気付いてないよ。これからもきっと、シーゼルが言わない限りは一生気付かないと思う」
「……あの人は、鈍感だから……」
それはその通りだとヒースも思ったので、深く頷いてみせた。
だが、このシーゼルの言葉で、やはりシーゼルが様々な被害に遭いつつも、ヨハンの為を思いぐっと堪えてきたであろうことが証明されてしまった。
本当はもう、言いたくない。だけど、言わないと滅茶苦茶になる。
「ヨハンは、シーゼルが言わない理由を分かってない。だからシーゼルの気持ちにだってずっと気付いてなかっただろ? でもだからこそ、仲間を斬られたら、シーゼルを非難すると思う」
「それは……」
理不尽に奪われる悔しさ。それを伝えたら、ヨハンはシーゼルをどんな目で見たのか。横にいて役に立つ奴だと笑顔で言われたいのに、憐憫の眼差しで同情された日には、やってられないだろう。
駄目押しのひと言を放った。シーゼルは、ヒースには甘い。それが分かった上での行動だ。
ぶん殴られても、文句は言えない。
「だけど、そんな男に惚れたのはシーゼルだろ」
もしかしたら、シーゼルがこれまでに遭ったことに薄々は気付いているのかもしれない。その上で、目を背け、見えないふりをしている。――信じたくなくて。
「ぐ……っ」
至近距離で見る怒気を孕んだシーゼルの顔は、壮絶なまでに美しかった。
「お願いだ、シーゼル」
ヨハンは、目に見えるものを信じたいのだろう。そして、人の中に良心を探している。
人の中に片鱗でもないか、必死で探し続けているのだ。動き続ける意思を保つ為に。
「……分かったよ! 猶予を与えればいいんだろ!」
シーゼルが、実に嫌そうな顔をして吐き捨てた。キッとヒースを睨みつけると、ギリギリと歯を食いしばりながら、絞り出す様に告げる。
「……だけど、サイラスだけは斬る」
「シーゼル……」
「サイラスは、組織の統括者のハンを斬った」
ヒースは、何も言えなかった。怒りを隠そうともせず、シーゼルは続ける。
「あいつをこのまま組織に所属させることは、ただでさえ統率するのが難しい組織を内部から瓦解させる。だから、それが条件だよ」
そして組織の瓦解は、ヨハンが望まないことだから――。
本来部外者であるヒースには、組織の人間の生死を決める権利などない。そもそも、人間に他人の生死を決める権限はない。
ヒースの願いを嫌々ながらも聞き入れようとしてくれているのは、ヒースがシーゼルの信用を得ていると同時に、ヒースが語るヨハン像が恐らくは真実に近いからだ。
「……分かった」
ヒースがぼそりと言うと、それまで眉間に深く皺を刻んでいたヴォルグが言った。
「話は済んだか」
「うん。待たせてごめん。それでさ、ヴォルグ」
ヴォルグは、しかめ面のまま話を遮る。
「分かってる。場所を提供すればいいんだろう」
「うん、ありがとうヴォルグ!」
「ヒース、誤解するな」
渋い顔のまま、ヴォルグが言った。
「お前らの事情はどうでもいい。ただ――」
ただ、何だろうか。ヒースは黙って続きを待つ。
「ただ、伝わらない想いを抱える辛さは少し理解出来た。それだけだ」
「ヴォルグ……」
「さ、行くぞ」
「うん……」
何事も、自分の思い通りには進まない。特にこの時代は、誰にとっても厳しいものだろう。
だけど、少しでも大好きな人達の笑顔を増やせたら。
三人は、谷の奥へと歩を進めた。
次回投稿は月曜日を予定してます!




