師匠との再会
洞穴の前まで来ると、気配に気付いたのか、懐かしい大きな背中がヒースを振り返った。
警戒していたその目が、ふっと緩む。灰色の髪は乱れ、顔色はあまりよくない。昨夜の騒動以降、しっかりと休めていないのかもしれなかった。
「ヒース……!」
「ジオ、久しぶり」
ヒースが洞穴の中に入ると、一番奥には布に包まれた遺体が二人分安置されていた。布の長さが足りないのだろう、両方とも足が下から飛び出している。直視しているのが辛くなり、ヒースは目を逸してジオを再び見た。死に向き合うのは、この騒動が終息してからだ。
カイラは壁にもたれかかり、気だるげに頭を上げると、小さく手を上げて挨拶をしてきた。そのすぐ横には、ネビルがすうすうと寝息を立てて寝ている。肩に巻かれた布からは血が滲み出していたが、顔色はそこまで悪くないようだ。
「……ナスコの話は、ハンから聞いた。残念だったね」
「お前、ハンの奴に会ったのか?」
ジオの目の下にはくまが出来ていた。ヒースが頷くと、立ち上がってヒースの前までドスドスとやって来る。
「ハンの傷がどうなったか、知ってるか?」
強面の師匠は、不安そうに尋ねた。
お人好しのジオは、いつだって他人のことばかりだ。真っ先に話す内容が、自分に起きたことではなく怪我をした古き友人のことになるのが、いかにもジオらしい。
――懐かしかった。
「多分、大丈夫だと思うよ。カイネ――あ、カイラの孫の獣人が、傷の縫合が得意なんだ。だから、カイネの所に連れて行ってもらえるようお願いをしたんだ」
「お願い? そりゃあ一体誰にだ?」
ジオは、これまでヒースが出会った人達のことは殆ど知らないのだろう。アンリに至っては、ヒースだって今朝知り合ったばかりだから、知らなくて当然だ。ニアの知り合いで、且つヴォルグも信頼している様だったので頼ったが、果たして信用して大丈夫だろうか。
始めはただの危なそうで自由な人に見えたが、実はかなり食えない人の様なので、この後どういった態度を取られるかは未知数だった。
「ヨハン隊の人達が、途中で下の道に降りて獣人族の集落に行く可能性があるんだ」
いつまでもここで語り合っている余裕はない。
「ヒース、お前、まさか」
ジオが、ヒースの両肩をガッと掴んだ。そのごつい手で、何度も頭を叩かれたことを思い出す。話を聞かないと、ポカポカとこの拳で遠慮なく叩いてきた。ヒースにとって、この人は師匠であると同時に頼れる家族の様なもの存在だ。
ジオにとっても、自分はそうなのだろうか。だったらいいなと思い、微笑んだ。
「ジオは、ここでカイラとネビルを見ててあげて」
「おいヒース、待て!」
力が籠もったジオの手を、無理矢理引き剥がす。そう淋しそうな顔をしないでほしい。別に今生の別れでもあるまいし。自分はただ、止めに行くだけだ。
「大丈夫、シーゼルも一緒に来てくれるし、獣人の中でもかなり強いヴォルグって奴も、きっと来てくれるから」
ヒースの言葉を聞くと、シーゼルが実に嫌そうな顔になった。
「え、ヴォルグ呼んじゃったの? あいつが来ると、余計面倒くさいことになりそう……」
「まあそういう面もあるかもしれないけど、ヴォルグは悪い奴じゃないよ」
こちらにもにっこりと笑って言うと、シーゼルが心底呆れた表情を浮かべる。
「あの直情的で力任せで阿呆な獣人を悪い奴じゃないって言えるのは、多分世界広しといえどヒースだけだよ」
「そこまで言う?」
まあ確かにかなり直情的ではある。それに力任せも納得だし、自分がカイネと将来どうなりたいかすら考えていなかった様な阿呆ではあるが。……いや、シーゼルはかなり正しいかもしれない。
「ヒースはどんな奴もすぐに懐かせちゃうから、見てて怖いよ」
シーゼルが苦笑いすると、そんなシーゼルをジオは呆れた様子で見た。ハンから、シーゼルについてひと通りは聞いているのだろう。自分のことを棚に上げて、と思っている顔だった。
