シーゼルの全て
また凹み始めたシーゼルの背中をポンポンと軽く叩くと、シーゼルがゆっくりと顔を上げた。気を取り直したのだろう、続きを話し始めた。
「で、残ったジオ? あれがヒースの師匠って人だろ? あの人が土魔法が得意だからって、流れ矢が飛んできても困るしってことであそこに壁を作ったんだよね」
やっぱりあれはジオの魔法だったのか。以前、厠を作った時の物と酷似しているから、そうだと思った。
「ナスコとニールの遺体は、魔物が来ても嫌だから洞穴の中に寝かせたよ。で、ネビルもそこに横になってて、カイラが見てる」
遺体があると、魔物が寄ってくるのか。そんな知識すらないヒースにとっては、何気なく語るシーゼルの言葉の中にも学ぶべきことが山の様にあった。
遺体を狙って魔物に襲われるよりは、遺体と一緒の場所で過ごした方がましなのだろう。そんな場所に今もいる生者達は、一体どんな心境なのだろうか。出来れば知りたくはなかった。
その生者だ。
「なあ、ジオは? ジオもいるのか?」
「ヒースの師匠? うん。静かな人だよね。全然喋んないし」
「まあ、無口ではあるけどいい人だよ」
ジオは、見た目はごついが中身は心優しい人だ。シオンを迎えに行くという目的でここまで来て、目の前で殺し合いを見た。
ジオは、一体何を思っただろう。すぐそこにいると聞いたのに、ヒースの足は動かなかった。今度こそ帰れと言われたらどうしよう、それかもう一緒に帰ろうと言われたらどうしよう。そんな不安を覚え、自分はまだ帰りたくないのだという事実に気付いた。
「ヨハン達が追いかけて行ったのは、どれくらい前?」
ハンの出血が止まっていたことを考えると、それなりに時間が経っているのではないか。
「昨夜遅くの話だよ。……夕方にこっちに戻ってきた時は、僕は幸せ一杯だったのになあ」
シーゼルが、淋しそうに呟いた。幸せ一杯ということは、ヨハンにはご褒美をもらえたのだろうか。特に聞きたくはなかったので黙っていると、やはり当然の様にシーゼルの報告が始まった。うん、もう分かっていた。聞いてほしいのであろうことは。
「隊長に報告があるから誰も近付くなって言ったらさ、丁度ハンが隊員達に話があるから任せろって請け負ってくれてね。どうしちゃったんだろうなんて思ったけど、ヒースは知ってる?」
「あー、うん。ハンに、ここにいる人達に獣人族の集落を襲わないでって話をしてってお願いしてたから、多分それだと思う」
シーゼルとヨハンのことを、絶対邪魔するな、したら斬られるぞとハンに伝えたことは、黙っておくことにした。
「ふうん? まあいいや。でね、隊長ってば外から見られるのを極端に嫌がってたから、仕方ないから僕の水魔法で焚き火を消したら、やっと。ふふふ」
艷然と笑うシーゼルは、昨夜の情事を思い返しているのだろう。とても幸せそうだった。
まあ、十年越しの恋がようやく叶ったのだ。これまでは自身が所属する隊の前でも笑みひとつ浮かべなかったと聞いていたので、気軽にお喋りが出来るヒースにしか見せない態度だと思えば、これも可愛いものだった。内容はともあれ。
「僕が洞穴から出て行くと、隊員達が落ち着きがなくてさ。それでハンが僕達とも話をしたいっていうから、食事の後にハンとナスコと洞穴で会議を始めたらあの騒ぎで」
これでようやく全体像が掴めた。ハンが説得を試みたが、それはヨハン隊の心には響かなかったのだろう。そうこうしている内に、魔族を斬り殺すことを生きがいにしているヨハン隊の我慢の限界が来た。やり場のない苛々をカイラにぶつけようとし、こうしてヨハン隊は瓦解したのだろう。
「シーゼル、もう一点だけ確認したいんだけど」
「うん? なあに?」
「ここ以外にも、獣人族の集落に続く道があるってハンから聞いたんだけど、それはここからどれ位の場所にあるんだ?」
陸路でここまで来て、ヒース達が合流する前に周辺の探索を単独で行なっていたシーゼルなら、きっと知っている筈だ。そのヒースの読みは、当たった。