再び、ジオを見上げる。
「俺、説得する自信はあるんだ。結構さ、皆俺の話を聞いてくれるんだよな」
「お前は俺の話は聞きゃあしねえけどな」
言ってももう無駄だと知っているのだろう、ジオの顔に小さくだが諦めに似た笑みが浮かんだ。
「ジオは黙って考えてるだけだろ」
「……お前も、師匠に向かって言うようになったな」
「――あ、そうだ」
「話聞いてんのか?」
眉間に皺を寄せ、片眉を釣り上げる。毎回思うが、よくこんな器用に動かせるものだ。顔に出さないことを信条としてきたヒースにとっては、難易度の高い行為である。
だけど、いつか自由に何も隠さず顔に出せる日が来るなら、これを覚えていくのも悪くないかもしれなかった。
「ジオさ、この件が片付いたら、蒼鉱石の剣を一緒に鍛えてよ」
「お?」
いきなりの話の方向転換に、ジオが呆気にとられた顔になる。そうだ、蒼鉱石の鍛え方に関してだけは、ヒースはジオよりもちょっとだけ先輩なのだ。それが少し、面白かった。
「今さ、鍛冶屋のザハリと一緒に蒼鉱石の剣を鍛えてるんだ。出来れば量がほしいから、ジオが嫌じゃなければ手伝ってほしいんだけど」
ヴォルグに対しては、もう手伝わせる位の勢いで伝えた記憶があったが、きっとジオなら乗ってくる筈だ。
じっと待っていると、ジオの顔が上気してくるのが分かった。ほらな、と笑いを抑えながらジオの様子を引き続き見守る。
「お前、今やってんのか? どうなんだ? 難しいか?」
「大変だけど、ジオなら出来ると思うよ」
上から目線でそんなことを言ってみたが、ジオは蒼鉱石を扱えるかもしれないという考えで一杯になっているのだろう、ヒースの言葉は気に留めなかった様だ。
「なあジオ、やってくれるか?」
「お……おお! やってみてえ!」
先程までは暗かったジオの表情が、すっかり明るいものへと変わった。やはりジオは、根っからの職人なのだろう。金槌を手にしていないと、落ち着かない種類の人間なのだ。
「じゃあ決まりだ。ヴォルグもそれを聞いたら喜ぶよ、きっと」
「おい、そのヴォルグってのは一体誰だ」
「カイネのお父さんの次に集落の中で偉い人」
にかっと笑って答えると、ジオがくはっと笑った。
「よく分かんねえが、そいつがお前を殺しはしねえってことだな」
「そうだと思うよ」
ヒースの返事に、シーゼルが横から口を挟む。
「それは僕だって一緒だよ。ヒースは僕のお気に入りだからね、そう簡単に死なせないよ」
ふふ、と笑うシーゼルを見て、ジオは顔を引き攣らせながら微妙な笑みを浮かべた。言いたいことは色々あるのだろうが、基本お喋りではないジオには的確な言葉がすぐに思いつかなかったのかもしれない。
「全部片付いたら、ここに知らせにくるから」
「――おう、分かった」
「カイラ」
今度は、カイラに声をかける。カイラはくたびれた顔をこちらに向けると、静かに答えた。
「……なんだい」
「クリフをここに置いていくから、何かあった時は、遠慮なくクリフに乗って獣人族の集落に逃げてほしいんだ」
万が一ヨハン達がやられ、ヨハン隊がこちらに戻ってきた場合、今度こそカイラの身は危ない。だが、シーゼルの手前、細かい言及は控えた。
「カイネの祖母だって言えば、あそこの人達は受け入れてくれる。アイリーンも受け入れた、優しい場所だから」
アイリーンの名を出した瞬間、カイラの尖っていた目つきが和らいだ。
「……あの子が過ごした場所だから、当然だね」
ふ、と笑うと、カイラは頷いた。
「ヒース、くれぐれも無茶するんじゃないよ」
「うん、俺は強い人の後ろに隠れるから大丈夫だよ」
「はは、それなら大丈夫かね」
最後にもう一度ジオを見上げ。
「いってきます」
「……おう、いってこい」
もう、ジオは止めなかった。
次話は明日投稿します!