「歩いて一日くらい。走れば半日程度かな?」
「半日……!?」
夜に騒動が起きたとすると、夜通し走るのは無理だとしても、すでにその地点に辿り着いている可能性が高いのではないか。
ヒースは焦った。そこから折り返して来るにしても、早ければ昼頃には、獣人族の集落へと続く森の前に到着してしまう。
空を見上げると、太陽は段々と真上へと近付いてきていた。
「拙い! すぐに下に降りないと!」
「……本当、ヒースってお人好しだよねえ」
シーゼルはくすりと笑うと、音を立てずに立ち上がり、服に付いた砂埃を叩いて落とした。
「じゃあ僕も行くよ」
「シーゼルはここに残った方がいいと思う! だってこっちに戻ってくる可能性だってある訳でしょ!?」
ヨハンやナスコ班の面々がもしやられてしまった場合は、謀反したヨハン隊がこちらに折り返してくる可能性は高い。ここには彼らの残した荷物もあり、手ぶらで人間の街へと向かえる程、その道は甘くない。
そういえば、ナスコ班が乗ってきた馬がいないところを見ると、ナスコ班は馬に乗って追いかけて行ったのか。とすると、ヨハン隊が崖を降りていくことを選択した場合、彼らは馬を捨てて追いかけていかなければならなくなる。帰り道のことを考えると、馬はいた方がいい。それに、反乱組織にとって、足となりうる馬の数が減るのは避けたいところだろう。
となると、ヨハン隊が崖下に逃げた場合、ナスコ班はそれは追わずにこちらに戻ってくるのではないか。
それはすなわち、ヨハン隊を放置することにはならないか。
「僕も行く。さっきは不安になったけど、僕はやっぱり隊長を信じてるし、隊長が死んじゃったら、僕に生きていく意味はもうない。だから、隊長が生きている方の可能性だけを取って考える」
ふふ、と笑うシーゼルに、何と返せば正解なのだろう。国は魔族に侵略され、家族も生活も何もかもが理不尽に奪われて久しい現在、それでも人は大切なものを積み上げてしまう。
それがなければ、どんなにか楽に生きられるだろうか。
それがあるが為に、失った時の恐怖を恐れてしまう。
だけど、それがなければ生きる気力とて失うのだ。
シーゼルは、それを身をもって知っている。親に売られ、幾人もの男の慰みものとなり、ヨハンに出会うまで、搾取され続けてきた。
ヨハンがいなければ、竜人の吐いた業火に焼かれていただろう。ヨハンでなければ、シーゼルをここまで導くことは出来なかっただろう。
シーゼルにとって、ヨハンは全てなのだ。
「シーゼル、ジオに挨拶だけしてくる」
シーゼルはやると言ったらやる。彼の言葉には、いつも重みがあった。自分より遥かに強いシーゼルに、死んで欲しくないからといってここに残る様に言ったところで、シーゼルが聞く耳を持たないこと位、もう分かっていた。
「僕もひと言声かけていくよ」
シーゼルはヒースの隣に並ぶと、ヒースの腰に刺さった剣を見て少し目を見開いた。
「それ……?」
「あ、ザハリが貸してくれた」
「簡単に人に貸し出す様なものじゃないんだけどね」
呆れた様に笑われたが、ヒースもそれには同意見だったので、素直に頷いた。
「ちゃんと帰ってこいってことだと思ってる」
「そう思うなら、無茶しないでよ」
ヒース達が洞穴に近付くと、地面に寝そべっていたクリフが顔を上げた。――この子は、今度こそ置いていきたかった。これ以上、人間の争いに巻き込みたくはない。
「クリフ、待ってて」
手で待ての合図をすると、クリフはまた地面に顔をくっつけて目を閉じた。
「ヒース、今の内に言っておくけど」
「うん」
「隊長とヒースに同時に危険が迫ったら、僕は迷わず隊長の元に駆けつけるから」
改めて言われなくとも、そうなのだろうことは初めから分かっている。だから、問題ない。
「うん、分かってるよ」
ヒースのあっさりとした答えに、何故か泣きそうな目をして口をぐっと閉じたシーゼルだった。
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